すみだ川
説経正本集第3(36)
太夫不明
鱗形屋孫兵衛
元禄頃

初段

その後
つらつら、思んみるに
本朝七十三世、堀川の院の御宇(ぎょう)かとよ

北白川に吉田の少将是定(これさだ)とて
高家一人おわします。

しかるに、是定、内には五戒を保ち

外には、仁義を本(もと)とし
詩歌、管弦、七芸六能暗からず
その名の誉、世に高し

御子、二人(ににん)持ち給う
嫡男をば、梅若丸とて、十一歳になり給う
次は、松若殿とて、九つになり給う
いずれも、姿は花にして
言の葉ごとに置く露の
幼気(いたいけ)したる御有様

父母の寵愛、限りなし
ある時、是定
北の方を近付けて

「如何に、御台、聞き給え
つくづく物を案ずるに
一生は、風の前の雲に同じ
命は石の火の如くなり

二人(ににん)の子供のその中を
一人(いちにん)出家になし
無からん後の菩提をも
弔ぶらわれんと思うなり
御台、如何に」と、の給えば

「尤も(もっとも)の仰せにて候
去りながら、梅若は、惣領なれば
吉田の家を継がせ申すべし

 

(※以下脱文アリ:補角田川物語(付録11)にて補う)


《松若、未だ幼けれども
出家になして、我が後を
問われんことのうれしや」と
夫婦諸共に思い立ち
菩提の心を起こさるる
心の内こそ殊勝なり
さて、若君を近付けて

「如何に》

 

松若、汝、未だ、若(にゃく)なれば
学問せさせんそのために
山寺に登ぼすぞかし
栴檀(せんだん)は双葉より芳しし
良きに学問究め
吉田の家の名を上げよ。」

山田の三郎安親(やすちか)を
御介錯(おんかいしゃく)に付け給う
山田、御共仕り、叡山にぞ(※脱文カ:(登りける))

御寺(みてら)になれば

日行(にちぎょう)阿闍梨の(不明)
一の弟子になり給い

日夜、朝暮怠らず
学問なされける程に、

本より、利根聡明にて

その年の暮れ程に
内外(ないげ)の沙汰に暗からず
されば、大師(※弘法大師)の化身とて
羨まざるはなかりけり

されば、松若殿
所学(しょがく)当山に隠れなく
我慢の心、出で来たるが

仏神の咎(とがめ)めや、
何処(いづく)とも知らず
山伏、一人(いちにん)来たり

「如何に、松若
さぞや、昼夜の学問に
心、疲れ給うらん
我が住み処(すみか)へ来たり
心慰み給え」
とて、そのまま、掴んで、

虚空を指してぞ上がりける
各々、驚き、取り取りの詮議し給えども
本より、狗賓(ぐひん)のことなれば
その行き方(ゆきがた)はさらに無し

阿闍梨、大きに驚き給い
「如何はせん」との給えば
安親、申す様
「先ず、某は、吉田へ帰り
この由、語り申さん」
と、阿闍梨の坊に暇(いとま)を請い
北白川に帰りつつ
御前(おんまえ)に参り
山にての次第を語りける

少将も御台所も
「これは何事ぞ」と
わっと叫ばせ給いける
ややありて、少将殿
御涙の隙よりも
「定まる業とは言いながら
予て(かねて)夢ほど知るならば
何しに、山へ登ぼすべし

愛おしの若松や
恨めしの浮き世や」
と、口説き立ててぞ泣き給う
哀れなるかな、是定殿
折節、この頃は、
風邪の心地との給いしが
この事を聞こし召さるるより
食事を更に、参らず
次第次第に弱らせ給う

御台所や、梅若殿
後(あと)や枕に立ちよりて
色々、看病し給えども
定業限りの異例(※病気)かや
重りこそすれ、験は無し

今を限りと見えし時
舎弟、松井源五定景(さだかげ)
郎等(ろうどう)に粟津の六郎利兼(としかぬ)、
山田の三郎安親を召され

「如何に、方々
某は、娑婆の縁、尽き果てて
今、冥途に赴き(おもむき)候
梅若、未だ幼稚なり
十五にならば、参内させ
吉田の家を継がせてたべ
それ迄は、定景に頼み置く
二人の郎等、定景と心を合わせ
若を盛り立てて得させよや
如何に、梅若(むめわか)
父が、浮き世に無きとても
母に孝行いたし
大人しく吉田の家の名を上げよ
暇(いとま)申して、北の方
名残惜しの梅若」
と、さも口上に念仏して
明日の露と消え給う

御台所も若君も
これはこれはとばかりにて
流涕焦がれて泣き給う
北の御方、口説き事こそ、哀れなれ
「儚なやな、この殿と
美濃の国野上にて、

馴れ初めしより、この方は、

この方は、
束の間も離れぬ身の
冥途の旅とて
すごすごと
さぞや、寂しく思すらん
自らも、連れて行て給え」

と、抱き付いてぞ、泣き給う
去れども、叶わぬ道なれば
涙ながら、御死骸
野辺に送らせ給いつつ
無常の煙と成し給い
野辺より御下向なされて
御弔いは、限り無し
若君(※松若)の別れに、夫(つま)の嘆き重なり
一方(ひとかた)ならぬ御嘆き
御台、若君(※梅若)の心の内
哀れともなかなか申すばかりはなかりけり

 

二段目

 

その後(のち)
御台所や若君は
是定殿の御死骸
野辺に送らせ給いつつ
良きに菩提を問い給う

昨日今日とは、申せども
月日に関守、据えざれば
三年(みとせ)になるは、程も無し
梅若殿も、今は早や
十三歳になり給う
父是定の御菩提を
明け暮れ、弔ぶらい給いける
心の内こそ、殊勝なり

これは、さて置き
松井の源五定景は
つくづく物を案ずるに
「梅若、十五になるならば
継ぎ目の参内、さすべしか
彼に従い、朽ち果てんも口惜しや
所詮、梅若を失い
吉田の家を継ぎ
栄華に栄えん」
と,たくむ事こそ恐ろしけれ

松若殿の郎等に、山田の三郎を近付けて
「如何に、安親殿
御身を頼まん子細あり
頼まれ給わば、語るべし」
山田、聞きて
「何事にても、承らん」と申しける
定景、喜び
「別の子細で更に無し
梅若を失い、吉田の家を我が持って
(※某継がば)
山田殿にも、過分の恩賞、参らせん
山田殿」
とぞ,申さるる

安親、聞きて
「音、高し、高し、
某、一味仕らば、誰にか畏れ申すべし
若君の郎等、粟津の六郎利兼
本より、大酒のことなれば
酒を様々に勧め
事の子細を語りつつ
それに、承引無きならば
時刻を移さず、討って捨てんは
何の子細が候べき」
と,申しければ

定景、聞きて
「さあらば、御辺は、帰られよ
某は、計らい申さん」と
種々(しゅじゅ)の肴を調えて
六郎に使い立つ

利兼(としかぬ)急ぎ、参り
定景に体面す
とこうの次第を言わずして
酒(しゅ)を様々に、勧めつつ
辺りの人を、追い退けて
「かようかようの企てなるが
同心あれ」
と,申さるる

利兼、聞いて、はっと思いしが
さらぬ体にもてなし
「あら、恥ずかしや
某が心を引き見給うか」
と、申しける

定景、聞きて
「のう、何しに偽り申すべき
山田殿も同心にて
只今、帰り給うぞや
引き合い申さんか」
利兼聞いて、膝をし直し

「のう、定景殿
梅若殿は、御身の甥(おい)にては無きか
この利兼は、左様の事を、
聞くも無益(むやく)なり」
と、太刀ひん抜いて、討たんとす
定景は、命限りに、逃げにける
利兼、追っかけ討たんが、
「待て、暫し、山田めが、
後ろ切りすべし
先ず、御台所や若君に
この事を知らせ申さん」
と、急ぎ、館に、帰りけり
御前(おんまえ)に参り
利兼、涙を流し
「松井の源五殿、山田の三郎
心を合わせ、若君を失い奉り
吉田の家を、継がんとのたくみにて
我等にも同心せよと申されしを
座敷を蹴立て参りたり
定めて、夜討ちに参るべし
ご用意あれ」
とぞ、大息ついで申しける

御台、若君、聞こし召し
「こはそも、如何なる事や」とて
消え入る様に泣き給う
利兼、見参らせ
「心弱くては、叶うまじ
先ず、御台所を、落とし申さん」
とて、御供申し
西坂本、叔父大夫を頼み

良きに忍ばせ奉り
それより、取って返し
侍、中間、百人ばかり、各々心を合わせ
寄する敵(かたき)、待ち居たり

これは、さて置き、定景は
利兼に脅されて
未だ、震いは、止まざりけり
安親を呼び出し
「かようかようの次第なり
如何はせん」
と、申さるれば
山田、聞いて
「時刻、移して、叶わじ」と
その勢、三百余騎、
北白川に押し寄せ
鬨の声をぞ上げにける

城の内には、
予て用意のことなれば
利兼、櫓(やぐら)に駆け上がり
「何、寄せ来たるは
定景と覚えたり
無用の戦せんよりも
その陣、引け」
とぞ、申しける

その時、寄せ手の陣よりも
武者一騎、進み出で
大音声で、名乗る様
「只今、ここ元へ
進み出でたる兵を
如何なる者とか、思うらん
定景の郎等に
兵五の介とは、某なり
侍は、渡り者
降参せよ」
と、申しける

利兼、聞いて
「おのれは、三代相恩の君を忘れ
弓引くは、野干とや言うべきか
受けてみよ」
という儘に、よっぴいて、ひょうと射た
無惨やな、兵五の介が胸板に
はっしと立ち
明日の露とぞ、消えにける

これを、戦の初めとし
敵、味方が入り乱れ
戦は、花をぞ、散らしける
さすがは、寄せ手は大勢
味方は、早や、悉く討たれける
若君に参り
「急ぎ、落ちさせ給え」
と、申しける
若君、聞こし召し
「構えて、汝、腹切るな
早く来たれ」
と、の給いて
粟津の二郎、御供にて
裏の御門に出で給う

利兼、矢倉に上がり
「如何に、寄せ手の奴輩(やつばら)
鳴りを沈めて、確かに聞け
君も御腹、切り給う
剛なる者の腹切るを
手本にせよ」
と、言う儘に
鎧の上帯(うえおび)切って捨て
空腹(そらばら)切って
裏門より、落ちけるを
大勢、折り合い、絡め取る
利兼が、心中、無念なりともなかなか
申すばかりはなかりけり

 

三段目

 

あら無惨や、利兼に
縛め(いましめ)の縄を掛け
定景の前に引き出だす
定景、見給いて

「如何に、利兼
我に同心あるならば
か様の罪科はよもあらじ
さて、梅若は、果てたるか
又は、落としてありけるか
真っ直ぐに申すべし
如何に、如何に」
と、ありければ

利兼、聞いて
「やあ、定景
おのれは、君のご恩を忘れ
か様の悪逆、作るかや
因果は、忽ち(たちまち)報うべし」
とぞ申しける

定景、大きに腹を立て
「兎角(とかく)、
死に狂いと見えてあり
早く、暇(いとま)を取らせよ」
承って候とて

白川表(おもて)に引き出だし
頭(こうべ)を刎ね
獄門にぞ、掛けにける
札の表には
『この者、悪心をたくむによって
斯く(かく)の如く
斯く、行のうものなり』
と、書けるは
情けのうこそ、聞こえけれ

定景、首実検に出でらるる
不思議や、この首
眼(まなこ)を開き
「如何に定景
我、悪心にあらぬ身を
斯く、札に書きけるが
三年(みとせ)の内に
おのれらを
か様にせん」
と、言うより早く
首は、天にぞ昇りける

定景、震い震い、館に帰りける

これは、さて置き
梅若殿
粟津の二郎を御供にて
西坂本を心掛け
山路を指して、落ち給う
暗さは暗し、道見えず
山路に迷い給いしが
ほのぼのと、明け方に
郎等(※二郎)、風邪の心地と打ち見えて
行くも行かれず
木の根に倒れ伏し
今を、限りと見えにける
梅若、ご覧じて

「如何に、利光(※粟津二郎利光:としみつ)
汝が、父の利兼は
現人神と言われし者の子が
斯く、浅ましく、見ゆるかや
母上の御座有る所まで
何卒して、連れて行けよ
汝、空しくなるならば
梅若、何となるべきぞ」
と、流涕焦がれて、泣き給う

既に、五更の天も開くれば
谷に下がり、
清水を求め
袂(たもと)に含ませ給い
谷より峰は、遙かにて
猪(しし)道に踏み迷い
彼方此方となさるるが
掛かりける所へ
奥州の人商人(あきびと)来たり

「如何に、若殿(わかとの)
我、同心申さん」と

梅若殿を引っ立て
遠国(おんごく)指してぞ、急ぎける
心の内こそ、哀れなれ

利光は、かっぱと起きて
見てあれば
若君は、ましまさず
「さては、坂本へ、行き給うか」と
坂本指してぞ、急ぎける

御台所は、ご覧じて
「如何に、利光
梅若丸は」
と、言い給う
利光、承り
「参候、某、白川より、
御供申し参る時
少し、異例を受け
まどろみし折節
若君を、見失い候
もし、猪道に踏み迷わせ給うかや
尋ね申さん」
と、御前を罷り立ち
山々、谷々、尋ねれども、
その行き方は更に無し

利光、思う様
「このまま、帰るものならば
母御様、さぞや、お恨み、深かかるべし
何処(いづく)までも尋ねん」
と、諸国修行に出でにける
心の内こそ哀れなれ

殊に、哀れを留めしは
若君にて、留めたり
商人(あきびと)と打ち連れて
大津、打出の浜よりも
瀬田の橋を打ち渡り
東路(あずまじ)指して、急がるる
若君は、ご覧じて

「これは、何処へ行き給う
山中には、利光を残し置く
西坂本へは、連れて行かせ給わぬかや」
商人、聞きて
「小賢しき(こざかしき)童(わっぱ)かな
早く、急げ」
と、引っ立つる

若君、聞こし召し
「さては、汝、
人拐かし(ひとかどわかし)よな
なかなか、思いも寄らぬ次第」
とて、腰の刀に、手を掛け給えば
商人、取って伏せ
頓て(やがて)、刀を奪い取り
さんざんに、打擲す

労しや、若君は
大の男に打ち伏せられ
「やあ、如何に、商人
我は、都の者なるぞ
あまっさえ、連れて行かんより

都へ連れて帰れかし
平に許せ、商人(あきびと)」と
流涕焦がれ給いける

商人、聞きて
口の口上なる童め」と

散々に、打ち引っ立て
歩め、歩めと責めけるは
阿傍羅刹が、罪人を、呵責せしも
これには、如何で勝るべき
ようよう急げば、程もなく
角田川(隅田川)に着き給う
労しや、若君は、
習わぬ旅といい
杖には、強く当てられて
御足も、切れ損じ
朱(あけ)の血潮となりにけり
今は早や、一足も曳かれねば
川岸に、倒れ伏してぞ、おわします。

商人、見て
「何とて、歩まぬぞ
急げ、急げ」
と、引っ立つる
労しや、若君は、
弓手にかっぱと、伏し給う
叫ぶに、声も出でざりけり
商人、いよいよ、腹を立て
命も失せよと、打ち伏せ
商人、東へ下りしは
情けのうこそ、聞こえけれ
掛かる哀れの折節
在所の人々、集まりて
若君を見参らせ
由有る人と覚えたり
何処の人にて候ぞや
名乗らせ給え」
と、申しける
梅若、聞こし召し
余に苦しげなる息を継ぎ
「情け有る人々かな
今は、何を包むべき
都、北白川、吉田の少将、是定の嫡子
梅若丸とは、某なり
人商人に拐かされ(かどわかされ)
か様に成り果て候ぞや
都にまします母上の、
さぞや、嘆かせ給うらん
よしよし、それは、力無し
梅若、空しくなるならば
道の辺(ほとり)に塚を築き(つき)
印(しるし)に柳を植え給い
高札(たかふだ)、立てて給われや
ああ、懐かしの母上様」
と、これを、最期の言葉にて
年は、十三歳
三月十五日に、明日の露と、消え給う
梅若丸の御最期
哀れなりともなかなか
申すばかりは、なかりけり

 

4段目
 
これはさて置き
在所の人々
御遺言に任せ
道の辺に、塚を築き
印に柳を植え置き
大念仏を申し
良きに菩提を問い給う
三月十五日には、
諸人(しょじん)多く参るとかや

ここに、邪見を留めしは
御台所の御宿、
権の大夫で、留めたり
彼は、利兼が叔父なるが
夜すがら、物を案ずるに

「是定殿のご恩
深く、被る(こうぶる)とは言えども
春は花、秋は紅葉(もみじ)を弄ぶ事なれば
頼み少なき御台、
すわ、追い出さん」
と思いて、表に出で

「如何に、御台様
定めて、白川より
討って参らんは、治定なり
夜明けて、御出で候わば
人の口も恐ろしや
今宵の内に
早や早や、御出で候え」
と、情けなくも、追い出だす

頼む木の本に、雨も溜まらぬとは
この例えを、申すらんと

泣く泣く、出でさせ給いける
女房、余りの労しさに
逢坂まで追っかけ
「のう、如何に、御台様
自らが心は、変わらぬなり」
と、消え入る様に泣きにける
御台所は、ご覧じて

「御身、いつ所にてあらずば」

又、さめざめとぞ、泣き給う
女房、御手を取り申し
関(※逢坂関)、山科を早や過ぎて
日の岡峠まで御供申し(※山科区日ノ岡)

「これより、都へ程近し
若君様の御行方(ゆくえ)
尋ねさせ給え」
とて、さらばさらばの暇乞い
名残惜しさは、限りなし

労しや、御台様
都の内は、残り無く
醍醐(※京都市伏見区醍醐)
高雄(※京都市右京区高雄山付近)
八瀬(※京都府京都市左京区八瀬野瀬町)
大原(おはら)(※おおはら:京都市左京区北東部)
嵯峨(※京都市右京区嵯峨(嵯峨野)
仁和寺(※京都府京都市右京区御室)
まで、尋ぬれども

その行き方は更に無し
労しや、御台様
都の内は、残り無く
醍醐(※京都市伏見区醍醐)
高雄(※京都市右京区高雄山付近)
八瀬(※京都府京都市左京区八瀬野瀬町)
大原(おはら)(※おおはら:京都市左京区北東部)
嵯峨(※京都市右京区嵯峨(嵯峨野)
仁和寺(※京都府京都市右京区御室)
まで、尋ぬれども

その行き方は更に無し
掛かりける所に
五人、連れたる客僧(きゃくそう)達に
行き会い給い

「我が子、梅若が行方(ゆくえ)は
ご覧じ無きか」
と、問えば
客層達は、聞こし召し
「それは、何時の事にて候ぞや」
母、聞こし召し
昨年の二月の末つ方にて
見失い候」
と、涙ながら、の給えば
客層達は、聞こし召し
「おお、その頃、大津三井寺辺(へん)にて
東国(とうごく)の人買いと見えし者
東(あずま)へ連れて通りしが
その若子にて候わば
東の方へ尋ね給え」
と、語り捨ててぞ通りける

母上は聞こし召し
「さては、東に売られけるか
あら、情けなの次第」
とて、倒れ伏してぞ、泣き給う
落つる涙の隙よりも
口説き事こそ、哀れなれ

「それ、人の習いにて、
数多、子を持つだにも
いずれに分くる心無し
我は、数多も、撫子
二人の子供を、行き方知らずに見失う

母は何とかなるべきぞ
あら、情けなや

東へ尋ね出でんが
自ら、年寄りたりけれど
いと、艶めいたる事なれば
狂女になって、出でん」とて
とある所に立ち寄り
旅の装束なされける
髪を四方へ振り乱し
笹の葉に四手(しで)切りかけて、振り担げ(かたげ)

真如の月は曇らねど

狂女とや、人の言うらん
これも誰故、我が子のためと思えば
恨みは、更になかりけり」

八重一重、八重九重を立ち出で

四条五条の橋の上
王城の鬼門(※北東)に当たり、比叡山

これなる林は、祇園殿(※京都市東山区八坂神社)
祇園囃子(ばやし)の群烏(むらからす)
浮かれ心か、うば玉
早や、立ち出ずる、峰の雲
実りの花も開くらん

やがて、我が子に、粟田口
聞くさえ、ここに、頼もしや
逢坂の関の明神、伏し拝み
打出の浜に、誘わるる
三井寺辺(へん)を、尋ねんと
初夜より後夜の一天まで

御経の声は、有り難や
鐘楼堂(しゅろうどう)を打ち見上げ

この鐘の、つくづくと(※鐘を撞く)
浪に響きて、磯千鳥
誰を松本(※待つ)(※大津市松本)を早や過ぎて
尚も思いは、瀬田の唐橋を
とんどろ、とどろと、打ち渡り
世(夜)、をうへののに(大江の野に)

鳴く鶴は
子を思うかと、哀れなり
この下、露に袖濡れて
裾に玉散る、篠原や(※野洲市)
見てこそ通れ、鏡山(※野洲市・竜王町)
御代は目出度き、武佐の宿(※近江八幡市)
愛知川渡れば千鳥立つ
小野の宿とよ(※彦根市小野町)
摺り針峠の細道
涙と共に急がるる

寝ぬ夜の夢は、醒ヶ井の寝物語(※米原市)
早すぎて、美濃の国に聞こえたる
野上の宿に着き給う(※岐阜県不破郡関ヶ原町)
労しや、母上様
「それ、人間は
故郷へは、錦を着て帰る

ほんもん(本門)有り

我は、又子故の
闇に迷い
かく浅ましき姿にて
故郷を見るぞ情けなや
それ、三界(さんがい)の独尊
八相成道(はっそうじょうど)し給い
 釈迦牟尼如来も
子には、迷いの親の闇
又、かりていぼ(訶梨帝母)といっし(言いし)人

千人の子を持てしが
一人に別れの時
皆に別るる、嘆きあり

それ、人間は、
数多(あまた)の子を持つだにも
いずれに分くる心無く
我は、数多も撫子の
二人の子供を、見失い
母は、又
何となる世の一松
のう、世の中に、世の中に
神や仏は、御座無きか
今生にて今一度
我が子の梅若に
巡り会う(おう)てたび給え」

と、深く祈誓を懸け

四方、礼拝し給いては
又、消え入りて泣き給う

美濃ならば(※実のならば)
花も咲きなん
ぐんぜ川(※くいせ川

夏は、熱田の宮とかや
涙の露は、岡崎の(※愛知県岡崎市)
ようよう、今は、浪の堤
竹のササラ、ざざんざ、浜松
 風は袋井(※静岡県袋井市)
神に祈りを金谷(※叶う)の宿(※静岡県島田市)
憂き目を流せ、大井川
島田(※静岡県島田市)藤枝(※静岡県焼津市)
早や過ぎて
尋ねて聞けば、丸子川(まりこがわ)

三保の松原(※静岡市清水区)せいけんし(清見寺)

「のう、我が子の松若を
夢になりとも、三嶋の宿(※静岡県三島市) 
足柄、箱根、打ち過ぎて
恥ずかしながら、姿をば
相模の国に聞こえたる
おいそ(大磯)と聞けば、よしなやな、

早や、藤沢に着き給う(※神奈川県藤沢市)
片平宿(※神奈川県横浜市保土ヶ谷区)を来てみれば、
今は、夏かと覚えたり

秋には、やがて、保土ヶ谷の
渡りかねたる、神奈川宿

川崎に六郷の橋

世の中の悪しき事をも
品川や(しない:するな)
遠離(えんり)江戸の

武蔵と下総の境なる
隅田川に着き給い
此処や彼処に佇み給う
御台所の御有様
儚かりともなかなか
申すばかりはなかりけり

 

五段目

 

労しや、母上様
梅若丸の行方(ゆくえ)をば
尋ねかねつつ
今は早や、武蔵、下総の境なる
隅田川に着き給う
出でる舟、あり

「のう、舟人
自らをも舟に乗せてたび給え」
舟人聞きて
「言葉を聞けば、都人
姿を見れば、狂人(きょうじん)なり
面白く、狂われよ
さなくば、舟に乗せぬ」
と、言う
御台、聞こし召し
「のう、如何に、渡し守り
例え、東の果てなれども
名所に住まば、心あれ
最早、水に映ろう月を見たまえ

風こそ波を遮れ(さえぎれ)
真如の月は曇らぬものを
狂え言える人ぞ憂き
馬にも乗らぬこの狂女
疲れ果てて、候ぞや
ここは、名所の渡し守り
妾(わらわ)こそ、心なくて騒ぐとも
日の暮るるに

乗せさせ給え、舟人よ
さりとては、渡し守り」
舟人聞いて
「おお、誤りたり、狂女
名にしあう(負う)たる優しさよ
舟乗れとは、言わずして
狂えと言うは、田舎人
心ぞ辛き
さりとては、舟こそ乗りて、狭く(せばく)とも

何か惜しまん、乗り給え」
と、舟、差し寄せて、乗せければ
狂女は、舟に乗り移り
向かいの方を見渡せば
川岸の木の本に
人、多く並み居たり

母は、ご覧じ
「のう、如何に、渡し守り
あの、人多く集まるは
我を待ち受け、狂わせん為か、のう」
舟人聞きて
「あれは、大念仏にて候
誠に、この舟に、知らぬ人の多かるべし
この舟の、向かいへ着かぬ間に
あの、大念仏の謂われを語り申すべし
よく聞き給え、人々達

去年三月十五日
しかも、今日に当たって候
年の頃は、十二三の幼き人
もっての外の異例して
この岸にひれ伏し候を
当所の人々立ち寄り
さまざま労り申せども
たんだ、弱りに弱りて
今を最期と見えし時
御身は、何処、如何なる人ぞと
問い申せば
その時、幼き人、
苦しげなる、息を継ぎ
『我はこれ、都北白川、吉田何某(なにがし)
梅若丸とは、某なり
人商人(あきびと)に拐かされ
か様の姿と罷り成る
都に母一人、御座有るが
梅若が事、問う者あらば
我が身のなりゆく有様を
語り伝えてたび給え
道の辺りに塚を築き(つき)
印に柳を植えさせて
高札立てて給われ』と
大人しやかに念仏申し
終に、儚くなり給う
船中にも、都人もありげに候
逆縁ながら、念仏申させ給え」
と、申せば

「さてさて、不憫や
逆縁ながら、念仏申さん」
と、各々(おのおの)舟より上がらるる
労しや母上は
舟よりも上がらず
船端にひれ伏して
泣くより外の事は無し

舟人、これを見て
「優しの狂女や
今の物語に、左様に、涙を流すか
やあ、急いで舟より上がられよ」
母御は、面(おもて)を振り上げ
「如何に、舟人
只今の物語は、何時の事にて候ぞや
先祖は如何に」
と問い給う
舟人聞きて
「吉田の何某、梅若丸」
とぞ申しける
「狂女も都人ならば
急ぎ、舟より上がりて、念仏申されよ」
労しや、母上様
この物語を聞こし召し
「のう、舟人親類とても親とても
尋ね来ぬこそ、理よ(ことわり)
その子が母は、自ら」と
消え入る様に無き給う
行き来の人も
げに道理なり、理とて
袖を濡らさぬ人は無し
舟人、涙を抑え

「今までは、余所(よそ)の嘆きと思いしに
御身の上にて候か
今は帰らぬことなれば
御跡(おんあと)、弔い(とぶらい)給え」
と、勧め申せば
母上、泣く泣く舟より
上がらせ給いつつ
塚の元に、ひれ伏して
口説き事こそ、哀れなり
「如何に梅若
御身に会わんそのために
これまで、遙々下りあり
今は、この世に無き跡の
印ばかりを見ことよ
ああ、無惨や
死の縁とて、生所(しょうじょ)を去って
東路の、道の辺の土となり
この塚の下に
我が子やあらん
この世の姿を、今一度
母に見せて給われや
ああ、頼みなの、浮き世や」と
声を上げてぞ泣き給う

在所の人々、これを聞き
「とにかくに
念仏、申させ給え
亡者(もうじゃ)も喜び給うべし」と
鉦鼓(しょうご)を母に参らせ

念仏を勧むれば
母は、ようよう、起きあがり
逆縁ながら、さりとては
我が子の為と聞くからに
鉦鼓を鳴らし、声を上げ
南無阿弥陀仏と、申さるれば
皆々、同音に、念仏ず
母は、鉦鼓を止め給い

「のう、人々
幼き者の声として
念仏の聞こえしは
まさしく、塚の内と覚えたり
なおなお、念仏申してたべ」
と、のたまえば
在所の人々、これを聞き

「所詮、この方(ほう)の念仏をやめ
母ばかり、申させ給え」
母は、げにもと思し召し
重ねて鉦鼓を打ち鳴らし
南無阿弥陀仏と、申さるれば
塚の内より、幼き人の声として
念仏と諸共に
印の柳の陰(かげ)よりも
現(うつつ)の如く、現わるる
母は、あまりの嬉しさに
鉦鼓、撞木(しもく)を
からりと、捨て

抱き(いだき)付かんとし給えば
そのまま消えて、跡も無し
又、幻に見えけるを
「あれは、我が子か」
「母上か」と
一度に、声を交わせども
陽炎(かげろう)稲妻、水の月
捕らえんとすれば、見えつ隠れつ
早や、東雲も明け行けば
柳ばかりぞ残りける

母は、余りの物憂さに
柳にひしと、抱き(いだき)付き
「この世の名残に
今一度、姿を見せよ
やれ、梅若よ、梅若よ」と
塚の上に倒れ伏し
「我をも連れて行け」とぞ
泣き給えば
その中に、僧、一人進み出で
「御嘆きは理なれども
御菩提を弔い給え」と
良きに労り、申さるる

母は、涙を留め
「御僧の教化、有り難や
今は、嘆くと、叶うまじ
後世、弔うて、得させんに
姿を変えて給われの」
「易き間の御事」とて
塚の本にて、花の御髪(おぐし)
剃りこぼし
その名を、みょうきびくに(妙亀比丘尼)と
申し、浅茅が原

柴の庵を引き結び
花を摘み、香を盛り、念仏申しおわせしが

 浅茅が原の池水に
影の映るをご覧じて
「これこそ、こう経(行経?)
円噸(えんどん)の悟りぞ」と
只一筋に思い切り
西に向かい、傾ぶく月を見て
「いざや我も連れん」と
鏡の池に身を投げ
終に空しくなり給う
かの、母上の最期の体
哀れなりともなかなか
申すばかりはなかりけり

 

六段目

去るほどに
粟津の二郎利光は
四国九国を尋ぬれど
その行き方(いきがた)は、更に無し
大津の浦を尋ねんと
江州指してぞ急ぎける(滋賀県)
四宮河原を通りしが

定景が郎等、山田の三郎
小鳥狩りしていたりける
利光、きっと見て
「天の与え」と喜び
急ぎ、谷に飛んで降り
山田が細首討ち落とす

郎等ども、逃さじと追っかくる
危うかりける折節
山伏、飛んで一人、来たり
利光を掴んで、虚空を指して
飛び去りぬ
相模の国に聞こえたる
大山不動に降ろし置き
「我は、四国よりの使わしぞ

この神に祈誓掛けよ」と
消すが如くに失せにける

利光、御後、伏し拝み
「梅若の生死を、顕し給え
さなくば、利光が一命
取らせ給え」と
初め七日は即座を去らず立ち行、

二七日(にしちにち)は水行(みずぎょう)
三七日は、断食行なり

不思議や、三七日の明け方に
山下、草木、振動し

愛宕山には太郎坊(※京都市右京区)

讃岐にごん平(ごんぴら:金比羅)
大峯、前鬼(ぜんき)が一党(※奈良県吉野郡下北山村)

大天狗、小天狗、
松若殿を連れ来たり

「如何に、利光
汝、主に孝有る者なれば
松若を返すなり
母も梅若も
武蔵と下総の境なる
角田川にて、空しくなりけるぞ
松若が行く末
尚も守るべし」
と、狗賓は、天上なされける

労しや、松若殿
初め終わりを聞こし召し
消え入る様に泣き給う
利光、申しけるは

「まずます、都へ上り(のぼり)
日行(にちぎょう)阿闍梨(
を頼み
帝へ参内仕り
松井の源五を討ち取り
その後(のち)
御菩提を問い給え」
若君、聞こし召し
「この義、尤も、然るべし」とて
利光、御供にて
都を指してぞ

都になれば、日行に対面あり
か様か様と、語らせ給えば
日行、聞こし召し
衣の袖を絞らるる

「さあらば、参内申さん」と
連れて、帝へ参内あり
いちいち、次第に奏聞す
奥よりの宣旨には
「なかなかの浪人
さぞや無念と思うらん
この度の褒美として
四位の大将是定に、任じ
その上、下総を下さるる
松井の源五、退治仕れ」
と、屈強の兵、
五百余騎、下さるる

「忝なし(かたじけなし)」とて
御前を罷り立ち
利光、大将にて
北白川へ押し寄せ
鬨の声をぞ、上げにける
定景、驚き
山道、指して落ち行くを
やがて、絡め取り
首討ち落とし、捨てにける

その後、数多の供人、引き具して
下総指してぞ、国にもなれば
父母(ぶも)の御為
梅若殿の御菩提
良きに弔い(とぶらい)給い
数の館を、建ち並べ
栄華に栄えおわします
目出度さよとも、なかなか
申すばかりはなかりけり

 

右は太夫直の正本なり
大伝馬三町目
鱗形屋孫兵衛

注釈

 

堀河天皇(ほりかわてんのう、承暦3年7月9日(1079年8月8日) - 嘉承2年7月19日(1107年8月9日))は平安時代後期の第73代天皇(在位:応徳3年11月26日(1087年1月3日) - 嘉承2年7月19日(1107年8月9日))。諱は善仁(たるひと)。

北白川(きたしらかわ)は、京都府京都市左京区の東部に存在する地域(広域地名)である。ここではおおよそ、左京区内の「北白川」を町名に冠する地区の総称として用いる。

 

ご‐かい【五戒】
仏教で、在家の信者が守るべき五つの戒め。不殺生(せっしょう)・不偸盗(ちゅうとう)・不邪淫・不妄語(もうご)・不飲酒(おんじゅ)の五つ。

 

※一般には、六芸四能 

りく‐げい【▽六芸】
1 中国、周代に、士以上の者の必修科目とされた六種の技芸。礼・楽・射・書・御(ぎょ)(=馬術)・数。
  し‐のう【四能】
4種の芸能。琴・棋・書・画のこと。

 

 

せっ‐か〔セキクワ〕【石火】
火打ち石を打って出す火。きわめてわずかの時間、はかないこと、すばやい動作などのたとえに用いる。

栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し
白檀(びゃくだん)は発芽のころから香気を放つ。大成する人は幼少のときからすぐれているというたとえ。

 

※妙法院のこと

妙法院(みょうほういん)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。
天台宗の他の門跡寺院(青蓮院、三千院など)と同様、妙法院は比叡山上にあった坊( 小寺院)がその起源とされ、初代門主は伝教大師最澄とされている

 

 り‐こん【利根】
[名・形動]
1 生まれつき賢いこと。利発

 

が‐まん【我慢】

 仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。

 


 

ぐ‐ひん【×狗賓】
天狗(てんぐ)のこと。

 

じょう‐ごう〔ヂヤウゴフ〕【定業】
仏語。 前世から定まっている善悪の業報(ごうほう)。決定業(けつじょうごう)。

岐阜県不破郡関ヶ原町野上

比叡山の京都側を西坂本(左京区:修学院付近や八瀬)といい、大津 側を東坂本(大津市坂本)と呼ぶ。
 (※しかし、北白川と西坂本は近すぎる。又以下の記述(梅若と粟津二郎の山中での事件、及び御台の道行き)において、齟齬が生じる。「東坂本」の間違えではないか。)

 

ちゅう‐げん【中間】
[名](「仲間」とも書く)
昔、公家・寺院などに召し使われた男。身分は侍と小者との間に位する。中間男。
江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者の称。

 

 

 

 

わたり‐もの【渡り者】
1 あちこちと渡り歩き、主人を替えて奉公をする者。

どう‐しん【同心】
[名](スル)《「どうじん」とも》
 ともに事にあたること。協力すること。また、味方すること。

あまっ‐さえ〔‐さへ〕【▽剰へ】
[副]《「あまりさえ」の音変化》
1 「あまつさえ」に同じ。
2 驚いたことに。事もあろうに。

 

※口の口上なる:口がうまい、口が立つ(良い意味では無い)
 

 よしあり【由有り】
特別な事情や由緒

 木母寺(もくぼじ)梅若の墓

墨田区堤通2-16-1

天台宗の寺院。山号は梅柳山。院号は墨田院。本尊は地蔵菩薩・元三大師。
この寺は寺伝によれば、976年(貞元元年)忠円という僧が、京都から人買いによって連れてこられてこの地で没した梅若丸を弔って塚(梅若塚:現在の墨田区堤通2-6)をつくり、その傍らに建てられた墨田院梅若寺に始まると伝えられる。

 

 頼(たの)む木(こ)の下(もと)に雨(あめ)漏(も)る
《せっかく木陰に雨宿りしたのに、そのかいもなくそこにも雨が漏ってくる、という意から》頼みにしていたのにあてがはずれること

※撫子(なでしこ) 花の名に「撫でし子」、 すなわち撫育した愛児の意を掛ける。
「撫で撫で して可愛がる子供 」

しんにょ‐の‐つき【真如の月】
真如によって煩悩(ぼんのう)の迷いがはれることを、明月が闇(やみ)を照らすのにたとえていう語。

 

やえひとえ[やへひとへ] 12 【八重一重】
キリガヤツの別名。【×桐が▽谷】
桜の一品種。花は淡紅色で、多くは八重咲き。
 

九重=八重の対句として多く重なる意・宮中の意

 

うばたま‐の【×烏羽玉の】
[枕]烏羽玉1が黒いところから「黒」「闇(やみ)」「夜」「夢」などにかかる。ぬばたまの。むばたまの。

しょ‐や【初夜】
 六時の一。戌(いぬ)の刻。現在の午後8時ごろ。宵の口。また、その時刻に行う勤行(ごんぎょう)。そや。

ご‐や【後夜】
六時の一。寅(とら)の刻。夜半から夜明け前のころ。現在の午前4時ごろ。また、その時に行う勤行(ごんぎょう)。夜明け前の勤行

 

※美濃は御台の故郷:少将と出合った場所

 

さん‐がい【三界】
[名]仏語。1 一切衆生(しゅじょう)が、生まれ、また死んで往来する世界。欲界・色界・無色界の三つの世界。
2 「三千大千世界」の略。
3 過去・現在・未来の3世

 

はっ‐そう〔‐サウ〕【八相】
釈迦(しゃか)八相のこと。その第六相の成道(じょうどう)を重んじて、八相成道ともいう。

かりてい‐も【訶梨帝母】
《(梵)Hrtの音写》鬼子母神(きしもじん)。
叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将般闍迦(パンチーカ、散支夜叉、半支迦薬叉)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありながら、常に他人の子を捕えて食べてしまうため、釈迦は彼女が最も愛していた末子・愛奴児(ピンガーラ、プリンヤンカラ 嬪伽羅、氷羯羅天、畢哩孕迦)を隠して子を失う母親の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させた。以後、仏法の護法善神となり、子供と安産の守り神となった
 

杭瀬川(くいせがわ)は、岐阜県揖斐郡池田町、大垣市、養老郡養老町、安八郡輪之内町を流れる木曽川水系の河川。揖斐川支流の牧田川に合流する一級河川である。

三保の松原(みほのまつばら)は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地。その美しさから、日本新三景・日本三大松原のひとつとされている。

 

清見寺(せいけんじ)は、静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は巨鼇山(こごうさん)、正式には『巨鼇山 清見興国禅寺』(こごうさん せいけんこうこくぜんじ)と称する。)

よし‐な・い【由無い】
 不都合だ。よくない。
  縁もゆかりもない。関係がない。

名にし負うとは。
《「し」は強意の副助詞》「名に負う」に同じ。名に、その実体を伴う。また、その名とともに評判される

ぎゃく‐えん【逆縁】
 親が子の死をとむらったり、敵対していた者などのために仏事をしたりすること。⇔順縁。

1.し の 縁(えん)-日本国語大辞典
死について前世から定まっている因縁。死の宿縁。
しょう‐じょ〔シヤウ‐〕【生所】
《「しょうしょ」とも》
 生まれた場所。生地。〈日葡〉

(東京都台東区花川戸:浅草近辺:梅若の塚の対岸で、川下約3KM下流)

 

 

えん‐どん〔ヱン‐〕【円頓】
《「円満頓足」の略》天台宗の教義で、一切を欠くことなくたちどころに備えることができる意。実相をたちまち悟って成仏すること。
 

しのみやがわら【四宮河原】 

京都市山科区四宮付近において四宮川の川沿いに広がっていた河原。古くから京より東国へ向かう交通の要衝にあり,《平家物語》や《太平記》などにもその名が見える。中世に京都を中心に諸国を遍歴した琵琶法師たちはこの地で石を積み,道祖神をまつる姿で彼らの座の神事を行ったと伝えられる(《当道要集》《雍州府志》)。《宇治拾遺物語》には〈今は昔,山科の道づらに,四の宮川原と云所にて,袖くらべといふ,あき人あつまる所あり〉と見え,市も開かれていた。

大山寺(おおやまでら)は、神奈川県伊勢原市にある真言宗大覚寺派の寺院である。大山不動の通称で知られる。山号は雨降山(あぶりさん)。本尊は不動明王。開基(創立者)は良弁(ろうべん)と伝える。

そく‐ざ【即座】
その場。

 

前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)は、修験道の開祖である役小角が従えていたとされる夫婦の鬼。前鬼が夫、後鬼が妻である。

役小角を表した彫像や絵画には、しばしば(必ずではないが)前鬼と後鬼が左右に従う形で表されている。役小角よりは一回り小さい小鬼の姿をしていることが多い。

ぐ‐ひん【×狗賓】
1天狗(てんぐ)のこと