石山記 

 

説経正本集第2 (31)

 

(石山御本地付蓮花上人伝記)

 

天下一石見掾藤原重信正本

延宝から元禄頃

 

 

初段

 

それ、一切の衆生、無碍光如来の御名を聞き得て

生死出離のこうえん(溘焉)深くなること

偏に、念仏往生の一道に有り

 

ここに、身代わり名号の権現 

善知識の誉れまします。

 

蓮花上人の由来を詳しく尋ね奉るに

人皇百一代、後小松の院、明徳年中の事なるに

(※一代のずれあり、後小松は百代)

紀州藤白(和歌山県海南市藤白)の住人

しもこうべ(下神戸?)弾正左衛門国光とて

猛悪無道(もうあくぶどう)の勇士あり

 

生国は、近江の国、高嶋の郡(こおり)(滋賀県高島市)にて

杉山兵衛(ひょうえ)のぜう(尉)といっし者が、

同国、志賀の郡を知行せし

梅垣監物(うめがきけんもつ)豊重(とよしげ)という侍を

由無き事に討ちし故

梅垣、親類多く、高嶋にたまられず

(※杉山は)紀州藤白に下り

母方の叔父を頼んで深く忍び

右の家名(けみょう)を改め

弾正左衛門国光と名を変え

年月重なり、既に早

十七年の春秋をぞ送りける

 

男子一人もうく

即ち、形部の介国長とそ名乗らせける

 

元より弾正

大酒を好み、色に耽り

人の情けも顧みぬ

悪逆深き傲り者(おごりもの)

栄華に誇る身の果ては

何に喩えん方も無し

 

これはさておき、ここに又

和歌の浦に、梅垣権太郎豊春という

(和歌山市の南西部に位置する景勝地)

若侍の浪人あり

 

元来、近江の国、志賀の郡を知行せし

梅垣監物豊重の一子なり

常に、石山の観音を信仰す

しかるに豊春、七歳の年

父豊重を杉山兵衛という者に討たせけれども

その身、幼少なり

殊に、敵(かたき)、所を去って行方知れず

無下に年月を送る所に

敵、家名(けみょう)を変え、

紀伊の国にある由を聞き

本望を達せんと

十九歳の春より、母上を伴い

この浦里に陰を隠し

明け暮れ、敵を狙えども

終に巡り会わずして

今は、身命(しんみょう)送りかね

賎が手業に身を捨てておわします

 

されば豊春

親孝行の人なれば

営み苦しきその内にも

唐土(もろこし)のとうえい(菫永)が孝を感じて

七旬(ななじゅん:七十歳)に及びし老母を

土車に乗せ参らせ

浜に立ち出で、潮を焼き

憂き年月を送らるる

心の内こそ哀れなれ

 

かかる所に、その浦の海士人(あまびと)は

灘の潮焼く、いとまなみ(暇浪:暇ない)

とうと打っては、さっと引き

女波男波のその隙に

いざいざ、潮を汲まんとて

我も我もと磯辺に出で

ざんぶと汲んで持つや、た子(たこ?)の浦

吾妻(あずま)からげのしおらしや

汲めばぞ、月は桶にあり

月の夜潮を汲みけるが

豊春親子の体を見て

 

「さてさて、あの人は

老母と見えて車に乗せ

毎日、このところに出で

営む手業の隙々に

母を労るその風情

誠に奇特の人かな

我も人も、かくこそありたきものなれ」

と、打ち連れ、海士(あま)の自宅へ帰りける

 

その中に若の前と申して

いと優しき女性一人

汲みたる潮を下ろし置き

豊春の傍に立ち寄り

 

「のう、率爾ながら自らは、

この浦の潮汲み海女にて候が

御身の姿を、見奉るに

卑しき賎が仕業を営み給うお方とは

なかなか、見え候わず

殊に、老母と思しくて

毎日、車を曳き給う

孝行深きその有様

いとも殊勝に候」と

さも、優しゅうぞ申さるる

 

豊春、聞こし召し

「ああ、優しくも問わせ給う

古(いにしえ)如何なる人やらん

その姿、誰にか見せん梅垣が

色をも香もをも、知る人ぞ知る

花に心を寄せし身の

由無き事に国を出で

か様の体と罷り成り

殊に、一人の母上を

貧苦に遭わせ申す事

これのみ、悲しう候」と

さも、しおしおと語らるる

 

若の前は聞こし召し

「げに、世の中の哀れさは

何れに、愚かは候わず

自らも、古は

卑しき身にても候わず

儚なかりける世の有様

父にも母にも過ぎ遅れ

只、住む方の無きままに

かかる手業に身をやつし

誰を頼まん頼りも無し

然るに、御身の御心底

親孝行のその風情

情けありげに見え給う

哀れ、召し連れ給いなば

妾(わらわ)諸共、営みて

老母を育み(はごくみ)申すべし

御身、山へ分け入りなば

自らは浜に出で

潮を汲みて参らせん

あの母上を自らが

誠の親と思いつつ

供に孝行なし申さん

召し連れ給え」と

打ち萎れてぞ申さるる

 

豊春聞こし召し

「最前より、情けありげにのたまい

殊に、老いたる母上を

共に労らんとの志し

一入(ひとしお)嬉しゅう候

しかしながら、母上に尋ね申す

如何様とも、母の心次第にいたし申さん

さあらば、此方へ来たり給え」と

母の傍に伴い、右の次第、語らせ給えば

 

母、聞こし召し

「さてもさても、姿といい、心といい

いかさま、由有りげなる粧い(よそおい)なり

誠に世に浅ましき

老いたるむば(姥)を育まん(はごくまん)と

情けを掛けてのたもうは

前世の縁の結びかや

のう、豊春

かかる優しき女性(にょしょう)こそ

末頼もしき御方なり

伴い、庵に帰られよ

いざ、疾く疾く」とのたまえば

 

「とこうは、母の仰せに任せ申さん」と

仮初めながら、浜路にて

親子夫婦の契約あり

庵に伴い、年月を送らるる

試し少なき次第なり

 

これはさて置き

下神戸(しもこうべ)弾正左衛門国光は

家の子、侍、引き具し

藤白峠(南海市)に打ち上がり

狩り場のきょう(興)を催し

音に聞こえし岩代(和歌山県日高郡みなべ町)の

山峰を分け、谷へ下り

ここを先途と狩り巡り遊びしが

さも険しき関山(?)に

大きなる松の木あり

この梢(こずえ)に鶴の巣籠もり掛けてあり

勢子の者共、これを見て

 

「ここに珍しき物こそあれ、

今日の狩り場に

鷹にあうたる(与うる?)鳥も無し

鶴の子を取りて、主君の機嫌にいたさん」

「もっとも」という所へ

 

豊春、塩木を樵(こ)らんそのために、山に分け入り

件(くだん)の有様ご覧じ

「さても不憫や、

あれは、十日以前にようよう卵(かいご)を離れ

巣立ちも未だせざりしに

殺さるる事の不憫や」

と、やがて勢子に近づき

 

「如何に方々

か様の所に鶴の巣をくう事

試し稀なる御事なり

定めて、方々は、

当地の守護の人にて候わん

急ぎ主君へ言上ありて、助け給え

誠に鶴は千年の名鳥と祝う目出度き物

巣を掛け置きしは

所の守護の栄え給わん御瑞相

それを射取り給わん事

もったいなし」

と、のたもう所に

親の鶴、巣の中より現れ

子供に餌食(えばみ)を与えける

げにも優しき次第なり

豊春、いや(弥)不憫にて

 

「あれあれ見給え、人々

親子の哀れ深き事、人間に限らず

鳥類とても同じ事

只、御助け候え」

と、言葉を尽くし申さるる

 

勢子の者共

「やあ、小賢しき土民かな

鶴は、目出度き物とは

誰か知らざる者やある

その目出度い名鳥を

射取るが武家の誉れなり

その上、諸事を哀れむは

臆病の至りなり」

我先に、人先にと、争うその隙に

お鶴一羽、飛び来たり

育て置きたる巣籠もりを

やがて引っかけ

雲井遙かに飛び去りける

 

勢子の者大きに怒って

「さても、本意(ほい)無き事どもや

これ、偏に、

あの者が口を聞き、時刻移し

むざむざと逃がしたるこそ無念や」

と、悪口す

 

掛かるところへ、国光は

仕合(しあい)悪しく来たりしが

 

「やあ、それなる者は何者なるぞ」

「参候、最前、この木の末に

鶴の巣籠もり候が

親鳥共に、射落とさんと仕るに

この山人、由無き哀れみを申して

是非、助けよと、様々暇を取り

争い申すその隙に

かの鶴どもを、本意無く逃がし候」と

始め終わりを申し上ぐる

 

国光、大きに立腹し

「今日の狩りに、仕合(しあい)悪しく

そぞろ(漫ろ)に、腹の立つ所に

その似非者(えせもの)絡め取れ」

畏まって、取り付く所を

豊春、狼藉者やと

取っては投げ捨て、働き給えど

大勢どっと折り合い

無体に絡め取りしは

無念、類(たぐい)はなかりけり

 

国光、怒って

「さてさて、土民の身として

侍に手向かいするこそ

奇っ怪なり

今日の狩り場の慰みに

それそれ、首(こうべ)を刎ねよ

とて、既に、最期は極まりける

 

無惨やな豊春は、

思い寄らざる身の最期

年月の願い空しく

殺害(せつがい)に会い給うを

あまり無念に思し召し

 

「さてもさても(扨々)

これは無体なる仕業とは存ずれども

かくなる上は力無し

しかしながら、方々、侍ならば

某の申す所、よっく聞き分け給われ

某、命惜しきにては候わず

我を山林の土民と思し召さん

心に深き望みありて

か様の体と罷り成る

哀れ、この談、聞こし召し分けられ

今の命を助け給え

我、本望達しなば

速やかに、心のままになり申さん

先ず、この度は、助けてたべ」

と、再三乞うて申さるる

 

国光聞いて

「さて、望みとは何事ぞ

様子次第に助けん

有りの儘に申せ」

 

豊春聞こし召し

「申さねば、偽りなり

某は、親の敵候故、かく申し上げ候

構えて、ご沙汰あるべからす

偏に、頼み奉る」

と、涙を流し申さるる

 

国光聞いて

我が身に誤りある故、

思案を巡らし

他所(よそ)がましく尋ねんと欺き(あざむき)

 

「ええ、人かましやな

おのれ如きに何の敵があるべきぞ

命惜しさの謀(はかりごと)

偽りなくば、その狙うという敵

又、汝が家名(けみょう)実名(じつみょう)明らかに申すべし

左無きにおいては

打ち捨てん」

と、申しける

 

豊春聞こし召し

「さても、是非無き仕合わせかな

申さんは、おぼつかなし

又、申さねば、命を失う

力、及ばす

この上は、何を包み申すべし

隠密有って給われ

某、故郷は江州(滋賀県) 

梅垣権太郎豊春と申す者にて候らいしが

我、七歳の時

親にて候者を

杉山兵衛の尉と申す者に討たれ候

その刻(こく)、幼少といい

殊に、敵は国を去り

行き方知らず候ところに

今、この国にある由承り

何卒本望達せんと

この二三ヶ年、月日を送り候

この談、聞こし召し分け給い

御許し、被むらば(こうむらば)

一世のご恩ならめ」と

敵を知らず、語り給う

儚なかりける次第なり

 

国光驚き

「さては、梅垣が一子よな

昔より、愚人夏の虫、飛んで火に入るとは

か様の事をや言う申すらん

我こそ汝が親を討ったる

杉山兵衛

今は、下神戸弾正左衛門国光なり

あっぱれ敵の末

根を断って、葉を枯らす

我が手に掛け、打ち捨てん

天命尽きたる愚人や」

と、からからとぞ、笑いける

 

豊春、聞きもあえず

「さては、おのれ、親の敵か

さてもさても口惜しや

か程まで、弓矢神に捨てられたるか、無念やな

現在の敵を知らず

おめおめと、手籠め(てごめ)に会い

あまつさえ、縛り首を討たるるは

一世や二世やの因果かや

今、かく成り果つる(れ)ど

一念の悪鬼となりて

恨みを報ぜん

ええ、なり果てたり、浅ましや」と

歯がみをなし

さしもに、猛き豊春も

詮方のうぞ見えにける

 

国光、あざ笑って

「只今、打ち捨てん」と

太刀抜きかざし、後ろへ回る

かかる折節

 

最前の女鶴(めづる)飛び来たり

国光をはったとけた(けった)

蹴られて、弓手へかっぱと伏す

近所の侍、弓矢無く、いとひしめく間に

男鶴(おづる)、一文字に駆け下り

豊春を引っかけ

雲井遙かに上がりける

 

その時に、国光ようよう起きあがり

雲間をはったと睨み

「手に入(い)ったる敵を

討ち漏らしぬる口惜しや」と

歯がみをなして、帰りける

かの国光が心の内

無念なりともなかなか

申すばかりはなかりけり

 

 

 

二段目

 

その後、ここに哀れを留めしは

妻女(さいじょ)若の前にて留めたり

夫婦の契り合い深きその中に

三歳になり給う

嬰児(みどりご)一人(いちにん)おわします

しかるに、夫(つま)の豊春は

塩木の為に山へ入り

思いの外の難儀に遭い

討たれ給うと聞こし召し

詮方、涙に伏し沈み

流涕焦がれ泣き給う

落つる涙の隙よりも

 

「二世と兼ねたる夫を討たせ

帰らん事を嘆かんより

例い、女の身なりども

何卒、敵を謀りて(たばかりて)

一太刀、恨み

夫の為

身の教養に奉ぜん」と

乱るる内にも思い立つが

後にも心苦しきは

老いたる姥ごぜ(うばごぜ)この若が

さぞや物憂く思すらん

さはありとて、自らが

いったん、所存に任せんと

思いの色を書き置きし

心強くも、只一人(ひとり)

敵の館へ急がるる

 

敵の館になりぬれば

番の者に近づき

「これは、この頃、都より

思わず人に拐かされ(かどわかされ)

これまで参り候なり

哀れ、御情けに

下の水仕の奉公にも

召し置かせ給われ」と

まことしやかにのたまえば

番の者、つくづく見て

「さても、見目良き女性(にょしょう)かな

女房達、数多(あまた)ありと申せども

これに上越す方あらじ

望みの通り申すべし

何処の人なるぞ

いかに、いかに」と言うところへ

弾正左衛門、他行して帰りしが

この女性の姿を見て

元より色に迷う男

うかうかと心を移し

「それなる女性は

何故そこには、休らうぞ」

番の者、承り

「参候、召し置かせ給わば

宮仕え申さん望みにて候」

左衛門大きに喜び

「由緒正しき者ならば

それそれ、今より奉公申すべし」と

言い捨て内にぞ入りにける

 

若の前、嬉しく思し召し

「企みし(たくみ)知略、叶いたり

この上、尚も謀り(たばかり)

思いのままに討ち取らん」と

心の内に勇みをなし

やがて、内にぞ入り給う

 

さて、その後(のち)に、左衛門は

仲居の女房を召して

「最前の旅の女性(にょしょう)

急ぎ、奥に通せ」とあり

承り候とて

若の前を伴いて

奥の座敷に入りければ

悪びれ(わろびれ)給う気色なく

いと、尋常なる装い

つくづくと守り、左衛門は現(うつつ)無き気色にて

 

「如何に、女性

御身の旅の人なるが

何れの国にておわします」

若の前、聞こし召し

「されば、自らは

都の者」

とぞ申さるる

国光聞いて

「さては、都の人なるか

我も故郷は都近き者なるが

子細ありて、この所に

年久しく住み慣れ

自ずから、姿は

只居(ただい)な人となりぬれども

心は都に劣るまじ

今日、去る方へ立ち越え

なかなか大酒(たいしゅ)に酔い(えい)ぬれども

今宵は、都、上﨟を

花と眺めて、終夜(よもすがら)

酒宴を催し、慰さまん

それそれ」

と、ありければ

承り、銚子、土器(かわらけ)奉る

国光、盃取り上げて

たぶと受けて、さらりと干し

「今宵の稀人(まれびと)に

憚り申し候」

と、前後も知らぬ風情にて

酒宴の興を催しける

既に、その夜も更け行けば

その座に有りし者共

皆々、暇申し請け(うけ)

一間所に入りにける

かくて国光申すよう

「誠に縁は不思議のもの

今日、偶(たま)さかに見初めしより

徒(あだ)にも他所(よそ)に思われず

 これぞ、深き縁ならん

情けを掛けて給われ」

と、若の前の御膝を枕として

睦まじ気(げ)にて申しける

 

若の前、聞こし召し

「もったいなき、仰せかな

自ら如きの卑しき身の

かかる好意に召し使え

親しみ深く、篤(あつ)からんは

身の喜びに候えども

天の照覧、もったいなし」

と、さも打ち萎れ、のたもう体

露を含みし花の顔

例え方無き、その風情

見るに心のやるせなく

国光、申す様

「さてさて、御身は、

いらざる事に心を置き

我に物な思わせぞ

情けの道に

何故、隔てのあるべきぞ

左様に遠慮深くては

互いに心打ち解けず

只、何事もこの上は

御身の心に任すべし

打ち解け給え、上﨟」と

申す言葉も正体なく

次第次第に酔い(えい)勝り

とろり、とろりと眠りける

北の方、ご覧じ

「さてさて、良き時節なり

そなたなる太刀をおっ取り

心元を刺し通し

夫の手向けに奉らん」

と、思いしが

「いや、待て、しばし、我が心

し損じては大事なり

未だ、夜も半ばなり

内にも、皆々休むまじ

今一時(いっとき)、かくてあらば

その内、番の侍ども

寝入らぬ事はよもあらじ」と

前後の首尾を考え

急き(せき)立つ心を押し静め、押し沈め

時刻を移しおわします

若の前の心の内こそ、由々しけれ

 

掛かる折節、豊春は

慈悲心、天に叶いつつ

危うき難を千載の

鶴にまさしく助けられ

虚空を翔(か)ける心地して

敵の館と白雲の

掛かる森の傍らに

左右(そう)無く下ろし、この鳥は

行方知らず、失せにけり

 

豊春は、只呆然として立ち給うが

「あら、嬉しや、鶴に命を助けられ

 陸地(ろくじ)へは落ちたるが

ここは、何処にてあるらん」と

心を静めて、そなたを見れば

人住む館と思しくて

灯火(ともしび)の光、明らかに

障子に映るを見つけ

その火を頼りに

忍び、忍びに立ち寄り

障子の隙より

そっと覗いて見給えば

疑いも無き、敵左衛門

我妻の膝を枕に伏し居たり

豊春、大きに驚き

 

「これは、不思議の次第かな

さては、某は、

敵の館へ来たりたるか

然れども、我妻は

いかなることに、ここには来たり

剰へ(あまつさえ)敵とは

早くも、慣るる心や」と

不審をなしておわします

 

若の前は、良き時分と思し召し

左衛門が太刀を取らんと

少し、膝の揺るぎければ

国光、現心(うつつこころ)にて

「何と、上﨟、最前の情けの言の返事は

無きか、無きか」と申せば

若の前、なんとなく

「如何で、仰せを背くべき

去りながら、殊の外

ご酒の酔い(えい)い出せ給うぞや

今、少し、休ませ給え」

と、申さるれば、

答え(いらえ)の言葉もあらずして

又、余念なくこそ寝入りける

 

豊春、様子を聞きすまし

「ええ、口惜しき次第かな

某、か様の体になりたること

あの女めが聞きつけ

おのれが難儀を逃れんため

母や若を振り捨て

この所へ、身を立てに来るな

ええ、憎き女かな

某、これへ来るこそ

偏に、天の与えなり

駆け入て、女房共に

打ち捨てん」と思し召すが

 

「待て、しばし、我、未だ縛め(いましめ)を解かれず

この体にて、駆け入らば

きゃつめらは討たずして

返って、某、討たるべし

年来の敵、道に背きし女めを

眼前に置きながら

討つことの叶わぬは

天道に捨てられたるか」と

さしも剛なる豊春も

涙に暮れて立ち給う

 

去るほどに若の前

敵は寝入る、夜は更くる

時分は良しと、太刀おっ取り

すわと、抜いて胸に当て

「如何に左衛門

自らこそ、汝が打ったる

豊春が妻女なり

報いの程を思い知れ」と

刺し通さんとし給う時

左衛門、かっぱと起きあがり

ね(寝)をいれ(入れ)

中々正体無く

かなたこなたとする内に

障子の元に追っ詰められ

「しばし、しばし」

と言う所を

豊春、すかさず

障子、共に、はたと蹴倒し

上にどうと打ち上がり

膝にて強く押さえ

「豊春なるは、

女房、よくも計らい給いたり

この縄、早く解き給え」

若の前驚き

「のう、珍しや、夢なるか」と

やがて、縛め解き給えば

その時、豊春、下なる敵を取り伏せ

「如何に、国光

巡る因果を思い知れ

年来の本望、これまで」と

首中に打ち落とし

「いざや、此方へ、我妻」と

妻女を肩に引っかけ

塀の上を乗り越え、跳ね越え

庵を指して帰らるる

これ、石山の観音を

信仰ありし故なりと

皆、感ぜぬ者こそなかりけり

 

 

三段目

 

さても、その後、豊春は

親の敵、国光を

思いのままに、討ち済まし

御喜びは限り無し

去りながら、今にも追っ手掛かるべし

片紙も早く、立ち退かんと

さてとよ、若を妻女に抱かせ

その身は又、母上を肩に労り

夜半に紛れ、庵を出で

里々、関々(さとざと、せきぜき)打ち過ぎて

再び、世にも和泉なる

佐野の里にぞ着き給う(※泉佐野市)

 

元より、豊里、貧者といい

敵を討って、その身まま、国を退きし故

蓄えもあらばこそ

女性の連れの足弱に

人目を忍び

夜な夜な道を行き給えば

日数、重なり、今は早

飢えに疲れ給いけり

 

去れどもここに

荒れ果てたりし、辻堂あり

先ず、立ち入りて、休まんと

その夜は、そこに宿らるる

さればにや、豊春

孝行深き人なれば

我が身の疲れ厭わず

母上の御事を悲しみ

 

「のう、母上様

年月の願いも叶い

本国に帰り

父の本領安堵して

母上をも安楽に御座あらせんと思いしに

本望達せし甲斐も無く

飢えに疲れさせ給うべし

さ有りとて、食事をば参らせん様なし

ああ、恨めしの浮き世や」

と、涙に暮れておわします

 

母上、聞こし召し

「嬉しき、今の言葉かな

妾(わらわ)は、老い木のことなれば

飢え果て、空しうなるとても

少しも苦しゅう無き身なり

哀れ、御身達を故郷へ着かせ

所領の主(しゅう)になしたきと

心計りて候ぞや

妾が事を少しも案じ給うな」

と、夫婦の人を労り給う

 

母上の心の内こそ有り難き

労しや若の前

老母の御難儀を悲しみ

「有り難き、お心

何とか奉仕申さん

ああ、思いいだしし

それ、天竺の正えん女は(※不明)

母、年老い、食事不自由(ふじゅう)なる故

飢え死なんとす

正えん女、乳み(にゅうみ)を与え孝を尽くす

自らも、乳みを参らせ申すなば

少しは、疲れ晴らさせ申さん」と

豊若(とよわか)を父に抱かせ

その身は老母の御傍に立ち寄り

「せめて乳みを聞こし召し

飢えを晴らさせ給えや」と

乳みを勧め給いける

北の方の孝行

試し稀なる次第なり

母、これを用い給い

「ああ、嬉しゅう候、嫁御前(よめごぜ)

常に御身の志し

かくまで労り、孝行深く

返す返すも嬉しけれ

この度は、御身の心、切なる故

乳みを用い侍れども

重ねては、必ず与えんと思い給うなよ

不憫の上にも、愛おしき、孫の食事を

如何にとして、妾、用い申さんや

我は、老い木の事なれば

少しも苦しゅう侍らず

孫子を労り給われ」

と、重ねて用い給うべき気色は

さらさらなかりけり

 

既に、その夜も更け行けば

夫婦の人々

母上を、少し休ませ給えと

様々労り奉り

良きに宿らせ申さるる

さて、夫婦の人々は

密かに、談合有りけるは

 

「いかなれば、か程まで、

運命は尽きたるぞや

如何に、女房

今、四五日、続きなば

本国へ帰るべきに

さても是非無き次第かな

この体にては、飢えに疲れ、相果てん

例え、御身と某は

一日二日、食事、用いぬとても、苦しからず

せめて、母上に乳みを用い給いなば

御命、恙なく(つつがなく)、本国へ帰るべし

豊若、不憫に思し召し、聞こし召さねば

故郷へ帰る事難き

所詮、この子が心易くなかりせば

母に乳みを参らせ

本国へ御供と申さんに

さすが、この子も捨てられず

御身は如何に」と

涙を流し語らるる

 

北の方、聞こし召し

「もっともかな、乳みをだに聞こし召さば

お疲れ候らわまじ

この若、労り給う故、用い給わず

お心ねの愛おしや

不憫には候えども

幼き者を如何にもなして

老母へ乳房を参らせなば

お心も強からん

生きとし生ける物

殊に子を悲しまぬ物は無し

しかれども、命だに長らえなば

子には又、逢瀬もあり

親に別れて、夢にだに

逢い見ん事は成り難し

老母を労り給えや

あら、恨めしの浮き世や」

と、しばし、消え入り嘆かるる

 

豊春、涙の隙よりも

「さても、さても頼もしや

我は、誠の親なれば

この身諸共、失うとても惜しからじ

おことの為には、舅(しゅうと)めなるに

孝行深き志し

唐土(もろこし)のとう夫人(※不明)にも

勝りたる賢女かな

それのみならず

郭巨(かっきょ)という者

(故事:郭巨の得釜)

老いたる母を育ごくみかね

一人の嬰児(みどりご)を山中に埋づまんと

打ちける鍬(くわ)の下よりも

黄金(こがね)の釜を掘り出だし

再び、長者になるとかや

それは、天の哀れみ

我は、如何なる因果にて

只ひとりあるこの若を

殺す様にはなりたるぞ

ああ、死なしたる世の中や

去りながら、我も、親の為にてあるなれば

天命、如何で悪しからん」

と、又消え消えとぞ嘆かるる

無惨やな、幼き者

今、死するをば、知らずじて

父母が、顔を撫で

戯れ遊ぶ有様を

見るに付けても北の方

只、消え消えとなり給う

 

「ああ、世の中に

親の恩程重きもの

如何であるとも思われず

三年(みとせ)の今日の今までは

不憫に育てたる

幼気(いたいけ)盛りのこの若を

親の為にて、亡きならば

何とて、思い切るべきや

のう、豊春殿、ご覧ぜよ

今に、殺すを知らずして

無惨やな、豊若は

余念も無げに遊びしは

ああ、不憫のこの子やな

ああ、恨めしき有様を

見て、憂き旅を忘れしに

死しての後は

何にて心を晴らすべき

か程薄き機縁なれば

など、出生(しゅっしょう)はなしけるぞ」

と、掻き口説き、縋り付いてぞ、泣くばかり

 

豊春、涙を抑え

「尤もなれども、親の恩

思えば、尊き事ぞかし

ひと思いに、あれに見えたる池水の

底の水屑(みくず)となし果てん

いざ、此方へ」

と、北の方諸共に

蓮(はちす)の池に伴い給う

心の内こそ哀れなれ

 

水際(みぎわ)になれば、夫婦の人

此処や彼処と(ここやかしこ)佇みて

水の深み、ここならんと

思い定めて有りながら

恩愛深き嬰児を

捨てもやられず夫婦の人

互いに顔を見合い

嘆き沈みておわします

去れども、豊春思い切り

 

「別れは同じ事ぞかし、それ、此方へ」と

若を抱き取り給えば、北の方

「のう、親子の契りも今ばかり

乳房を含ませて

母が名残を惜しまん

此方へ」と

悶え、焦がれて、嘆かるる

 

豊春も、目眩れ、心は消えゆれども

「ああ、未練なり、女房

さのみ、心乱れては

親孝行の詮もなし

ああ、南無阿弥陀仏」

と諸共に、池水にざんぶと沈め

「南無三宝、死なしたり」と

夫婦諸共、ひれ伏し

声をばかりに泣き給う

 

かかる折節

辻堂におわします母上

嘆きの声に驚き

起きあがり、見給えば

人々は、ましまさず

夫婦の人の嘆く声

池の畔(ほとり)に聞こえたり

近づき様子を尋ねんと

杖に縋り、よろよろと

立ち寄る足も引きかねて

いとど物憂く、心急き

ようよう、池に着き給い

「のう、方々は、

何故にここへ来たりつつ

嘆き給うは不思議なり

ああ、豊若は見えざるが、

何処に(いづくに)有るぞ」

とのたまえば

夫婦、何とも、言葉無く

わっと叫びておわします

 

豊春、涙を抑え

「されば候、ご覧ずるこの上は

何をか包み申すべき

か様、か様の心にて

池に沈め候」と

涙を流し、のたまえば

 

母は、驚き

「やあ、自らを助けんとて

幼き者を捨てたるとや

これは、現(うつつ)か夢なるか

老い木の末の妾故

稚き(いとけなき)豊若を

殺せしことの情けなや

あら、恨めしの人々や」

と、悶え焦がれて嘆かるる

 

「所詮、自ら有る故に

御身達にも思いを掛け

愛(いとお)しき孫を先立て

後に残りて何かせん

我が身も池へ身を沈め

生死の苦界を逃れん」

と、身を投げんとし給うを

夫婦取り付き

 

「こは、もったいなき御事や

母上助けん為にこそ

我が子を殺して候ぞや

御聞き分け候わずば

我々夫婦も

如何でか後に長らえん

平に止まり給われ」

と、様々、教訓なし給う

夫婦親子の御有様

理(ことわり)せめて哀れなり

 

かかる所に

その頃、泉州(せんしゅう)貝塚の庄(貝塚市)には、

しんよ(信誉)上人とて

念仏の大道心ましますが

不思議に如来のお告げを被り給い

かの所へ来たり給う

この有様をご覧じ

 

「如何なる事ぞ」と問わせ給う

その時、老母

「参候、これなる者は

妾が子にて候

孫を一人持ち候が

年寄りたるこの姥(うば)を

救わんとの孝行故

幼き者を、この池へ、

空しゅう、捨てて候わ」

と、又さめざめとぞ嘆かるる

上人も涙に咽び(むせび)

 

「さては、左様で候か

愚僧、これへ来たる事

如来のお告げ有り

『この蓮(はちす)の池の辺り(ほとり)に

嬰児(みどりご)あり

急ぎ拾い、師弟の縁を結ぶべし

これ、善知識と成る事、疑い無し』と

霊夢に任せて来たりしに

一入(ひとしお)念無き次第かな

しかしながら、仏も孝行第一と

万法(ばんぽう)の中に説き給う

いでいで、その嬰児を弔い(とぶらい)

成仏なさせん」

と、池の水際(みぎわ)

「皆、実相の心地して

法(のり)を請けよ(うけよ)」

と、鈴(りん)を振り、上人

 

「南無西方の阿弥陀仏

童男童女(どうなんどうじょ)快楽(けらく)じょう(浄)

南無阿弥陀仏」

 

と、皆、同音に、南無阿弥陀仏と

一向一心に、弔い給うぞ有り難き

 

不思議や虚空に音楽聞こえ

花降り、池の蓮も一入に

花鮮やかに開きける

その中に白蓮華(しろれんげ)一本

花を蕾(つぼみ)て、水中より出生す

人々、不思議を成す所に

この花、はっと開き

鮮やかなりし花房に

豊若、

 

(欠落アリ)

(以下、石山御本地蓮華上人伝記より補綴)

 

  只黙然と、笑みを含みてあり

  豊春親子三人は

  余りのことの嬉しさに

  感涙、袖を絞りける 

  上人も

 

  「有り難や、有り難や

  孝行深き徳により

  天も感応ある故に

  嬰児、二度出生す

  奇特(きどく)なり」

 

  と、のたもう時

  蓮華に座せし豊若丸

  立ち、居直り

 

  「父よ、母よ、姥御前(うばごぜ)」

  と、指を指してぞ招きける

  上人、それそれとのたまえば

  豊春、やがて水中に飛び入り

  急ぎ、若を抱き取れば、

  

(以下石山記に戻る)

 

老母、妻女諸共に

喜び、涙は堰あえず

上人、仰せけるは

 

「元より、仏のお告げ

掛かる不思議の嬰児を

愚僧が弟子に仕らん」

と、即ち、御名を改め

蓮花丸(れんげまる)と付け給い

「いざいざ、此方へ、人々」

と、お寺を指して帰らるる

かの上人の御法力

有り難しともなかなか

申すばかりはなかりけり

 

 

四段目

 

去るほどに、今は早、蓮花丸(れんげまる)

十五歳に余らせ給う

老母は、去んぬる永禄(1500年代半ば)の頃、往生あり

 

その節、豊春夫婦の人も

出家の望み有りけれども

若君、未だ幼少なれば

上人、止め置き給う

さればにや、若君

昼夜、学問なされしが

元より、仏の再誕なれば

仏学の発明、偏に如来の御化身かと

皆人、尊っとみ給いける

 

ある時、若君

御心(みこころ)や、疲れけん

少し、まどろみおわします

しかる所に、母上、枕元に立ち給い

 

「如何に蓮花丸、

昼夜の学問怠らず

仏道に心寄せ

如来の報恩、尊っとむ事

返す返すも嬉しけれ

自ら、おことが、母なれど

まさに人間にあらず

おことが父、豊春は

幼少にて、親を討たせ

明け暮れ、敵を討たせてたべと

我に祈誓(きせい)す

元より、愚痴の凡夫を救わん為の本願

又は、親の孝ある心を感じ

 

(以下補綴:御本地)

仮に人間と現れ、夫婦妹背の契りを込め

願いの如く、敵を討たす

この報いの業を果たさせ

(以下本文)

 

仏地(ぶつぢ)に引導なさせん為の方便なり

さて、老したる母をも

極楽往生遂げ給う

父豊春も仏道に入り

発心修業の望み深し

これ、他力本願の力なり

おこと、いよいよ出家を遂げ

一門眷属、引導あれ

しかれども、報いは逃れぬものぞかし

敵の一子、豊春を討たんと願う

然れども、その罪、父に来たらず、おことに巡る

敵の一子が、討たんと申せども

少しも身命(しんみょう)を惜しまず

本願の為、命を捨つるものならば

敵も共に、成仏の一蓮托生の縁となり

出離決定(けつじょう)疑い無し

因果の道理を知らせん為

今まで、仮に現れて

いぎょう(易行)他力の念仏を

能々(よくよく)勤め給いなば

又こそ、対面申すべし」

 

と、不思議なるかな

白雲の靡(なび)く上に乗(じょう)し給い

 

「夢にて無きぞ、現(うつつ)にも

母が言葉を疑ごうまじ」

 

と、御声、新たに、雲井遙かに上がらるる 

若君、驚き、目を開き

 

「まさしく今のは、母上なり

こは、不思議や」

と、虚空を翔ける御姿

有り難きその内に

「今、暫く、暇乞い申さん」

と、さすが別れの悲しさに

嘆き沈みておわします

 

かかる所へ

豊春、来たらせ給えば

若君、ありし次第を語らせ給う

豊春、聞きもあえず

「我も現(うつつ)の如く、

おことが様に告げて虚空に上がる

夢醒め、見れど、妻は無し

余り不思議晴れやらず

御身に知らせんその為に

来たりけるが、

これは、希代(きだい)の事共なり

先ず、この由を、上人に問い奉らん

此方へ」

と、やがて、御前(おまえ)に出でらるる

右の通りを、事細やかに

語らせえば、上人は聞こし召し

 

「おお、左様の事も有るべし

大慈大悲の誓願には

無仏衆生を救わん為

妻となり、子と生まれ(むまれ)

様々利益(りやく)なさるる事

釈文(しゃくもん)に明かなり

方々、信心強き故

疑いもなく、仏(ほとけ)菩薩、付き添い給う

かかる不思議のある故は

片紙も早く、父子(ふし)共に、

出家し給え」

と、受戒を授け

親子の人、やがて御髪(おぐし)、剃り給う

有りがたかりける次第なり

 

さて、豊春を、善浄坊

さて、若君を、蓮花坊と付け給う

善浄、上人に向かい

「かく有り難き身となる上は

片紙も早く、諸国修行、仕り

如何なる山にも取り籠もり

いよいよ未来を願い申さん

お暇たべ」

と、申さるる

上人、殊勝に思し召し

「菩提の道、御身の心に任せ給え 」

善浄、喜び

さて、蓮花坊に、暇乞い被成(なられ)つつ

修業の旅に赴き給う

有りがたかりける次第なり

 

さて、上人、蓮花坊に仰せけるは

「おこと、仏菩薩の胎内より

出生(しゅっしょう)ありし事なれば

衆生引導の善知識に疑い無し

何れの法味(ほうみ)をもって

往生の関門、真の道理ぞや

如何に、如何に」

と仰せける

 

蓮花坊

「誠に、それかし

卑しくも、上人様に助けられ

御哀れみ深く被ぶり

有り難き御法(みのり)聴聞仕り候

その中に尊っときは

阿弥陀如来の御本願、忝なく候

その故は、第十八の願(がん)に

念仏の信心を勧めて

諸行を説かず

乃至(ないし)十念の行者

必ず、往生すべし

一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)

と申すより外は

別の法、見候わまじ

往生の肝要

これに、極まり候わん」

と、さも鮮やかにのたまえば

 

上人、大きに感じ給い

「さても御身は

未だ年も行かず

有り難き、得道(とくどう)かな

かいさん(開山)こうそ(高祖)のへんさ(?)やらん(※再来の意カ)

決定往生(けつじょうおうじょう)の関門

念仏に過ぎたる事無し

さて、しゅうたく(住宅)の修行、強からんや

又、諸国遍路の修行

この二つの内は

いずれか、よろしからん」

 

蓮花坊、重ねて

「そのだんは、

利益(りやく)の品(しな)により申さん

然るに、内の出家の身は

一旦、修行仕り

世間の憂い無常を見て

衆生を誡め(いましめ)

法義を勧めたるが

真実の利益と存(ぞん)候

御暇を申し受け

修行仕度候」

 

上人、殊勝に思し召し

「ひとつとして、徒(あだ)なる事は無し

 然らば、幸い、修行望みの僧、数多(あまた)有り

この人々と巡り

無仏(むほとけ)の者を

菩提の道へ引導あれ

さあらば、形見を参らせん」

と、紺紙金泥の名号を、取り出ださせ給い

 

「これは即ち、我が開山の、御自筆なり

したい(次第)相承(そうじょう) 

善知識に伝わる所の霊宝なり 

これを、御身に譲り申すなり

奇特(きどく)の不思議の名号

これなり

よくよく信じ給うべし

今よりも、御身を

蓮花上人と申すべし

如何に如何に」

と、仰せける

 

「こは、有り難き御諚かな

早や、お暇」と申さるる

上人、名残惜しやとのたまいて

簾中に入り給う

 

それより蓮花上人

旅の装束、去る程に、

蓮花上人は、同宿、数多(あまた)伴いて

孝養(きょうよう)修行の旅の空

 

※以下道行き

 

さぞや仏神三宝も

いかで哀れみ無かるらん

修行の縁を頼まんと

熊野に参り、三つの山

補陀落や、岸打つ浪は、三熊野の

那智の御山に、響く滝つ瀬と

心静かに、伏し拝み

是や、むろ(牟婁)の郡なる

浦山かけて(駆けて:掛けて)遙々と

こま(駒)の岬(那智勝浦町宇久井半島)を打ち眺め

いつか、我が身も極楽の 

台(うてな)の縁に大崎の(※逢う)

 (※三重県志摩市浜島町大崎半島 )

 里をも越えつつ塩津浦

(※ 和歌山県海南市下津町塩津)

向かいは和歌の浦山や

(※和歌浦(わかのうら)は和歌山県北部)

月の夜船に頼り得て

光も差すや玉津嶋

(※玉津島神社 和歌山県和歌山市和歌浦中)

その古(いにしえ)は父上の

母諸共に年を得て

ここぞ妹背の山住まい

今は、大日の誓いにて

親子諸共出家して

菩提の岸に至る身の

頼めや頼め、弥陀の為

人は雨夜(あまよ)の空なれど

雲晴れぬとも、西へ行き

仏の教え有り難し

水底(みなぞこ)澄みて明かに

流れも清き紀ノ川の

渡し守さえ心地して 

関の戸、開くる山口の

(※和歌山県日高郡印南町山口 )

里、離れたる山中

(※大阪府阪南市山中渓谷:熊野古道沿い)

下は、吹飯(ふけい)の浦とかや

(※大阪府泉南郡深日(ふけ)の海岸)

父御(ちちご)に何時か、大川(※逢う)の

宿にも今は和泉なる

住み慣れ給いし貝塚を

(※大阪府泉南地域)

修行の身なれば、他所ながらもや打ち眺め

大鳥五社の大明神を伏し拝み

(※和泉国一宮:大阪府堺市西区鳳北町)

信太の森の恨み葛

くわのは(桑の葉)

北は、住吉、神々(こうごう)たり

西、蒼海(そうかい)満々と

沖より波の打つ音は

もの凄まじき風情かな

巡り巡りて今は早

堺の港に着き給い

旅の休息晴らさるる

かの上人の有様

殊勝なりともなかなか

申すばかりはなかりけり

 

 

五段目

 

これはさて置き、此処に又

敵(かたき)弾正左衛門国光が一子

形部の介国長は

幼少の時

父、国光を豊春に討たせ

親の敵、豊春を

如何にもして、討ち取らんと

家の子、六人、引き具し

心を砕き、尋ぬれど

終に、敵に会わざれば

無念、類はなかりけり

 

このころ、津の国に有りけるが

今、堺の浦にて

蓮花坊とて、尊っとむ事

その隠れあらざれば

国長、聞いて大きに喜び

血気無謀(けっきむぼう)の若者にて

人々に打ち向い

「年来、尋ねし、親の敵、豊春が一子

和泉の国、貝塚の寺にある由

これもって、隠れなし

いざや、立ち越え

きゃつめに、豊春が行方を問い

ししょう(子細)知れざる時こそ

敵の子なれば

せめて、彼めを討って捨て

日頃の瞋恚(しんい)を晴らさん」と

ひょうちゅう(評定)極めて

貝塚、指してぞ急ぎける

 

これはさて置き、蓮花上人

数多の同宿、諸共に

都の方を心がけ

堺の港に入り給う

 

国長、御僧達を見るよりも

「是は、何方へ通り給う、御僧ぞ

貝塚の寺へは、未だ程遠く候か」

蓮花上人、聞こし召し

「さて、それは何のお尋ねぞ」

国長、聞いて

「されば、その寺に、蓮花坊と(や)

少し用有りて、参るなり」

 

上人聞こし召し

「その蓮花坊と申すは

即ち、愚僧が事にて候」

国長、喜び

「さては、御身は、

梅垣権太郎豊春が、一子にて候か、

なかなか」

と仰せける

「如何に、若僧(にゃくそう)

某を誰れなると思うぞ

その方が父、豊春に討たれたる

弾正左衛門国光が嫡子

形部の介国長とは某なり

汝が親を討たんと思い

年来、久しく狙えども

終に会わず

かの寺へと参り

豊春がししょう(子細)を問い

是非、これ、世に無きならば

せめて汝を討って

瞋恚を晴らさんと、来たるところへ

因果は車の輪の如く

巡り会うこそ、嬉しけれ

法師とは言わせじ、覚悟せよ」

とて怒りける

 

同宿、驚き

「如何に方々、それは無道(ぶどう)の至り

たとい、敵なりとも

法師の身となりたるを殺さんとは

邪見放逸かな」

と、 我も我もと申しける

 

その中に、かんち(観智)坊とて

大力(だいりき)の法師(ほっし)進み出で

「如何に、無道の汝ら

鬢髪(びんぱつ)を丸ろめ 

解脱道者(げだつどうしゃ)にして

仏の跡(あと)を足るる身を

討たんと申す大悪人

微塵になさん」

と跳んで掛かるを

上人、やがて押しとどめ

 

「ああ、騒々しや、方々」

と、押し沈め心に思し召すは

 

 『誠に、いつぞや、母上の

  おことに、巡る因果あり

  敵、命(めい)を取らんと言うとも

  少しも、身命(しんみょう)惜しむなと

  仰せられしは、これぞかし

  妄語戒を破りても

  父の代わりに討たれん事こそ、うれしや』と

 

「さては、御分(ごぶん)は、

愚僧が父、豊春を

狙い給う人なるか

御身の親父(しんぶ)を

某が父、討ったる時分は

某、幼少なれば

様子を存ぜず候

然るに、父、豊春

発心の身となり

山居(やまい)いたし候が

重病に冒されて(おかされて)

相果て候

愚僧は、正しく、敵の種

争う用も無し

人の為に命を捨つるは、出家の役

殊に、親の為に討たれ申すは

喜びの上の喜び

ちっとも、命は惜しからじ」

と、そのまま、そこに座し給う

 

国長、聞いて

「おお、何とて、許し置くべきや

父が代わりに命を取るぞ

念仏申せ」

と、怒りける

 

蓮花坊、

「何かさて、望む所

如何に、同宿達

構えて、嘆き給うなよ

只、念仏、唱え給われ」

と、暇乞いなされ、

さて、御師匠より給わりし

御(ご)開山御(おん)自筆

紺紙金泥の御名号、取り出させ給い

傍成る松の木に、掛け置き給い

 

「南無阿弥陀仏

一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)

討つつ討たれつ

敵、味方の霊魂

成仏得脱なり給え

南無阿弥陀仏」

と、深く回向ましましける

こうざ(合座)に座し

合掌を胸に当て 

「早や、切り給え」

と仰せける

 

国長、太刀抜き、後ろに回る

「父、幽霊も、草の陰にて

さぞや嬉しく思すらん」

とて、ちょうど、切り

首は、敢え無く、落ちにける

 

不思議や、かの首、宙に上がり

忽ちひらげ、蓮花となり

南の字に現れ、見えにければ

上人の御首に、ちっとも子細はなかりけり

さて、件(くだん)の名号の

南の字は、そのまま消え失する

 

国長、

「是は、不思議の次第かな

正しく、首は討ちたると思いしが

切り損じてありけるか」と

又、振り上げて、はたと切る

 

今度も首は落ちけるが

右の如く、宙に上がり

又、無の字と成りければ

上人、何事無く

名号唱えおわします

南無の二字の後よりなかるる事

不思議というも、余りあり

 

さしも、邪見の国長

共人の若者

この奇特(きどく)を見るよりも

しんい(神威)に応え、感歎し

太刀を彼処(かしこ)に投げ捨てて

「さても、さても、か程まで

仏道の奇瑞ましまし

夢にも、不存

かかる尊き、上人様に

刃(やいば)を当てし身の咎(とが)を

先ず、平、御許し候いて

只、御弟子になして、たび給え」

と、涙を流し申しける

 

その時、南無の二字

金色(こんじき)の光を放って

虚空を指してぞ、上がりける

去るほどに、蓮花上人

「殊勝なり、殊勝なり

悪心、懺悔有るにより

善心菩提の縁となる

さて、今世(こんぜ)に至るまで

身代わりの名号とて

見る人、聞く人、おしなべて拝し奉る

如何に国長

それ、人間の首、切ること

例えて、曰く

仏のれんけさ(蓮袈裟)を切って落とすが如くなりと

名号の奇瑞を拝し

得道(とくどう)あるこそ、殊勝なれ

さあらば、出家し給え」と

やがて、髪をぞ剃り給う

 

それ、名号の南無の二字を切って

善人となる心をもって

蓮切(れんさい)坊と付け給う

さて又、残る六人は

血気悪心に組みしたる人々なれば

切(さい)の字を上に付け

切なん、切こん、切たん、切うん、切しゅん、

切りんと、いちいち、次第に付け給う

 

「これかや、

悪人の友を振り捨てて

善人の敵を、招けとは

御身の事か、有り難や

有り難し、有り難し

とても、懺悔の物語

夜すがら、いざや、申さん」と

仏果(ぶっか)の縁に引き入れ給う

蓮花上人、御法力

今の世までも

有り難しとも、なかなか。申すばかりはなかりけり

 

 

 

六段目

 

去るほどに

有り難や、蓮花上人は

諸国修行、残り無く

近江の国、御影山(三上山:近江富士:百足山)の麓

やす川(野洲川)の宿に着き給う

日も暮れ方のことなるに

とある、商家(しょうけ)に宿を召し

各々、休息なされける

夜半ばかりのことなるに

その屋の亭主を初め、男女

何れ共、知れざる物、衣(きぬ)に包み

 

「恥ずかしき、申し事にて候えども

只今、主(あるじ)の女房

平産(へいさん)仕り候が

人の形にあらず

か様の物、出生(しゅっしょう)仕り候故

何れも、驚き候

定めて、御僧様は、か様の事、ご存じあるべし

不思議を晴らさせ給われ」

と、涙を流し、申しける

 

上人、それそれと

衣(きぬ)、引き退けさせ、見給うに

毬(まり)のようなる卵生(らんしょう)なり

皆々、不思議をなし給う

上人、の給うは、

「か様の義、試し多き事なれども

皆これ、報いの業なり

この屋の亭主は、

常に殺生を営み

渡世を送る人よな

懺悔あれ

奇特(きどく)を現し、見せ申さん」

 

その時、亭主

「誠に、某、山川を家と仕り

鳥、獣(けだもの)を打ち取り、商売にし候」

上人、聞こし召し

「おお、懺悔ある上は

この卵生を開かせ

その証拠を現さん

(し)うしょうかいぐじょうぶつどう

(※衆生 皆共成佛道:回向文「願以此功徳」部分)

頼もしき弥陀の御誓願

南無阿弥陀仏」

と、回向なさるれば

不思議や卵生

二つにさっと開き

その内より、出ずる見れば

頭は人間、胴体、手足、

皆、畜生の形なり

主(あるじ)一門、胆(きも)を消し

 

「さてさて、浅ましや

かかる報いのあるものを

知らざる事の儚さや(はかなさや)」

と、皆々涙を流しける

上人、聞こし召し

「報いの業の恐ろしきこと

かく歴然なるこの上は

殺生をふつと止め(やめ)

仏道、信仰あるならば

この形、人間となり

仏果の縁、疑いなし」

と、のたまえば、主一門、

「何かさて、か様に浅ましき体を

見申す上は

殺生を止まり申すべし

さて、仏道信仰とは

如何様の義にて候ぞ」

 

上人、重ねて

「その段な、易き事

先ず、ものの命を取るまじと思うが

早、仏道のしょもん(初門)なり

階段、多しと言えども

殺生戒、第一の誡めなり

さて、万法(まんぽう)の中に

優れて尊っときは

阿弥陀の本願なり

下根下地(げこんげじ)の衆生

無知無行(むちむぎょう)にして

極楽往生疑い無し

只、一筋に

助け給え、南無阿弥陀仏と申されよ

今、この浅ましき姿も

明らかなる人間と、転ずべし」と

かの身代わりの名号を

稚き(いとけなき)者に頂戴させ

南無阿弥陀仏とのたまえば

亭主一門、声々に

南無阿弥陀仏と

皆、念仏を申しける

 

誠に、さんしゅひょうしん(三種病身)だに

正に助かる、大乗の冥加

疾く、不可思議の如来の誓願、有り難や

手足、畜生の形

はらりと脱ぎ捨て

誠の人の形となり

実りの程こそ有りがたけれ

 

亭主、余りの嬉しさに

「さてもさても、忝なや

偏に、御僧は、

生き仏にておわします

御名は何と申し奉る

いよいよ、御進め給われ」

とぞ申しける、

 

上人、

「これ、まったく愚僧が力にて少しも無し

如来の御助け

ご恩の程を思い給わば

殺生の道をやめ

只、南無阿弥陀仏、助け給えと申されよ

目出度う、往生、疑いなし

我々は、これより石山へ参詣す

互いに命、候らわば

又こそ、会う(おう)べし、さらば」

とて、夜も明けぬれば、上人は

石山指してぞ、参らるる

有りがたかりける次第なり

 

山にもなれば、

「さても、殊勝のみやま(御山)かな

そも、この寺の始まりは

聖武天皇年中に

奈良の都、東大寺大仏供養の御時

良弁僧正、勅を受け

陸奥(みちのく)より

黄金(こがね)を初めて、内裏へ奉る

その頃、建立ありしなり

慈悲観音、霊験尊っとき、御寺ぞ」と

信心深くおわします

 

しかるところに、不思議やな

父、豊春

諸国修行ましませしが

即ちこれへ参詣あり

 

上人は、ご覧じて

「のう、父、蓮浄坊殿でましますか

我こそ、蓮花坊にて候」と

御衣に取り付き

これは、これはとばかりなり

 

互いに、修行、積もりしこと

人を利益(りやく)の物語

殊勝なりける、親と子の

心の内こそ、有り難けれ

 

蓮浄、仰せける様は

「それなるは、皆、愛(あい)弟子にて候か」

上人、聞こし召し

「此方(こなた)より申さんと思う所に

お尋ね候

これは、弾正左衛門国光が一子

形部の介長にて候が

我々親子は、敵なれば

国々、狙い給う所に

某、巡り会い

蓮花坊とは、我なりと

有りの儘に語り

母の教えに任せ

首の座に直りしに

名号の奇瑞を拝し

荒き心を和らげ

そのまま、発心し給い

今、蓮切(れんさい)と申すなり

さて又、残る六人は

蓮切に付き従いし人々にて

いずれも、発起仕り

皆、我が弟子となり給う」

と、初め終わりを申さるる

 

蓮浄、聞こし召し

「さては、左様に候か

今より後は、

互いの悪心滅しつつ

共に、成仏疑い無し

いざや、仏前に参らん」

と、やがて、お前に参らるる

さて、内陣(ないじん)に跪き(ひざまつき)

 

「南無や大悲の観世音

一切衆生、悉く

西方極楽往生の誓願

助け給え、南無阿弥陀仏」と

暫く、回向なされける

 

時に、不思議や

何処(いづく)とも無く

おさあい(幼い)の衣装ひとつ

扉に掛かりたり

人々、これはと、心を止めて、見給いける

時に父上、

「如何に、蓮花坊、

正しく、この薄衣(うふぎぬ)は

おこと、稚き(いとけなき)時

御身が母の設(しつら)いて

着せたる衣装に、疑い無し

いかさま、不思議、晴れやらず

この寺の住持(じゅうじ)に尋ねん」

と、さて僧正に近づき

 

「我々は、諸国修行の聖にて候

只今、仏前を拝し申すに

このうふきぬ(薄衣)

内陣に設い給うは、

如何なる事にて候」

僧正、

「誠にこれは、不思議の次第かな

定めて、聞きも及ばせ給わん

この本尊の事は

勅に任せ、開帳いたして候

もとより、か様の衣(きぬ)は

この方には、不存(ふぞん)候」

と、のたまえば、

親子の人、いよいよ(弥々)不思議をなし給う

 

時に、不思議や

くうでん(宮殿)の扉、はっとぞ、開きける

人々、奇異の思いなし

肝胆砕きおわします

 

その時、御堂の内より

異香(いきょう)薫じ

仏前の殊勝さ、信心勝る折節

有り難や、観世音

自ら、御帳(みちょう)を開かせ給うを

拝し奉れば

不思議や、蓮花上人の母上

昔の御姿、顕れ出でさせ給う

稀代(きだい)なりける次第なり

人々、いよいよ感歎し

涙に暮れて、礼(らい)をなす

 

その時、御声、有り難や

「珍しの蓮花坊

母が言葉を違えず

仏道修行の志し、神妙(しんびょう)なり

さて、只今のうふきぬ(薄衣)は

親と子の疑いなき、その印

無仏の者を、仏道に至らしめん

大慈大悲の誓願

誰か、一人ももらさんや

昔は、人に交わりて

営む業(わざ)に此処彼処(ここかしこ) 

歩みを運びし、そうかい(草芥)の

土に穢れし類(たぐい)まで

眼前に見る上は

争う事は少しもなし

なおなお、他力本願の

勧めは、一向一心に

南無阿弥陀仏の名号を

唱えて、衆生済度あれ

教えの道は、これまでなり

早早、暇」

とのたまえば

蓮花坊親子の人

住寺、同宿、悉く

随喜の涙にむせばるる

 

蓮花上人、のたもう様

「さてさて、有り難き、御事かな

とてもの御慈悲ましまざば

正身(そうじみ)の御姿 

明らかに、拝まれさせ給われ」

と、涙と共に申さるる

 

母上は聞こし召し

「さあらば、疑いを晴らさん」と

「よくよく、尊っとみ申すべし」と

御帳を押し立て

暫くありて、有り難や

御厨子の内より明らかに

今在西方名阿弥陀(こんざいさいほうみょうあみだ)

娑婆示顕観世音(しゃばじげんかんぜおん)

願えや願え、衆生、南無阿弥陀仏」

と、御声、新たにましますとき

自ら、御帳、さっと開き

金色の御肌へ

十一面観世音

光を放って現れ給う

 

さてこそ、上人の御母は

石山の観世音にてましますと

末代までも隠れ無し

それより、蓮花上人は

念仏の大道心

中興開山善知識

衆生済度のご方便

二世安楽の御誓い

仏法繁盛

有り難きともなかなか、申すばかりはなかりけり

 

つるや板