おうしょうぐん
王照君
日暮小太夫
寛文九年巳酉陽月吉日(1669年)
二条通り鶴屋喜右衛門板

 

第一

 

それ唐土(もろこし)のちらん(治乱)を考え申すに
一天の主(あるじ)、万丈の君として
邪険にして、人民を悩まし給えば
必ず滅び易し
仁義にしておんくわ(温厚)なるは
わうくわ(王化)久しく行わる
誠に仁者に敵無しと言っつべし
ここに、後漢の光武皇帝と申し奉るは、
古今無双(ぶそう)の帝にて
政徳を四方(よも)に敷き
万民を哀れみましませば
吹く風、枝を鳴らさず
降る雨、土塊(つちくれ)を動かさず
国も豊かに栄えつつ
誠に目出度う聞こえける
一千人の后達
月を妬み(ねたみ)、花を欺く(あざむく)御風情
中にとりても、王照君と申し奉るは
第一の美人にて
管弦の道、達し給い
御琵琶の名人にておわします

さてまた、身内の武将には
「しばいりゅう」、「しばゆう」とて
文武二道の名人あり
国の盛衰を鑑み(かんがみ)
天下の政道正しく
君を守護奉る
さて、その外の諸侯大名、日々に参内いたさるれば
誠に、内裏の御門には
市(いち)の立つに異ならず
然りとは申せども
御門、聖君にてましませば
ある時、四大将(しだいしょう)を御前に召され
「如何に面々、承れ
朕、既に位に就きてより
さのみ悪しき政(まつりごと)を
行うとは思わねども
なおなお、心許(ここともと)なし
それ、一天の主たる身が
確かなる師範無うては叶うまじ
我、未だ匹夫の時
常に親しき友達に
「げんしりょう」という者あり
これ、誠の賢人たり
今は定めて、世を逃れ
草の庵の住まいたるべし
彼を天下の執権と定めたく思えども
跡を消し、名を変えて
容易くは尋ね難し
朕、つくづく、案ずるに
「しりょう」が姿を絵に描かせ
こうご(向後)山中を尋ねて
似たる者のあらば召し出して
実否(じっぷ)を決せんと思うは如何に」
とありければ
人々承り
「か程、国土が治まりて
何の不足も無き所に
尚も、賢人を求め給う事
偏に(ひとえに)尭舜(ぎょうしゅん)の御代に劣らざる次第なり」と
各(かく)謹んで感じ申さるる
その時、「もうえんじゅ」と申す
絵描きの名人を召され
か様、か様の面体なりと
詳しく仰せ下さるれば
畏まって候と
やがて、絵図を調えて差し上ぐる
帝、つくづくご覧じて
「誠によくも写してある
未だ一目も見ぬ者を
言葉の下にて写すこと
例し少なき次第なり」と
御喜びは限りなし
やがて、数多の官人(かんにん)どもを召し出だし
一天、四海を残らず尋ね申すべしと
固く仰せ下さるるは
げに有り難くぞ聞こえける
かくて、宣旨の勅使立ち
海を渡り、山を越え
くまなく尋ね求むれど
姿の似たる人も無く
尋ね疲れていたりける

ここに、しょく(蜀)の国のかたわらに
人倫遙かに隔たり、さんらん(山巒)塵を払い
こうずい(光瑞)穢れを濯ぎ(すすぎ)
水草清き内に
釣りをたるる人あり
彼があたりに近づき
絵図に合わせて見てあれば
紛う(まごう)所はなかりけり
官人達、嬉しくて
「御門よりの宣旨なり
いざさせ給え」と引っ立てる
「しりょう」打ち見て
「ああ、姦しし(かしまし)、方々よ
田を作って飢えを救い
井を堀りて乾きを潤す
この上に、何の望みありて
都へは赴くべし
その退かれ候え」とて
尚、釣りたれてぞいたりける
勅使、聞きて
これぞ誠の「げんしりょう」たるべしと
又、謹んで申すよう
「これこれ、ご覧候え
かようかように絵図に写して
天(あめ)が下を尋ね候えども
御身ほどに良く似たる人も無し
もしも、御身がその人なれば
御門の御後見(おんうしろみ)となりて
天下の執権に備わり給うなり
しからば、ひとつは君の為
二つには万民の為なれば
ただただ、従い、都へ御出で候え」と
理を尽くして申しければ
「しりょう」とこう申さず
流るる水を手に受けて
耳を洗いていたりけり
勅使これを見給い
「こはそも如何に」と問いければ
「しりょう」聞いて
「されば、先ほどより宣うことの
あまりに穢れて覚ゆれば
水にてにて耳を洗い清め申すなり」
とぞ仰せける
勅使も今は、呆れ果てていたりしが
また、さし寄りて申すよう
「さように宣う御身は
「げんしりょう」にては候わぬ(※か)
只今、漢朝(かんちょう)の主をば
光武皇帝と申し奉って
昔は、御身と親しき御友たる由を
綸言にて候
古(いにしえ)、交わし置かれたる
御物語も候由
固く宣旨に候えば
御馴染み(なじみ)の印には
先ず、一度は、都まで御出であり
ご対面候て、 ともこうも御申しあれ」とぞ申しける
その時、「しりょう」打ち肯き(うなづき)
「さらば、方々、帰りて申すべきは
古の親しみに、一度は対面申すべし、
去りながら、都へは参るまじ
是非是非、会いたく候わば
これへ来られ候えと申されよ」
とありければ
「その気にて候わば、その由奏し申すべし」と
喜び勇み、勅使達、
都を指してぞ

かくて内裏に参内仕り
一々、次第を申し上ぐれば
御門、叡聞ましまして
「さあらば、行幸あるべし」とて
御輿に召されつつ
蜀の国へと行幸なる
御忍びとは申せども
さすが天子の事なれば
官人(かんにん)、前後を打ちかごみ(囲み)
まだ、東雲の横雲に
内裏を出でさせ給いけり
これは、卯月(うづき:4月)の末なれば
木々の梢も茂り合い
明け残りたる月影の
卯の花が木に移ろいて
叢木(むらぎ)に渡る雪かとも
疑ごうばかりの気色なり
おりへがおなる(?)ホトトギス(蜀魂)
旅の哀れや添えぬらん
山又山を過ぎ行けば
溌墨(はつぼく)ちょうちょうとして
微かに叫ぶ猿の声
岩間のツツジ、時得たる
御幸の興(きょう)とぞなりにける
急がせ給えば程も無く
早、蜀山(しょくさん)にお着きあり
「げんしりょう」が帳内(ちょうだい)に
則ち、御輿をかき留むる
「しりょう」やがて立ち出で
「あら、珍しの御御幸(おんみゆき)かな
こなたへ入らせ給え」とて
荒れたる床の塵、打ち払い
御門を御座に移し参らせ
越し方の御物語
王道覇道(おうどうはどう)の道を尽くし
小夜もようよう更けぬれば
いちょう(帷帳)内へ伴い入り
夜すがら(終夜)枕を並べつつ
御物語と聞こえけり
既にその夜も明けぬれば
色々、すかさせ給い
同じく車に召されつつ
喜び勇み
それよりも
都を指してぞ還御(かんぎょう)なる

既に、内裏に入らせ給い
様々の御もてなし
申すも中々愚かなり
かかる目出度き折からに
「えいせい(映星)」「客星(かくせい)」と申す
二つの悪星(あくせい)指し出でたり
取り分け「映星」は、光る事火炎の如し
回ること車輪に同じ
公卿大臣驚き
これはこれはとばかりなり
その時、御門
「げんしりょう」に向かい
「これは、何の せんひょう(先表)ぞや」
「しりょう」聞き給い
「さらば、語り聞かせ申すべし
それ、三国のけつじょう(決定)は
三光に象る(かたどる)なり
いわゆる三光とは
月日星、これなり
しかるに、月に障り(さわり)ある時は
天竺に災いあり
それ天竺は、月氏(がっし)国と申して
月に象る故なり
日に咎めある時は、扶桑(ふそう)国に祟りあり
扶桑国は日本国と申して
日に例えたる国なり
星に不思議ある時は、
唐土に悪事あり
それ、唐土は、しんだん(辰団)国とて
 星になぞらえたる故ならずや
さて、只今の二つの星
北に出でたる客星(かくせい)は
この度、我が草の庵に御幸なり
同枕(どうちん)に起き伏して
天子、諸人の分かちも無く
我が君と足を献げて伏したる故(?)
その咎め、天に顕れたれば
少しも苦しからず候
又、南に出でたる「映星」の光
車輪の如く巡るこそ大事なり
近き内に夷狄(いてき)の夷(えびす)
大軍をもって押し寄せ候べし
遮って軍勢を使わし
防がせ給え
それがし、かくて候わば
よも、大事には及ぶまじ」と
一々次第を語らせ給えば
皇帝は驚きましまして
司馬いりゅう、司馬ゆう
両武将を召され
「既に、夷狄の夷
帝都を傾けんとする由
急ぎ、両人馳せ(はせ)向かって
おっ返し申すべし」とて
りょう(龍)の御旗
二流れ下さるる
両人、畏まって頂戴し
「夷狄の奴原、思う様(さま)に撃ち破り
やがて、凱陣(かいじん)申すべし」と
申し上ぐる
その時、「げんしりょう」、人々に打ち向い
「方々の面魂(つらだましい)
夷狄を討つべき器量
各(おのおの)にしくは無し
必ず、命を全くすべし
去りながら、軍中(ぐんちゅう)に
差し当たる法あり
あらまし、語り申すべし
それ、大将の心持ちと言うは
路次(ろし)の人民を悩まさず
乱暴狼藉を固く誡め
国を費やる事なかれ
陣中に女を固く誡めよ
諸軍勢、陣を固めずんば
大将、帷幕(いばく)に入て食することなかれ
功有る者には、時を移さず
篤く賞を行うべし
法を破る者には
強く罰を与ゆべし
国を取らば
朝夕、情けを万民に深くして
味方の心を一重にせよ
千人を砕く事は、一人のえい(穎・叡)にあり
 もし、味方、負け戦(いくさ)ならば
例え千里の道なれども
それがし、駆けつけ
力を添え申すべき
心強かれ人々」と
勇め給えば
いとど、勇む両将軍
勢い掛かって御前を立ち
りょう(龍)の旗を先に進め
既にその勢十万余騎
夜を日についで打ち立てける
あっぱれ頼もしきとも中々
何に例えぬ方も無し

 

 

第二

 


これはさて置き
「けんたつ王」は、一族の諸侯に
「てつけんばく」「ばくりけつ」とて
宗徒(むねと)の人々近付けて
「さて、面々は、如何思われるぞ
この国は夷狄(いてき)の夷(えびす)とて
漢朝(かんちょう)にては卑しむれども
国広く人の心、こう(幸)にして
萬(よろず)乏しき事は無し
されども、良き美人を持たず
漢朝の美人を一人奪い取り
一の后と具えん(そなえん)
方々如何に」と仰せける
一座の人々、尤も然るべしと申さるる
「けんだつ」大きに喜び
「さらば、勢を催すべし」
先の大将には、
「ちくりとう」「けんかいらん」
優れたる大力の者なれば
やがて両人、召し出だし
由をかくと申し付け
その勢、三十八万余騎
唐土の都を指して急ぎける
夥(おびただ)しゅうぞ見えにける

これはさておき
漢朝の大将達
夜を日に継いで打つ程に
胡国(ここく)とこなたの境なる
じんだい江(ごう)と申す
大川の岸に打ち望み
この川を前に当てて
寄する敵(かたき)を待ち給う
これは、霜月(11月)二十日あまりの事なるに
殊更(ことさら)寒気強く
川の面(おもて)いっぺんに氷り
鏡の如くに煌めいたり(きらめいたり)
両大将ご覧じて
「胡国の奴原は、馬の達者に候えば
氷の上、渡し越さんは治定なり
こなたよりの手立てには
熱湯を拵え(こしらえ)
こなたの岸より流し掛くるものならば
次第次第に溶けぬべし
その時、敵、氷の下に落ち入て
水におぼれて失せぬべし」
尤も然るべしと
上下、熱湯を拵えけるは
由々しかりける次第なり

案の如く、胡国の大勢
川岸に打ち寄せ渡さんと
大将「ちくりとう」、川の面に立ち出で見て
「さても、厚き氷かな
この上を渡さん事は
いと易かるべしとて
鞍置き馬、二つ三つ(みつ)
追い降ろし渡させける
漢の大将、これを見て
拵え置きたる熱湯を手に手に汲み流しける
氷、厚しと申せども
熱湯に攻められて
氷は薄くなりにけり
案の如く胡国の大将
我先にと打ち込み打ち込み
厭が上に重なりて
おめき(喚き)叫んで渡しける
先駆けの二万人
氷の下に流れ入り
行き方知らずなりければ
胡国の大将、これを見て
「さても、無念の次第かな
そもこの川は舟だにも
通う事ならねば
如何にと思うと叶うまじ
この川上、三十里ばかりに
まんり山(万里山)と申して大山(たいざん)あり
麓を回って駆け入るべし
されば、皆々引いて行くならば
敵(てき)、やがて悟るべし
勢を少し残し置き
早早、山へ回るべし
各々然るべし」とて
三万騎を従え、上の山へと

かくて、漢朝の大将、司馬いりゅうは
まだ東雲の早朝に
役所を回り、四方(よも)を詠じていたりしが
向うの山より
猪(しし)、兎、様々の獣(けだもの)が
群がって逃げ下る
司馬いりゅう、これを見て
「あの獣、人に恐るるものならば
山へこそ入るべきに
これは、異国の奴原が
万里山を回って寄すると覚えたり」
急ぎ、司馬ゆうを招き寄せ
か様か様の次第なり
「しからば、こなたにも
手立てを変えて防ぐべし」とて
それより、五里後(あと)に
鉄山と申す山に打ち上がり
石弓、大木拵え(こしらえ)
寄する夷を待ちかけたり
案の如く胡国の勢
一同にどっと乱れ入る
されども、漢の人衆(にんじゅ)
一人もあらざれば
さればこそ、敵、悟って逃げたりと覚えたり
何処(いづく)迄も追っかけよと
鉄山の坂、中まで登る所に
拵え置きたる石弓大木をひしぎかくる
この石弓に打たれ
そくはく(促迫)滅びて
失せにけり
去れども夷(えびす)
新手を入れ替え攻めければ
今は、互いに打ち物取りて
火水(ひみず)になれとも見えにける
凄まじかりける次第なり
胡国の勢のその中に
万力(まんりき)と申す大力
黄楊(つげ)の棒に鉄(くろがね)の鋲(びょう)打て
一丈余りに見えたるを
軽々とおっとり
四方八面に打って掛かる
ここに漢朝に聞こえたる
「りくし」と言える豪の者
大の手鉾(てぼこ)を下げ
かの万力に渡り合い
しばし、戦い申せしが
互いにむずとひっ組んだり
万力、力や勝りけん
「りくし」を取って伏せ
首をふっつと引き抜き
五町ばかり投げ捨てけり
司馬ゆう、これを見て
「憎くき、万力めに
数多(あまた)の味方を打たせたり、只、一矢」
(と)引き絞り
下拳(さがりこぶし)にはったと射る
無惨やな万力
うつ伏しにかっぱとまろぶ
立つより首を打ち落とし
寄せ来る敵(かたき)を
はらりはらりと切り立てる
夷狄の夷も堪えかねてぞ引きにける
さるほどに、漢朝の大将
防ぎ、戦うとは申せども
夷は多勢のことなれば
終に(ついに)は、味方危うく存なり
「所詮、この度は和睦して
重ねて大勢を催して
打って取らぬは易すかるべし
如何、あらん」と申さるれば
尤もと答う(とう)じける
されば、ここに
ぜんかん(前漢)こうそ(高祖)の臣下に
 樊噲(はんかい)が子孫に「はんり」と申す者は
力、人に優れ、一騎当千(とうぜん)の兵(つわもの)なり
彼を召され
か様か様の次第なり
由を尋ね来るべし
畏まって御前を罷り立ち
かくて、「はんり」は、
敵(かたき)の陣屋に行き向かい
使いの由を申しける
敵の大将、これを聞き
それ、こなたへと招じける
「はんり」、大将の間近く参り
片膝押立て居たりけり
大将、由を尋ね給えば
「はんり」畏まりて
「されば、この度
覚すも大軍をもって押し寄せらるること
漢朝の帝王、御身に取りて
少しも覚えはなけれども
押さえの為に両将軍を差し向けらるる所なり
意趣を委(くわしく)承らん」と
げに明らかにぞ申しける
大将、大きに感じ
「この大軍にの中へ一人来たり
詞(ことば)鮮やかに申す状
さてもさても神妙(しんびょう)なり
それそれ、引き出物」と言えば
畏まって若者ども七八人して
大の鉄棒をハンリが前に差し置きける
ハンリおっ取り
二振り三振り打ち振って
「あっぱれ究境の棒かな」と
にっこと笑い差し置き
さて、ご返事はと申せば
両大将、申さるるは
「されば、この度の軍は御国の望み無し
又、御門へ宿意(しゅくい)も無し
御存の如く、我が韃靼国には
見目良き女無き候
良き女を奪い取りて
我が国王の后に具え申さんと思い立ちて候
漢朝の后の内にて
見目良きを一人給わらば
軍を差し置き、和睦申す申すべし」
と申せば
「さあらば、帰りて、その由を申すべし」
と、礼儀を述べて立ち帰り
両将軍の御前に参り
か様か様と申せば
「それこそ易き次第」とて
皆一同に相談して
重ねて使いを持って
美人を参らせんと申せば
夷狄、悦び
御迎いの為にとて
ヘンカイ、チクリキ両人を
漢の勢に相添えて、都に遣わせ
各々、暇(いとま)申して
両方に別れけり
誠に荒き夷だに
女に心優しかりける次第
理とも中々、例えぬ方も無し

 

第三

 

去るほどに、漢朝の大将
胡国の夷を伴いて
早、都になれば
両将軍、やがて参内仕り
「さても、この度の軍
か様か様の次第にて
既に和談(わだん)に致し候
胡国の夷の大将両人
召し連れ参り候」由、申し上げられければ
君聞こし召され
元より慈悲第一の名王(めいおう)にて
人の命を失う御慎み(つつしみ)ましませば
「よくこそ和睦申しつれ
兼ねて、か様の望みと知るならば
合戦(かっせん)には及ぶべきか
后一人の苦しみに
など万人を替ゆべきぞ
この度、討たれし者どもの
御教養有れ」とぞ聞こえける
さて、両将軍には
位を一階、並びに国を拝領あり
上下残らず喜ぶこと限り無し
さて、御門は、「げんしりょう」を招き寄せ
か様か様の次第なり
如何あらんと仰せければ
「しりょう」、つくづく思案して
「これ、望みの所の幸いなり
それ、国王の国を奪われ給う事
第一に色に耽り(ふけり)
政(まつりごと)を怠り給う故なり
しかれば、今
彼が望みに従いて
后一人遣わされ候わば
夷は色に耽り
朝夕、淫乱ばかりに心掛け
国の掟も緩く(ゆるく)
下の憂いも忘るべし
されば、上を学ぶ下なれば
その下々(したした)まで
女に耽り候べし
その潰え(ついえ)に乗って
国をも討ち取り
又、后も奪い返し申さんは
これ、案の内なれば
急ぎ、后を使わされ然るべし」と
申さるる
御門聞こし召し
誠に尤もの仰せにて候と
御答え(いらえ)は有りながら
さすが、后一人とは申せども
荒き夷の手に渡さば
さぞや恨み申すべき
彼をやらば彼が恨み
此方(こなた)を遣わす物ならば
又、此方の恨みにて
分けて誰とも定め得ず
案じ煩いおわします
時に、夷狄の夷
急ぎ后を下さるべしと
度々(たびたび)奏聞申せば
御門、詮方ましまさず
「さあらば、一人遣わすべし
我も今より色に愛づる(めづる)身ならねば
千人の顔(かおばせ)を
つやつや見知り候わず
分けて誰とも言い難し
この先、「げんしりょう」を絵に描きし
「もうえんじゅ」は上手なり
彼に申しつけ絵に写させ
紫宸殿に掛け置くべし
その中を選って(えって)遣わすべしとの勅諚にて
奥に入らせ給いける
臣下大臣畏まり
やがて絵描きを召し出し
何れも何れも后達に
御出であれとぞ触れさせける
去るほどに后達
これを、晴れとぞ出で立って
次第次第に出で給うは
春の御園(みその)に咲く花の
朝露含む風情にて
どれを取れと分け難し
さて、面々に差し向い
詳しく下絵を描き写し
それぞれの御名を聞き
一々に記し(しるし)つけ
絵描きは我が家に立ち帰る

労しや后達
ひとつ所に集まり
「あら、物憂や、悲しやな
いかなる者、御門の御目に物憂く見え
異国へは渡るべき」
さぞや、言葉も不束に(ふつつかに)
荒々しき異国の人に会い染めては
いかで、命もあるべき」と
皆々嘆き給いしは
げに理とぞ聞こえける
その中に紅梅(こうばい)と申す后
智慧賢き御人(ごじん)にて
「いやいや、これは千人のその内にて
一の見目悪しく醜き方を
遣わされんとの事なるべし
絵描きに宝を取らせ頼むならば
さだめて見目良く描くべきなり
面々はともかくも
妾(わらわ)は、絵描きに頼みてみん」とぞ
仰せける
いずれも、尤も然るべしと
思い思いにいんぶつ(音物)を拵え
絵描きの方へ立ち越えて
「のう如何に、「もうえんじゅ」
頼み申すぞひたすらに
例え我らが生まれつかぬ事なれども
目元口元しおらしく
笑い顔尋常に描きて給われ、絵描き」と
種々(しゅじゅ)の宝を得させつつ
思い思いに立ち寄りて
袖を引き、頭(かしら)を撫で
笑い戯れ、頼まるる
絵描きは欲と嬉しさに
「御任せ候え、畏まって候」とて
有らぬ笑顔に写しけるは
げに理とぞ

これはさておき
その中に
王照君(おうしょうぐん)と申せしは
千人第一の美人にてましませば
絵に写すに及ぶにはあらねども
この度(たび)の絵図(えず)に
一人も洩るるはあらざれば
「さて、我が姿
如何、絵には写すべき
御前、遠き人々こそ
絵にてご覧も候べき
定めて自らが事は
御心にも覚し(おぼし)忘るる事あらじ」と
去らぬ程(てい)に思いなし
我が身の事とは思し召さず
「あら、定めなや、労しや
千人のその内にて
誰かは異国へおわすらん
我も人も女ほど
物憂きものはよもあらじ」
人の上に思いなし
哀れみ給うぞ労しき
かかりける所に
写し絵ども出で来たり
早、御殿に掛くる由
御局(おんつぼね)より告げ来たれば
将軍もやがて局に入り給う
去るほどに官人(かんにん)達
かの写し絵を
次第次第に紫宸殿へぞ掛けにける
既に御門、ならせ給えば
「げんしりょう」を初めとし、臣下大臣
皆々、御前に伺候して
かの写し絵を叡覧あるこそ面白けれ
描くも描いたり写したり
后達の顔形(かおかたち)
物によくよく例うれば
春待ち顔なる梅の花
雪の内より咲き染めて
誰が(たが)袖、触れし匂いぞと
風の香も懐かしき
これは又、海棠(かいどう)の
眠れる姿の花の色
濡れてや色を深見草
松に掛かれるふじ(藤)なみや
岸の山吹、岩躑躅(つつじ)
とうくは(桃花)は紅(くれない)にして艶やか(あでやか)なり
りくは(李花)は白うして潔し
蓮(はちす)は君子の類(たぐい)かや
しほん(しおん:紫苑)、リンドウ(竜胆)、萩の花、桔梗(ききょう)、苅萱、女郎花(おみなめし)、かうきく(?黄菊)、紫蘭(しらん)、様々の花色(?かしょく:はないろ)
詠い入てぞ立ち給う
上より八番目に当たる絵ぞ
少し劣りて見えければ
「これを、胡国に遣わすべし」
との綸言にて
御殿に移らせ給いける
さて、八番目の絵を見てあれば
王照君(おうしょうぐん)と記したり
人々、これは思えども
綸言なれば、か様か様と申し上げる
御門ははっと思し召し
その絵を御前に召され
御名を読ませ給えども
紛う(まごう)御名も有らざれば
これは、絵描きの誤りなりと
御気色も変わりて
呆れさせ給えば
その時、「げんしりょう」申しけるは
「綸言、汗の如し
出でて、再び帰らぬなり
照君(しょうぐん)を急ぎ送らせ給え」とある
御門、力及ばせ給わず
王照君を召し出だし
「これ、見給え
御身の名書きたる絵は
描き誤ると見えたれども
これも前世の宿業
恨み給わん、悲しやな」と
涙に咽び(むせび)宣えば(のたまえば)
照君、夢の心地にて
御前に伏しまろびて泣き給う
口説き事こそ哀れなれ
「如何なる罪の報いにや
千人のその中に
我が身一人を描き誤り
かかる仰せの下るぞや
聞くも、いぶせ(鬱悒)き荒夷(あらえびす)に
取られて行かん悲しさよ
胡国へとては参るまじ」と
悶え焦がれ給えば
御前、伺候の諸大臣
皆々、袖をぞしぼらるる
「げんしりょう」は照君に近づき
「御身、この度、図らずも
写し絵の違い(たがい)にて
夷の手に渡す事
皆々、不憫に存ずるなり
しかれども、万人の命を助け給う事
慈悲と言い、忠と言い
誰かは(たれか)御身に勝るべき
それがし、身を捨て
程なく取り返し申さん」と
誠の色を見せ給う
照君、ななめに思し召し
「我が君の御為なれば
捨てん命は惜しからず
去りながら、千人のその中に
かかる選みに会う事こそ、拙(つたな)けれ」と、
口説き嘆かせ給うを、御手を取り
局を指して入れ参らせ
御門も涙に咽(むせ)ばせ給い
寝殿に入りさせ給う
君、照君の御有様
哀れとも中々、何に例えぬ方も無し

 

第四 王照君

 

去るほどに、漢王は、御殿に移らせ給いつつ
照君の御事を、御労しく思し召し
嘆き沈ませ給いしが
小夜更け(ふけ)方の事なるに
いつも御手に触れ給う
御琵琶を取り出させ
さよ(小夜)の大臣を召されて
仰せ下されけるようは
「この琵琶と申せしは
先帝よりも、御形見に下されてよりこの方
片紙も身を離す事のあらねども
この度、照君が、一人赴く(おもむく)旅の空
さぞや物憂く思うべき
身に物思いの有る時に
その上、猛き鬼神も障礙をなさぬ事なれば
汝、局へ持ち行きて
道すがらの慰みにいたすべしと申せ」と
宣いも果てず
御袖にはらはらと掛かる御涙を
押さえ兼ねさせ給いつつ
寝殿に入らせ給いしは
有りがたかりける次第なり
大臣、琵琶を賜り
急ぎ、それより、照君の局に参り
か様か様と申さるる
労しや照君は
御門の使いと聞くからに
嘆き沈みてましますが
起きあがらせ給いつつ
此方へと有りければ
大臣、琵琶を取り持って
御門の勅諚、琵琶の威徳
詳しく語り給いければ
照君、つくづく聞こし召し
「あら、有り難や、忝なや
罪に沈む自らが
行く末の事までを
かく細々と御労り
とこう申すに及ばれず
ただ悲しきは我が身ぞ」と
嘆き沈ませ給いけり
かくて、御送りの官人達
早、夜も明け候
旅の御用意候えと
声々に申しければ
大臣も涙に暮れ
「やがて」とばかり言い捨てて
泣く泣く帰らせ給いければ
労しや照君も
名残惜しげに見送り
涙と共に局に入り給い
旅の装束なされける
心の内こそ

あら、労しや照君は
乗りも習わぬ、田舎輿(いなかごし)に召されつつ
官人、前後を打ち囲み(かごみ)
異国の夷が先に立ち
思うも遠き万里の旅
赴かせ給いける
心の内こそ哀れなれ

名残尽きせぬ都の空
住み慣れ給いし楼閣も
遙かの後になりぬれば
せめての事の恋しさに
振り返えし見給えば
早、都の空は遠ざかり
木々の梢も打ち霞み
時を奏する太鼓の音
微かにこそは聞こえける
最早、これが、限りかと
輿の前にうつ伏して
悶え焦がれて泣き給う

夷狄(いでき)の夷は事変わり
悦び勇みて一足も
先へ先へと進みける
ようよう行けば程は無く
てんじんきょう(天人峡)に差し掛かり
とどろとどろ(轟々)と踏みならす
野を過ぎ山を分け行けど
さすが異国の道なれば
行き交う(こう)人もあらばこそ
在りし方への言づても
誰にか言わん由もなしと
これを思し召し
嘆き悲しみ給うにや
御形(かたち)もやつれ果て
つやつや(艶々)、物をも宣わず
道の辺(ほとり)の御命も
量り難う(はかりがとう)思(おぼ)ゆれば
夷ども、見参らせ
いざ、慰め参らせんと
はくうんさん(白雲山)と申す所に
しばらく輿をぞ停めにける
さて、御門より御形見の琵琶を取り出だし
「勅諚にも
御心の苦しき時に
この琵琶を弾き給えば
迷いの雲も晴れ申すとの事なれば
しばらく、琵琶を遊ばして
御心を慰さませ給えや」と
やがて、琵琶をぞ奉る
愛おしや(いとおしや)照君
御涙に暮れてましますが
御琵琶を取り上げて
「これぞ誠に我が君の
御手、慣れさせ給うぞ」と
御面影の身に添いて
さも懐かしくありければ
撥のたてど(立て所)も知らねども
撥取り直し、柱(じゅう)を立てはらはらと弾き鳴らし
別れを慕う楽の名に
「りらんべつくはく」
という調べを
さも面白く弾き給う
げにや思いの深き故
琵琶の音さえ哀れなり
第一第二のげん(弦)は
さつさつ(颯颯)として
雨の足に異ならず
第三第四の弦は、しずしず(静々)として
ささめごと(私語)にさも似たり
彼といい、これといい
尚や思いを添うるぞと
琵琶を前に差し置いて
又、さめざめと泣き給う

かくて夷狄の夷ども
聞き慣れたるにはあらねども
御琵琶に聞き入りて
「さてもさても面白や
我が夷の風情にも
かく面白く聞くものを
さぞや、聞き知る人々
面白く思すべき
今、少し弾き給え
頼み申す、后」とて
行くべき先を打ち忘れて
惚れ惚れとしていたりけり
照君、この由聞こし召し
「知らぬ夷の心には
さても、優しき次第かな
さらば、弾じて聞かせん」と
又、取り上げて、遊ばすは、
月澄み昇る秋の夜の
「しゅうふうらく」(秋風楽)を弾き給う
不思議や、四方(よも)の嵐の音
琵琶の調べに移り来て
空の気色も打ち変わり
香ばしき風吹きて
異香(いきょう)薫じ
袖に満ち満ちたれば
皆々不思議をなす所へ
空より五色の雲がたなびきて
次第次第に舞い下がり
天人かと思しき女性(にょしょう)二人(ににん)来らるるが
一人はこれ、
「孫仙人」と言う者なり
今、一人(いちにん)は
「せいわうぼう」(せいおうぼう:西王母)という仙女(せんじょ)たり
「我に驚き給うな」と
御傍へ寄り給えば
西の方の雲より
大の男の面魂(つらだましい)凄まじく
目の内、人に変わりたるが
これも、雲より飛び下がり
「我々二人を、如何なる者と思し召す
これは、前漢高祖の臣下、
はんかい(樊噲)、長りょう(長良)と申す者なり
我ら、通力自在を得て
今、仙人となりたるなり」
「姫君の琵琶の音
しんめい(しんみょう:神妙)に通ずる故
守り神にならん」とて
孫仙人、西王母(せいおうぼう)二人の者
これまで参り候なり
いざいざ、音楽を初めつつ
照君を慰めん」と
二人の仙女、笙(しょう)、篳篥(しちりき)を吹き給えば
照君も琵琶を弾き給う
極楽世界の如くなり
二人の仙女、迦陵頻伽の声を上げ
歌う小唄の面白や
「げにや誠にうろ(有漏)の身に
何嘆くらん浮き雲の
しばしは、月を隠すとも
ついには澄まん世の中の
今、少しの苦しみを
さのみ嘆き給いぞよ
行方(ゆくえ)久しき久方の
光和らぐ春の日の
君が恵は尽きせしな
なを、行く末を守るべし
頼もしく思し召せ
暇申して王照君
さらばさらば」
と、いう声も
雲に響き、風に乗り
空にこそは上がりける

長良、樊噲(はんかい)も
王照君に礼(らい)をなし
「そもそも、我等、浮き世にありし時は
義を重んじて、命(めい)を軽んじ
外に五ぢょう(五常)を乱さず
内には誠に、尽くしつる冥加にや
今は、通力自在の身となりて候えども
更に、君恩忘るる事候わず
あまりに、君の御嘆きの労しさに
御慰めの為に
二人の仙女を誘いて参りたり
只今の歌の言葉
君は聞き知り給うべし
御心安く思し召せ
やがて、都へ帰し候べし」と
懇ろに言い捨て
ずんどと立ちて
腰の剣をするりと抜き
二振り三(み)振り、振り回し
夷狄の奴原をはったと睨み
「構えて汝ら
我々は天上の住まいにて
人間へは下らねども
あまり、この君労しさに
か様に付き添い申すなり
少しにても辛く当たり申すならば
おのれらを八裂きに致すべし」と言い捨て
雲に紛れ、上がりしは
怖ろしかりける次第なり
去る間、夷狄の夷ども
震い、戦慄き(わななき)
目をも見上げず居たりしが
斯くて(かくて)も敵わぬ(かなわぬ)事なれば
震い震い(ふるいふるい)照君を掻き(かき)参らせ
胡国を指して帰りける
かの人々の有様
不思議なりとも中々、何に例えぬ方も無し

 

 

第五

 

去る程に異国の夷
チクリキ、ヘンカイ両人は
万里の嶮岨(けんそ)を凌ぎ(しのぎ)越し
ようよう、胡国に着きしかば
王照君を御供し
一々次第に奏聞す
けんだつ王は聞こし召し
御悦びは限りなく
王照君の花の姿をご覧じて
「さてもさても、世の中には
かかる美人も有りけるよな
さて、漢朝には
か程の后、如何程も有るやらん
あら、羨まし」と仰せければ
「いやとよ、この后は
漢朝にても千人第一の美人にて
いつかう(いっこう:一向)、稀なる御事なり」と申せば、
いよいよ悦びましまし
さらば姫君の御慰みにと
様々の鳥を集め、前栽に放し
これよ、あれよと申せども
労しや姫君は
慰み給う心は無く
ただ、都の御事のみ思し召し
嘆き沈ませ給いける
けんだつ王、これを見て
「いやいや、か様に心弱き御身に任せて叶うまじ
如何にも心を慰めの
野刈り、山刈り始めつつ
后を御供申すべし
折節、けんり山の花も盛りの由申すなり
早、その用意申すべし、疾く疾く」とありければ
やがて、后の御ために
玉の輿を参らせて
早、御出でと勧むれど
労しや照君は
「心は更に憂きやらね」と
ようよう、輿に助け乗せ
けんだつ王を始めとし
一門の人々、公卿大臣
我も我もと出で立って
早、けんり山へぞ急がるる

 

去るほどに
漢朝の都には
臣下大臣、差し集まり
四方山の御物語なされしが
その中に司馬イリュウ、司馬ユウ
両将軍申さるるは
「先日の胡国の軍に
剰り(あまり)諸卒(しょそつ)討たれ候故
暫くの謀(はかりごと)に
謀って(たばかって)和睦し
王照君を胡国へ遣わす(つかわす)こと
これ、後の世の旧記(きゅうき)に残し記す時
君は万人の死するに
一人の后を替えさせ給えば慈悲も深し
又、女に愛でて(めでて)惜しみ給わぬも
議(ぎ)に当たりて、誠の聖王にて渡らせ給えば
万民の有り難き事限り無し
しかれども、我等、両将軍は
なまじい(憖)に武士の司(つかさ)を賜り
大軍を率具して罷り向かう験(しるし)も無く
后を敵(かたき)に渡して
これは、謀(はかりごと)にて候
これは、知略などと申して
世に有り顔の振る舞い
後の世の名も恥ずかしき事なれば
この度は、両人が手勢ばかりにて罷り向かい
照君を取り返し
最前の恥辱を雪ぐべし(すすぐ)」
と申さるる
その時に、「げんしりょう」
「人々の仰せ、尤もに候、去りながら、
胡国は、多勢にして、人の心一筋なれば
方々の知謀、勇力(ゆうりき)遣わさるとも
一段には敵い(かない)難し
よくよく、御思案あれ」と申さるれば
司馬ユウ、聞いて
「尤もに候、然れども、最早我等両人は
生きたる甲斐は無く候
十死一生と
きっと存じ切ったる上は
二度(ふたたび)罷り帰らん事有るまじく候
命の限りと存ずる上は
大勢にも劣るべからず
もし、又異国を攻め付け
后を御供申すならば
その時、お目に掛かるべし」と
思い切ってぞ申さるる
時に「しりょう」、申さるるは
「しからば、先ず何卒して
照君を奪い返し
その後のかせん(合戦)
なれば、兎角(とかく)戦(いくさ)を先立てては
照君を奪わんこと叶い難く候
先ず、我らの心中語り申すべし
聞こし召して、理(り)に当たり候わばとうじ(投じ)給え
例えば、心、剛(ごう)にして知恵深く
両人に優れたる侍一人に
国中(こくじゅう)にて大力の剛なる強者を選って(すぐって)
二十人か、若(もし)は三十人か
商人(あきびと)に仕立て
胡国へ商売に遣わし
ゆるゆると逗留さすべし
さて、照君によく似たる人形を作って持たせ
置くべし
さてまた、両将軍は
五里か十里隔てて
こなたの山に隠れ居て
時節を窺い給い
惣じて、胡国の習いにて
春になれば花見と言うて狩りを始め
后達を伴いて
野山を家とするなれば
その折りを随分量って
一文字に駆け入り
照君を奪い取り
人々が替わり替わり負い(おい)参らせ
足に任せて逃げ行くべし
時に又、かの人形を輿に乗せ
打ちかごみ(屈み)て逃ぐ(にぐ)べし
しからば、胡国の奴原
揉みに揉うで、追っかけべし
相(あい)近くなるならば
輿に付きたる人々が
抜き連れて立ち帰り
暫く戦い
輿を捨てて逃ぐるものならば
照君ぞと心得、まず取りて帰るべし
もしまた、強く追っかけなば
かの大力の人々
二人三人ずつ引き返し、引き返し
敵(かたき)を支え給え
さて、道々の詰まり詰まりに
人じゅ(人衆)を隠し置き
先々より、おっ取りおっ取り置くならば
照君はなんなく取り返し申すべし
その後の戦は、それがしに任されよ
一人(ひとり)向かって
随分、あしらいみるべきが
如何あらん」
と申さるれば
両将軍を始め諸大臣
一目にあっとぞ感じける
両将軍、大きに悦び
「さらば、この議にしくは候わまじ
目出度う、頓て(やがて)帰り申すべし」と
頓て、用意をなされける
則ち、ハンリを召し出し
一々、次第を約束なされ
国中(こくじゅう)を選って(すぐって)
彼に劣らぬ大剛(だいごう)の者を三十人
商人(あきびと)に仕立て
ハンリに相添え
胡国へ遣わせ置き
事の様(よう)を窺い給う

さてまた、両将軍の御内にて
一騎当千(いっきとうぜん)の者ども三百人選って
道々の詰まり詰まりに忍ばせ置き
両大将は狩人(かりゅうど)の姿に学び
胡国の山に隠れ居て
時の至るを待ち給う
心の内こそ由々しけれ

 

これはさておき、けんだつ王は
照君を伴い出で
けんり山の麓に大幕(おおまく)打たせ
けんだつ王を始めとし
犬を引かせ、鷹を据え、
勢子(せこ)なみ(波)を立てさせ
鶉(うずら)雲雀(ひばり)猪(しし)兎(うさぎ)様々の鳥獣(けだもの)を
此処彼処(ここかしこ)へ追い回し
日の暮るるをも知らずして
彼方此方(かなたこなた)に駆け回り
照君の辺りには、
女房達、雑人輩(ぞうにんばら)ばかりなり


その時、隠れ居たるハンリ
「時分は良きぞ方々」と
一文字に駈け寄り
雑人輩を四方へばっとおっ散らし
幕の内へすんど(鋭)入る
照君の御前に畏まり
「君、驚ろかせ給うな
それがしは漢朝のハンリと申す者にて候
君の御事、御門の御嘆き深き故
「げんしりょう」、両将軍の謀(はかりごと)にて
奪い返し申さんと
か様か様に時節を窺い候なり
早、御出で」と申せば
照君、夢とも弁えず(わきまえず)
「やあ、片紙も」と宣えば
ハンリやがて負い参らせ
飛ぶ鳥の如くにして
ここを先途と逃げて行く

 去るほどに、おっ散らされし雑人輩
けんだつ王に走り行き
「悲しやな照君様を
何者やらん、掴み(つかみ)行き候」と申す
けんだつ聞こし召し
「やや、己らは(おのれ)何事を申すぞ」
さればか様か様と申せば
けんだつ大きに怒って
「やあ、それ追っつき追い落とし
一々に引き裂いて捨てよ」
承り候とて、我も我もと揉みに揉うでぞ
追っかけ行く
去るほどにハンリは、
刹那が間に十里(40Km)ばかり逃げ延びしが
案の如く、テッケン、ヘンカイ
獅子(しし)の猛る(たける)如くにして追っかけ来る
その時ハンリ
かの木人(もくにん)を入れたる
輿の回りを掻き包ませ
その身は照君を負い参らせ
足をばかりに走りける
胡国の者ども、かの輿を見つけ
喚き(おめき)叫んで追っかくる
其の(その)相近くなりぬれば
輿を掻きし強者ども
抜き連れて引っ返し
しばし、戦う風情にして
輿を捨てて逃げ行けば
テッケン、ヘンカイ、大きに悦び
「先ず、方々は
照君を掻き参らせ
君の御目に掛けよ
我等二人は、何処へも(いづく)追っかけ
一々に首を抜きて捨つべきぞ」と
二人打ち連れ、揉みに揉うでぞ追っかけたり
既に危うく見えける時
両将軍はとある岩陰に隠れ居て
二人の者をやり過ごし
むずと抱き、続けざまに刺し通し
弱る所を首掻き落とし
照君に追っ付き参らせ
ああ、目出度し目出度しと
悦びの声をどっと上げ
都を指して帰らるるは
由々しかりとも中々、何に例えぬ方もなし

 

第六

 

さる程に強者共
輿に乗せたる木人(もくにん)を
誠の后と心得て
息をも付かず走り帰り
か様か様と申し上げる
けんだつ大きに悦びて
「そも、漢朝の奴輩(やつばら)が
この国に踏み込うで(こうで)
照君を取らん事
蟷螂が斧とかや
あったら事に
漢朝の奴輩を耳、鼻を切りて
生きながらおっ返し
末代の印にせん
者ども」と
一度にどっとぞ笑いけり
「さらば照君を出だし参らせ
御休息させ申さん」とて
御輿の戸を開けて
「早、御出で」と申せども
物答え(いらえ)もましまさず
その時、けんだつ耐えかねて
御輿際(きわ)に立ち寄り
「いかに照君、最早、漢朝の事をば
ふっつと思い切り給え
何とて左様に見えさせ給わぬぞ
姿こそ夷なりとも
心の花は劣るまじ」と
戯れ(たわむれ)抱き(いだき)参らせ
輿より出だし見てあれば
人にはあらで木人なり
「これはさて、物言わぬこそ道理なれ
さてもさても無念や
漢朝の奴輩に謀られぬる口惜しや
最早、生きたる甲斐は無きぞとよ
この上はちん(朕)じき(直)に向かうべし
既にその勢、三百万騎(ぎ)
早、漢朝へと押し寄するは
凄まじかりける

 

斯くて(かくて)漢朝の人々は
思いのままに王照君を奪い取り
頓て内裏に入らせ参らせ
君に対面申せば
これはこれはとばかりにて
只、死したる人の蘇り給う風情にて
御悦びは限り無し
その時「げんしりょう」申さるるは
「先ずもって、后、恙のう(つつがのう)
御帰りなさるる事
一重にハンリ、両将軍の忠の致す所なれば
急ぎ温情下さるべし」と申し上げらるれば
何れも何れも召し出され
「この度の軍功、先ず以て神妙なり
ハンリがかうきやう(功業)は
古(いにしえ)、樊噲(はんかい)が名を上げ給う
さぞや草の陰にて悦び思うべし」とて
一国を下され、しょかうわう(諸侯王)に任ぜらるる
有り難き次第とて、御前を罷り立ち
「さて、両将軍の忠
古今稀なる働きなり
なおなお、忠勤怠るべからず
これは、当座の恩賞」とて
何れも国を下され
諸侯王にぞ封(ほう)ぜらるる
さて、その外の人々にも
それぞれの御恩賞
皆々、悦び勇みけり
時に「げんしりょう」
「まずまず、天下太平目出度く候
然れば胡国の「けんだつ」
この度は、直(じき)に向かい候べし
この度はそれがし一人罷り向かって
向後(きょうこう)、漢朝へ仇をなし申さん様に
然と(しかと)仕置き仕るべく候
然らば、ちと持たせ候物の御座あれば
人夫(にんぶ)、少し相添え下され候え」と
申さるれば
君、聞こし召し
「尤も、御身、只人ならねば
存せらるる旨(むね)は候べけれども
目に余る大勢に
御身一人は心許なく候
せめて、人じゅ(人衆)五万も十万も
召し連られ候え」と仰せければ
「いや、兎に角に、それがしに御任せ候え
早、御暇(いとま)申す」と
申さるれば、
「然らば、ともかくも、御計らいに任せ申せ」と
御門、御召し用の御具足
黄金(こがね)を以て威したるに
みょうよう剣(明陽剣)と申す御宝の御剣(ぎょけん)を、

「げんしりょう」に参らせられ
万事は頼み奉ると懇ろに仰せられ
君、内殿(ないでん)に入らせ給えば
「しりょう」も用意なさるるは
不思議なりける

去るほどに、「げんしりょう」
君より下されたる
黄金(こがね)札(ざね)の御鎧(よろい)
同じく兜(かぶと)の緒(お)を締め
明陽剣と申す釼を差し
さて、人夫(にんぶ)どもには
 ちよやうけいけんぎうば(猪羊鶏犬牛馬)
色々の生贄(いけにえ)を取り持たせ
異国を指してぞ急がるる
程なく、こうけん(高原)と申す
広き野に着き給う
その時「しりょう」
人夫(にんぶ)共に草を刈らせ
小高き所に壇を構え
四方に旗を差させ
生贄に盛り流し
清き酒を汲み讃え(たたえ)
壇に向かって祈らせ給えば
不思議や何処とも無く老人一人
奇なる馬に打ち乗り
さて、怖ろしげなる人々二人
壇の際(きわ)来たり
供えし酒、肴を取り食いて申しけるは
「この老人は、前漢高祖の時分
これ成人に一巻の巻物を与えし
くはうせきかう(くほうせき公)という者なり
その次は長良、樊噲と申す者なり
我等、兵法の奥義(おうぎ)を極めし故
通力を(得)、今、仙人となり
王照君へも力を添え
今、この祀り(まつり)に合い申す
御味方申さんと
この、せき公を御供申し来たりたり
定めて、夷、近き内に来たるべし」とて
白雲山の麓、有るところに忍び居て
寄せ来る夷を待ち給う
心の内こそ

案の如く、「けんだつ王」
早、白雲山に着きしかば
暫く馬を休めける
掛かりける所へ
土民(どみん)と思しき者
立て文を竹に結い付け
「けんだつ王」の陣の前に立て置いて
行方知らず失せにけり
官人(かんにん)これを取りて奉る
「けんだつ」開いて見給うに
「何、漢朝の大臣、「げんしりょう」承って筆を走らしめ候
さて、この度の合戦に勢を付けらるべしとて
けんだつ王に(が)三百万騎にて御向かわれ候段
殊勝に候
左様の無理なる事に
漢朝の諸卒を討たんこと
残り多く候故
この度、「げんしりょう」と申す者一人罷り向かい候
前漢に現れ出でし
「くほうせき公」、並びに長良、樊噲、三人共に加勢候間
随分、方々の御首を申し受け候べし
あら、せうし(笑止)や
三百万騎(ぎ)の人々は
白雲山の苔に埋もれ給うべき事を
よくよく御思案候え」
と書き留めたり
「けんだつ」いよいよ腹を立て
「おこがましや
我等が討っ手に
「げんしりょう」と申す痩せ男
さては、前漢の以前に
死してほどふる(程経)
幽霊などを向かうとは
大きなる偽りなり
由、これは謀(はかりごと)にもせよ
御方は三百万騎(ぎ)を三手(みて)に分けて
責め付け責め付け
漢朝の人種を断つべし
早、打ち立て、面々」とて
百万余、チクリトウ、ケンカイランを大将にて
揉みに揉うで押し寄せた
既に白雲山を巡る時
俄に霧降り来たり
終夜の闇の如くなり
こは如何にと前後を忘(ぼう)ずる所に
夷ども、手足を絡めたる如くに
皆々、竦み(すくみ)て働かず
中にもチクリトウ、ケンカイランは
「こは如何に面々」と
立ち寄らんとする所に
二人が手と手を(が)ひとつになり
絡められたる如くなり
「こは口惜し無念や」と
怒れども喚け(おめけ)ども
その甲斐更になかりけり
かかる所へ「げんしりょう」「くほうせき公」
日月、打ったる旗を差させ
長良、樊噲、歩行(かち)にて後に追っ縋うて(おっすごう)
異国の大将両人が繋がれたる所へ来たり
「やあ、これなる二人は
先駆けの大将か
予(かね)て、かくあるべきと思う故
今朝、文にて申しつるなり
只今、「けんだつ王」を引っ張って来たり見せんぞ
暫く待て」と言い捨て
どっと笑うて通らるる
あっぱれ、無念や口惜しやと思えど
五体は竦み(すくみ)て叶わねば
道の辺り(ほとり)にひれ伏したるは
不思議なりける次第なり
長良、樊噲
「けんだつ王」その外一門の大将三百人
同じく強く縛めて(いましめて)
元の所に立ち帰れば
天も晴れて長閑(のどか)になる
その時、「せき公」、「げんしりょう」
「けんだつ王」その外の奴輩を
一所に引き据えさせ
「悪逆を企み(たくみ)たる咎により
只今、首を刎ぬるぞ
りんじゅよく(臨終良く)窘(たしな)め」とて
長良、樊噲、切り手になり
剣引きそばめ、寄りければ
「けんだつ」涙をはらはらと流し
「誠に誤って候
この上は御慈悲に命を助けて候え
長く漢朝の諸侯となり
御貢ぎ物を献げ申し
仮にも仇を致し申すまじ」と
わなわな震い申しければ
「げんしりょう」、「せき公」に向かい
「この上は不憫に候
助け申すべし」と申しければ
「せき公」怒って
「今こそ、かく申せども
頓て(やがて)約束変ずべし
早疾く切れ、樊噲」と怒らるれば
両人、剣を振り上げ
既に切らんとする時
「けんだつ」、首を縮めて
「御助け候え」と申せば
「しりょう」、両人を押しとどめ
「余り不憫に候ほどに
それがしに免じ
御助け候え」と申さるれば
「ともかくも、「しりょう」の御心に任せられよ」
とあれば、「けんだつ」に近づき
「さあらば、命を助くべきが
最前に奪い取りたる
漢朝の百余州を返し
さて、毎年に貢ぎ物を奉りて(たてまつり)
向後(きょうこう)漢朝に弓を引くまじと
固く誓うべきか」と仰せければ
「けんだつ」、涙を流し
命だに御助け候わば
長く漢朝の家臣となるべし」と申せば
皆々、縄をぞ放さるれば
前に竦みし奴輩も
氷の溶くる風情にて
元の如くになりたるは
稀代(きだい)なりける次第なり

さて、生きたる牛を裂きて
その血を啜り(すすり)
「これより以後は
 漢朝の家臣となるべし
また、百余州、残さず返し奉るとて
胡国を指してぞ帰りければ
かくて四人の人々も
打ち連れ都を指してぞ

都になれば、皇帝に対面なされ
一々次第を語らせ給い
「しりょう」はお暇給わり
本(もと)の庵に立ち帰り
水草(みずくさ)清き所にて
いよいよ、君繁盛と守り給う
目出度きとも中々何に例えぬ方もなし

 

 

寛文九年巳(みのと)酉年陽月吉日(1669年)
鶴屋喜右衛門板