法蔵比丘(25)
天満八太夫
延宝天和年間
板元不明

ほう蔵びく


初段


さてもその後
それ、三世十方の出世の本願は
 一切衆生、利益のため
殊に、濁世(じょくせ)末代の男女まで
容易く(たやすく)仏果を得ん事は
弥陀の明光(みょうこう)に極まれり
さて、因位(いんい)の昔を尋ね奉るに
忝なくも唐(とう)天竺
サイジョウ国(西上国)の主(あるじ)をば
月生(がっしょう)転輪聖王と申して
目出度き御門おわします。
玉の宮殿、甍(いらか)を延べ(のべ)
黄金(こがね)の楼門鮮やかに
空には錦の御帳(みちょう)を張り
地には瑪瑙の瑠璃の道
四節(しせつ)殿の数々は
言うも中々愚かなり

則ち、お后をばてうせき(ちょうせき)夫人と申しける
その上、太子一人おわします
御名を千じょう(千丈)太子と申して
容顔、殊に麗しく
御心、慈悲にましませば
左右の大臣、百官以下に至まで
これぞ、賢王聖君の時たる御代の例とて
各々渇仰(かつごう)なし給う

されば御太子
十六歳にならせ給えども
ご寵愛の御后(おきさき)ましまざず
御門をはじめ奉り臣下大臣
日ほん(?)(日夜に)詮議、待て待てり

そのころ、東上国(とうじょうこく)の御主(あるじ)
善信王(ぜんしんおう)の姫宮
あしゅく(阿?)夫人と申して
御年は十四歳
御形(かたち)世に優れ
三十二相八十種好(しゅこ)の御粧い(よそおい)
妙なる由を聞き伝え
太子常々思いに沈ませ給えども
御色にも出されず

見ぬ恋に憧れ
御気色も衰え給い
何となく御座を立たせ給いつつ
常の御殿に入り給う
御父聖王は、臣下大臣を召され

「何やらん、太子が有様、おぼつかなし
如何にもして、慰めよ」
との宣旨なり
畏まって候と、各々、御前を罷り立ち
種々(しゅじゅ)の珍物調えて
我も我もと献げしは
花やかなりける次第なり

去るほどに御太子
数多の臣下に勇め(いさめ)られ
花園へ御出でましまして
万木千草(ばんぼくせんぞう)悉く
只一日(いちじつ)に花咲くかと思うばかりの今日の会
幾夜ふる(旧る)ともよも尽きし
巡れ(めぐれ)や巡れ、盃の
手に触れ翳す(かざす)舞いの袖
返す袂は小忌衣(おみごろも)
千秋万歳(ばんぜい)千代万代の御宝を
君の献げ奉り
天長地久(てんちょうちきゅう)目出度しと
数の御遊(ごゆう)ぞ始まりて
既にその日も暮れければ
皆々、お暇給わり
我が家我が家に帰らるる

さてその後に御太子
心に思し召さるるは
恋しと思う姫宮を
迎え取らんは易けれど
遙かの道の事といい
又は、后の心も測られず
朕、か様に乱るれば
明日の命も白雪の
降る身降らす身定めなき
とても消ゆべき露の身を長らえ
物を思わんより
叶わぬまでも只一人
東上国へ尋ね行き
面影だにも一目見ば
日頃の憂さを晴らすべしと
恋路の闇に迷い行き
錦繍(きんしゅう)の装いを
墨の衣に召し替えて
世を呉竹の御杖に
寒竹の横笛(ようじょう)を忍び持たせ給いつつ
住み慣れ給いし王宮を
夜半(よわ)に紛れて出で給う

心の内こそ哀れなり
行く末とても白露の
消えも失せなん憂さ辛さ
山々里々(さとざと)過ぎ行けば
秋風寒く訪れて
霞隠れ(がくれ)の雁が音は
春は越路へ帰らん
我が身はいつか雲晴れて
故郷の空に帰るべし
ああ、現(うつつ)なやかれがれに
雪 も降りつつ年月の
今は重なり行く程に
三年三月と申すには
東上国にぞ着き給う

哀れなるかな御太子
誰を知るべき頼り無く
とある所に立ち寄りて
「一夜を借らん」と仰せける
有りし夫婦は立ち居でて
太子の御姿を
つくづくと見参らせ
「いたわしき御有様
まず、此方へ」と
奥へ招じ奉り
良きにもてなし給いける

去るほどに御太子
更け行くままに一人居の
故郷の事を思し召し
腰より横笛(ようじょう)取り出だし
音も澄みやかに吹き給う
夫婦諸共感に堪え
「さてもさても東方にて
かく、面白き笛の音を
聞き及びたる事もなし
いか様、由ある君と見奉り候
御行方(ゆくえ)を語らせ給えと申しける」
太子聞こし召し
名乗るまじとは思えども
「深き情けのある上は
今は何をか包むべし
それがしはこれよりも
西上国の主
転輪聖王の一子
千丈(せんじょう)とは、麻呂が事
さればそれがしは
この国の善信王の姫宮
阿?夫人(あしゅくぶにん)の御事を
風の便りに聞くよりも
見ぬ恋に憧れて
これまで遙々来たり
哀れと、問えや、人心」
と、打ち萎れてぞ仰せける
夫婦、承り
「さては左様にましますか
幸い、それがしが娘、ばいか(梅花)と申して
姫宮に少しもお傍離れず
宮仕え候なり
御仲立ちに頼むべし
殊に今宵は、八月十五夜にて
月のかげん(かんげん:管弦)を奏しつつ
夜すがら管弦の候由承り候ぞや
御太子も女の姿に様を変え
御忍びましまして
よからん折りを伺いて
ま見えさせ給うべし
早早、用意ましませ」と
さも頼もしくぞ申しける
太子、なのめに思し召し
配下を頼ませ給いつつ
月の出潮を待ち給う

去る間、姫宮は
女房達を引き具して
月見の御殿に出で給い
冴え行く月の終夜(よもすがら)
管弦してこそおわしけれ
既にその夜も更けければ
皆々お暇給わりて
局、局に入り給う

その時はいか(如何)、時分は良しと心得て
御太子を御殿の妻戸へ押し入れて局を差してぞ入りにける
太子うれしく思し召し
近く立ち寄り
間(あい)の障子をほとほとと叩いた
姫宮は聞こし召し
「誰そ(たそ)や誰そ
妻戸の脇に音するは、不思議さよ」とぞ仰せける
「いや苦しゅうも候わず
自らと申せしは
これよりも西上国の主
千丈太子と申す者にて候が
姫宮の御事を
風の便りに承り
見ぬ恋に憧れて
遙々これまで参りたり
笹の小笹のかりふし(刈り・伏し)は
何か苦しかるべき」と
掻き口説いてぞ仰せける
姫宮は聞こし召し
「聞くに心も乱れ髪
結ぶ契りも仇夢(あだゆめ)の
父の御目を忍びつつ
慣れ参らするものならば
不孝の罪となるべきなる
心に任せぬ身の思い
一方(ひとかた)ならぬ自らなり
許させ給え御太子」と
衣(きぬ)引き担ぎおわします
太子いよいよ憧れて
「ああ、恨めしき姫宮や
思し召してもご覧ぜよ
縦(たとい)つれなき君故に
自ら帰り候え共
この御殿を出ん事
思いもよらぬ事ぞかし
番の者ども見とがめて
戒められんは治定なり
ありて人手に掛からんより
腹掻き切りて死して後
姫宮恨み申すべし
その時、思い知らせん」と
既に、御剣(ごけん)に手を掛け給えば
姫宮驚き
「のう、暫く待たせ給え」とて
間の障子をさっと開け
御袂に取り付いて
「留まり給え御太子
さぞや逆鱗ましまさん
君の心を引き見んため
かくは申し候なり
由、何事も打ち解けて
こなたへ御入りましませ」と
互いに手に手を取り交わし
御殿に入らせ給えば
配下もかねて用意やしたりけん
銚子、土器(かわらけ)奉り
ご酒盛りとぞ聞こえける
この人々の御有様
千秋万歳(ばんぜい)の御喜び
目出度きともなかなか申すばかりはなかりけり


二段目

 

去る間、御太子
姫宮に相馴れて(あいなれて)
比翼連理の御契り
月日重なりふる(経る)程に
若宮誕生なされける
包むとすれどこの事
父大王は聞こし召し
大きに逆鱗ましまして
臣下大臣御前に召され
「さても口惜しき次第かな
行方も知らぬ修行者(じゃ)と
契りけるこそ無念なり
末代の嘲り(あざけり)なり
疎かにては叶うまじ
タッセ(不明)の洞(ほら)へ連れ行き
えい(翳)のざい(罪)にて沈むべし
早疾く疾く」と宣旨有り
臣下大臣承り
とこう、勅答(ちょくとう)申し得ず
さしうつぶいていたりける
その中に取りても
ラゴトン将軍とて
大力の忠臣進み出で申す様
「逆鱗はごもっともにて候えども
ただ御一人の姫宮を
かかる罪に落とさせ給わんは
あまりにもって御いたわしき次第なり
先ずは一旦、叡慮を巡らし給い
重ねて御詮議なされ然るべく候」と
恐れ入りてぞ申しける
大王聞こし召され
「天下を守るは、さは無きぞ
我が身の正道(せいどう)してこそは
万民の正道も立つべけれ
由、これまでの親と子の縁と思えば力無し
重ねて奏する者あらば
七代までの勘当」と
御殿に入らせ給いけり
人々、今は力なく
「か程逆鱗ある上は
何と奏せん様も無し
さあらば、東宮へ参らん」と
既に御殿に乱れ入り
太子御親子(ごしんし)三人を
一つ輿(こし)に乗せ参らせ
ダッセの洞へと急ぎける
急げば程無くタッセの洞に着きにけり

そもそも(えい)翳の罪と申すは
深さ十五丈(約50m)の下に釼を植え並べ
罪ある人を投げ込み
上より土をかけ入れ
埋み(うずみ)殺す事こそ
翳の罪とは申すなり
官人ども、件(くだん)の様に設い(しつらい)
太子親子三人を輿より出し参らせ
既に罪に伏せんとす

姫宮、余りの物憂さに
「いかに汝ら
自ら罪に沈まんは
女性(にょしょう)の身なれば苦しからず
忝なくもこの君は、
西上国の主ぞかし
太子を助け参らせよ」と
流涕焦がれ給いけり

太子この由、聞こし召し
「かかる憂き目に遭い給うも
皆これ、麻呂がなす業なり
我一人こそ、咎(とが)ならん
只一人罪に伏せ
姫宮を助け得させよ」と
伏し沈みてぞ嘆かるる

げに、心なきもののふ(武士)も
とかくのことは申さずして
差し俯いてぞ居たりける
その中に取ってもラゴトン将軍とて
剛の者の有りけるが
これも、七百人の警護の検見(けんみ)を申し預かり
共に守りていたりしが
余り見る目も御いたわしさに
大将を蒙りし右臣左臣に向かい
「何れも、何(なに)とか思し召す
これはあまりにいたわしし
忝なくも、一旦の逆鱗にて
かく宣旨有りとても
只一人の姫宮なれば
たとい(縦)助け奉り
後日に知ろし召さるるとも
よも憎しとは思し召さるまじ
いざ方々、同心有りて
君の御前は、失いたる由に奏聞し
人々を助け参らせん
如何に如何に」と申しける

右臣左臣(うじんさじん)聞きて
「御辺の心底頼もしくは候えども
重ねて奏聞する物ならば
七代までの御勘当との宣旨なれば
このことにおいては思し召し直さるる事
全く以て余もあらじ
下として上を計らい
私(わたくし)の沙汰は叶うまじ
情けをなすも事による
天理に背ける大激甚
口のなせる所なり
左様の非義に組せんこと
 なかなか思いもよらず」と
以ての外に申しける

ラゴトン大きに怒りをなし
「おお、方々は、真実の道を述ぶるよな
それがしを口の至る非義なるとは
天命尽きたる奴腹かな
げに汝らが分際にて
道理も非義も余も知らじ
この上は、それがし一命に掛けても
人々の罪を救わであるべきか
やあ、眷属共は無きか
それそれ」と申すもあへぬに
屈強の眷属共
太子親子三人の御手を取り
先ず、傍らに入りにけり

右臣左臣見るよりも
「さてはラゴトン心変わりと覚えたり
あれ、余すな」と下知すれば
承って候とて
我先にと剣を抜き
余さじと討ってかかる

ラゴトンが眷属ども
本より悟(ご)したる事なれば
心得たりと渡り合い
軍(いくさ)は花ぞ散らしける
敵は大勢と申せども
ラゴトン方(がた)に切り立てられ
あるいは手負い討たれつつ
少し怯んで(ひるんで)見えにける

ここの又、左臣が眷属
はんけん丸ライケン(?)とて
大力の剛の者
「ええ、死なしたる軍(いくさ)かな
我、一かせん(?加勢:加戦?)して
敵味方の眠りを覚まさん」と
四尺三寸の大の釼をひっさげ
八方払い、横手を切り
表を合わせる者も無し

ラゴトンこれを見て
「おのれ、何処へ逃さん
返し合わせて勝負せよ」
ライケンにっこと打ち笑い
「願う所の相手なり
縦(たとい)、鉄桶(てっとう)を丸めたりとも
 只一打の勝負ぞ」と

傍なる古木、引き倒し
拝み打ちに打って掛かる
ラゴトン開いて、つっと入り
古木を中にしっかと取る
いや、取られじと
互いに劣らぬ大力
えいやえいやと競り合いしが
古木、中にてぼっきと折れ
両方飛びし去り
互いに釼の鞘外し
打っつ開いつ秘術と尽くして戦いける

運の極めの悲しさは
ライケン、ラゴトンが太刀受け外し
馬手の高腿切れ
ただ要所を押さえて首を落とし
しばらく、息をぞ付きににける

右臣左臣、この由見るよりも
「こは浅ましき有様や
化粧軍(けしょういくさ)は無益(むやく)なり
大勢にて討ち留めよ」と
東西南北一度にどっとぞ取り掛けける

今はこうよと見えし時
天地、俄に振動して
虚空より大盤石(だいばんじゃく)降り落ちて
釼を植えし所
忽ち平地となりにける

岩にせかれて(敷かれて)死する者
その数限りなかりけり
右臣左臣、余まさじと
ラゴトンにむんずと組み
無体に拉ぎ(ひしぎ)付けんとする

ラゴトンちっとも逆らわずにっこと笑い
「右臣左臣は何をし給うぞ
但し、盤石の難を逃れ、不足にて候か
その礼には右臣左臣を勘当させ申させ
落花微塵と踏みつけて得させん」と
大石投げ付ければ
二人(ににん)落花微塵となりて失せにける

残せし奴腹、堪(こら)えばこそ
風に木の葉の散る如く
東西へむらむらぱっとおっ散らし
とある所にさっと引き
しばらく息をぞ付きにける
かのラゴトンが有様
韋駄天もかくやらんと
皆感ぜぬ者こそなかりけり


三段目

 

その後人々は
ラゴトンが情けにて
危うきお命恙なく(つつがなく)ましまし
御喜びは浅からず
ラゴトン申す様
「それがし、これに留まりて
御宮仕え御申すとは候えども
ある子細候えば
早、御暇給われ」と
涙と共に申しける

太子姫宮諸共に
「命の親のラゴトンは帰らんと申すかや
この度の志し、何時の世にかは忘るべき
我、世に出るものならば
必ず尋ね来たるべし
ああ、名残り惜しのラゴトン」
暇申しさらばとて
涙の別れぞ哀れなり

去るほどにラゴトンは
『時節を待て
この君の御行方を見ばや』とて
傍らに隠れ居て
時の至るを待ちてるは
げに頼もしくぞ見えにけり

これはさておきここにまた
物の哀れを留めしは
太子親子三人にて
諸事の哀れを留めたり
遠山に捨てられて
憂き日を重ねおわします
夫妻に契り浅からず
姫宮懐妊なり給い
九月の苦しみ
当たる十月と申すには
弟宮(おとみや)誕生なり給う

取り上げて見れば
花と争う若宮なり
姫宮、余りの物憂さに
口説き事こそ哀れなれ

「善光(※長男)、誕生有るをだに
如何に、物憂く思いしに
憂きに辛さの重なりて
弟宮誕生あることよ
果報少なき若宮達
御代が御代の時ならば
月卿雲客(げっけいうんかく)集まりて
囲繞渇仰(いにょうかつごう)なかなかに
万民供に喜びて
政(まつりごと)のあるべきに
いつしか今は引き替えて
かく凄まじき山中の
草場の露と諸共に
誕生ならせ給うこと
こはそも何の報いぞや
若宮達、胎内にて
湯とも水ともなるならば
か程にものは思わじ」と
太子諸共に
声をあげてぞ泣き給う

太子涙の暇よりも
「嘆き給うは理なり
只何事も前世の業(ごう)
構いて嘆き給うなよ
草の枕のうたた寝を
錦の床と思いなし
結び捨てにし庵をば
玉の台(うてな)と思いつつ
ただ若共々に
隙間(すきま)風を厭いつつ
良きに育てて給われや
憂きも辛きも命だに
長らえ目出度くあるならば
昔に返り申さん」と
色々、諫め給いつつ
月日を重ねましますは
哀れと言うも愚かなり

これはさて置き
西上国におわします
千丈太子の御父
転輪聖王にて
物の哀れを留めたり

いつしか太子出で給い
嘆きも付かぬその内に
二世と契らせ給いたるお后には
あえなくも過ぎ遅れさせ給いつつ
共も渚の小夜千鳥
一人憧れおわします
大王、つくづく思し召す様は
「一生は、風の前の灯火(ともしび)
春の夜の夢ならん
来世の罪は逃るまじ
これを菩提の種となし
世を厭わん」
と思し召し
御書き置きを遊ばし
夜半に紛れて御出であり

コウリン(?)山へと上がらるる
心の内こそ殊勝なれ
既にその夜も明け行けば
臣下大臣皆々出仕し給い
かしこを見れば怪しき文のあり
人々、開いて見給えば
大王、遁世の御書き置き
各々はっと驚き
げにげに見れば御理(ことわり)
太子は見えさせ給わず
お后には御別れ
一方(ひとかた)ならぬ御思い
かくとは思い知られたり
大王かくなり給うも
太子御座泣き故なれば
いざいざ我々も国々を回り
御太子の御行方を尋ぬべし
若、御行方無きならば再び帰るまじ
去りながら大王へ
御宮仕えなくしては叶わじと
臣下の内を選みつつ
コウリン山へも参りける

さて、その外の臣下大臣
方々へ手分けをして
太子の行方を尋ねしは
頼もしかりける次第なり

これはさておきここに又
タツセの洞におわします
千丈太子、お后、御兄弟の若宮にて
諸事の哀れを留めたり
御憂き、山の御住まい
何に例えん方も無し
あらいたわしや御太子
姫宮を近付けて

「いかに申さん聞き給え
かかる御山の奥にして
昨日今日と日を送り
早、七年(とせ)に罷り成る
我々夫婦の者どもは
例え深山(ふかやま)の埋もれ木と
朽ち果てんは厭わねど
二人(ににん)の若の候えば
本国に帰り
御父、御門へ奏聞し
迎えの輿を参らせん
長の旅路のその内に
徒然なりし折からは
二人の若に慰みて
心を晴らしおわしませ
やがて、目出度う喜びの
眉を開かせ申すべし
いかに如何に」
と、のたまいて
打ち萎れてぞ仰せける

姫宮、この由聞こし召し
「ああ、現無き仰せかな
かかる深(ふか)山の賎(しず)となり
長らえ、詮無く候え共
君諸共にあればこそ
露の命もいつと無く
語り慰み明かせしに
君に捨てられ参らせて
何と長らえ申すべし
虎伏す野辺の奥までも
親子諸共連れ行きて
同じ淵瀬(ふちせ)に身を捨てん
あら恨めしき仰せや」と
伏し沈みてぞ泣き給う

太子聞こし召し
「御身の心に数勝り
我も名残惜しけれど
若宮達の不憫なり
末安穏に目出度うし
世に在らせんためぞかし
それも、承引(しょういん)無きならば
いかなる淵へも身を沈め
泣き別れとなるべき」と

恨みがちにぞ仰せける
姫君余りの物憂さに
「その義にて候わば
心に任せ給うべし
構いて構いて都へ着かせ給いなば
御迎えを給わるべし
名残惜しくは候え共
とても叶わぬ事なれば
早疾く疾く」と、のたまえば

今の別れの悲しさに
すがり付いてぞ泣き給う
太子、涙諸共に
二人の若を
弓手馬手の膝に置き
遅れの髪を掻き撫でて
「未だ幼く候え共
大人しく渡りつつ
母に孝行尽くすべし
やがて迎えを越すべきに
命目出度う、あい待て」と
のたもう声も出でずして
途方に暮れておわします

いたわしや、姫宮は
少し心を取り直し
「不覚なりとよ御太子
長の旅路の門出に
心乱れて悪しかりなん
若宮達こなたへ」と
御手を取って、のたまえば
太子これに力を得
「誠に、嘆く道にてなし」
「嘆き給うな」
「嘆かじ」と
心強くはのたまえど
今の別れの物憂さに
親子互いに取り付いて
これが別れか悲しやな
さらばさらばとのたまいて
立ち別れんとし給うが
また、立ち帰り
するすると走りより
互いに手に手を取り交わし
ほろと泣いては
さらばさらばとのたまいて
名残の袂を振り切り
別れ別れになり給う
親子の人々の心の内
哀れとも中々申すばかりばはなかりけり


四段目

 

哀れなるかな姫宮は
太子に別れ参らせて
物憂き山の御住まい
余所の見目も哀れなり
恋しやな御太子
故郷へ着かせ給うかや
余りのことの物憂さに
兄弟を伴いて
そなたの空を眺むれば
何処とも無く翼ども
ひと群(むら)連れてぞ通りける

姫宮ご覧じて
「あら、羨ましの鳥類や
我が身もかかる身なりせば
兄弟を伴いて
西上国へと飛び行きて
恋しき妻に逢うならば
今の思いはよもあらじ
あら、恋しの我が夫」と
声を上げてぞ嘆かるる

いたわしや、若宮達
母の御手を取り給い
「何を嘆かせ給うぞや
早早、庵に帰らせ給え
あれに見えたる色よき花
手折りて(たおりて)たべ」とのたまえば
母上は聞こし召し
「ああ、現(うつつ)なや若宮達
こなたへ来たれ」とのたまいて
泣く泣く庵に帰らるる
心の内こそ哀れなり

これはさておき
山々の虎狼野干
姫宮太子のおわします
柴の庵へ来たりつつ
后、若宮守護せしは
不思議なりける次第なり

さて、怖ろしき畜類だに
馴るれば(なるれば)慕う(しとう)習いあり
いつしか恐るる気色なく
明け暮れこれに慰みて
月日を送らせ給いける
心の内こそ哀れなれ

これはさておき御太子
明けぬ暮れぬとせし程に
西上国にぞ付き給う
内裏の態を見給うに
その古に(いにしえ)引き替えて
門には蔦(つた)の生え茂り
軒の瓦も崩れ落ち
さしもいみじき築地の内
鹿の臥所と(ふしど)となりにけり

太子、不思議に思し召し
かなたこなたとし給えば
老人来たりつつ
太子の姿を見参らせ
如何なる者ぞと咎め(とがめ)ける
太子、このよし聞こし召し
「そういう翁は誰人(たれひと)ぞ
さて、国の大王は何となされ候ぞ」
老人聞きて
「さればその御事
この国の大王は転輪聖王(てんりんじょうおう)と申す奉る
その王子の千丈御太子と申して
目出度き王子ましまししが
何時の頃よりか王宮を忍び出でさせ給い
御行方も知らざれば
大王、お后、数万の臣下大臣
嘆き悲しみ候事
例えて言わん方もなし
さて。御身の面影
つくづく見奉れば
千丈太子の御姿に
よくも似させ給うぞや
もし、その君にてはましまさぬか
あら、恋しの御太子」と
さめざめ泣いてぞいたりける

「我こそ、古(いにしえ)の千丈太子」
とのたまえば
老人は、はっと驚き
頭(こうべ)を地に付け
「我は君の臣下、桂(かつら)の大臣なり
我君(わがきみ)、何時の頃よりも
王宮を出でさせ給いてその後に
数千(すせん)の臣下
遠国(おんごく)波頭を尋ぬれど
御行方知れざれば
御母上、このことを明け暮れ恋わび給いつつ
遂に空しくなり給う
御父、聖王も御位を去り給い
光(こう)りん山に、閉じこもっておわします
残る臣下大臣も
君、御親子(しんし)ましまさねば
ここかしこに徘徊し
内裏を守護するす者とては
一人もあらばこそ
ご覧の如く、か様に荒れ果て候を
それがし、余り無念さに
賢王の玉席(ぎょくせき)を
汚さん(けがさん)ことにもったいなく
心ばかりの守護いたす
つれなき命長らえて
再び、君にまみゆる事
優曇華の花、待ち得たる心地や」と
付いたる杖をかしこへ捨て
陸地(ろくじ)にとうど倒れ伏し
声を上げてぞ泣きいたる

太子この由聞こし召し
「さては、御母空しくならせ給うかや
御最期の折からを
さこそと思い知られたり
去りながら御父、聖王
恙なく(つつがなく)渡らせ給うぞ目出度けれ
急ぎ、この事、叡感に達せよ」とぞ
仰せける

老人あまりの嬉しさに
こなたへ御入りましませと
太子の御供仕り
光りん山へと急ぎける
さて、大臣は先だって
この由、かくと奏聞す

聖王、叡感限り無く
御喜びは浅からずやがて
やがて、除目(じもく)行われ
御位(くらい)を譲らせ給い
内裏に移し奉れば
数千(すせん)の臣下
我も我もと馳せ(はせ)参じ
内裏を守護し奉る
目出度かりける次第なり

かかる所へ
タツセの洞へお供申せし
ラゴトン、参内仕り
悦事は限りなし
太子ご覧じ

「めずらしやラゴトン
これへこれへ」と
御前近く召されける
ラゴトン謹んで
「さて、姫宮様はこなたへ御入りましますか
めでたさよ」と申しける

太子聞こし召し
タツセの洞の有様
かようかようと語らせ給い
「早早、迎えに参るべし
汝も供仕れ、用意せよ」
とぞ仰せける
「畏まって候」
と御前を罷り立ち
人々に礼儀を述べ
「これと申すもラゴトンが
君に忠孝なせし故
おお、目出度し目出度し」
と、躍り上がって喜うたる(よろこうたる)
ラゴトンが心の内
嬉しきとも中々、申すばかりはなかりけり


五段目

 

去る間
ものの哀れを留めしは
タツセの洞におわします
あじゅく夫人や若宮にて
諸事の哀れを留めたり
五年の春秋(はるあき)送り迎え給えども
御訪れの有らざれば
いたわしや、后の宮
兄弟の若宮に仰せけるこそ哀れなれ
「御身達の父上は
故郷へ御座のその時に
五年の初春には
必ず迎えを越すべきと
固く契約なされしが
五年の夏も過ぎ
秋も半ばになり行けど
訪れもましまさず
変わり易きは人心(ひとこころ)
いかなる花に馴れ給い
我々が事共を
捨て置かせ給うかや
もしまた、旅路の草の葉の露と
消えさせ給うかや
あら、恋しの太子や」と
悶え焦がれて泣き給う

兄弟の若宮は
大人しやかにのたもうは
「御約束のその日数
遙かに遅れ候えば
御嘆きは理なり
この上は、我々、母の御供仕り
西上国へ尋ね行き
御命だにましまさば
遂には巡り合うべきに
さのみ嘆かせ給うまじ
早早、御出で候えや、母上様」と
のたまえば、母上は聞こし召し

「さてもさてもおことらは、
未だ年も行かずして
かく大人しく申すかや
これに付けても
恨めしきは、母が身や」と
しばし、涙を堰あえず

哀れなるかなお后
心弱くては叶わじと
兄弟の御手を取り
旅の装束なされける
いたわしや人々は
紙のふすま( 衾)を身に纏い
笹の小笠で顔隠し
頼る物には竹の杖
二人の若の手を引いて
物憂きタツセの洞なれど
幾年降れし好み(よしみ)
又帰らじと思うにぞ
名残惜しきこの山を
まだ夜を深く立ち出でて
西上国はそなたぞと
思う心を頼りにて
切り立ち登る深山(しんざん)を
分けて出でるぞ物憂けれ

岩根の床は主(しゅう)なきに
枕ぞ峙て(そばだて)終夜(よもすがら)
松桂(しょうけい)に鳴く梟(ふくろう)の
声すさまじく、呼子鳥(よぶこどり)
野を分け行けば蘭菊(らんぎく)の
花に狐の声を聞く
遙かに照す山の端に
月、ほのぼのと出で給う
月の光の影頼む
露打ち払い谷の戸に
鹿の音、かすかに訪れて
猶も思いは、ひを虫(※カゲロウ)の
鳴く音に辛さや勝るらん

行く先々も山なれば
高嶺の雲に身を寄せて
岩漏る水にのんどを潤し
峨々たる山の峙(そば)伝い
心を砕く折からに
深山(ふかやま)烏(からす)の声立て
いとど心を悩ませり
野を過ぎ、里を出る日は
賎が伏せ屋に仮寝して
旅立つ空の行方とも
月日を重ね今は早や
二年三月と申すには
鹿野園(ろくやおん)にぞ着き給う

赤栴檀(しゃくせんだん)の木の下に
親子三人立ち寄りて
暫く休息なされける
いたわしや母上は
長の旅の御疲れ
又は、風邪の心地にや

「のう如何に兄弟
しばらく休らい給え」とて
そのままかしこに、どうと伏し
今を限りと悩まるる
兄弟の若宮達
あまりの事の物憂さに
木の葉を集め褥(しとね)とし
木の根を枕となされける
心の内こそ哀れなり

あらいたわしや母上は
苦しげなる御声にて
「如何に兄弟
あたりに水のあるならば
求めてたべ」とのたまえば
千光(せんこう)聞きもあえず
谷に下りて水を汲み
御枕に寄り添い

「これこれ、きこし召されよ」
と、の給う声に力を得
少し、心を取り直し
若宮達に寄り添いて
さも苦し気なる息を付き

「我は空しくなるべきぞ
自ら浮き世に無きならば
誰(たれ)やの者が哀れまん
これぞ冥途の障りなり
由、それとても力無し
会うは別れの元いなり
心強くも何とぞして
西上国へ尋ね行き
父上に巡り会い
この有様を語りつつ
亡き後問うて給われや
例え儚くなるとても
心は尚も留まりて
影身に添うて守るべし
父上のおわします
西上国へは程近し
やがて尋ね会い給わん
道行く人に会わん時
いかなる者ぞと問うならば
名も無き者と申すべし
衣冠正しき高人(こうじん)の御尋ね有るならば
先祖を詳しく語りつつ
父の在処(ありか)を尋ねべし
言うも甲斐無き自らが
形見の物を参らせん
肌の守りは、千光宮
この簪(かんざし)は千子(せんし)宮
母に添うと思いつつ
肌身に添えて持ち給え
この鬢(びん)の髪は
御父太子に会い給わば
これを形見に見せ給え
あら、恋しの御太子
名残り惜しの兄弟や
暇申してさらば」とて
これを、最期の御言葉
二十七歳を一期として
終に空しくなり給う

兄弟、夢とも弁えず(わきまえず)
「こはそも如何に母上」と
呼べども叫べども
その甲斐さらにかなりけり
「何となりなん、浅ましや
昨日までも今朝までも
長の旅路の憂さ辛さ
御母上を頼りにて
日数を重ねて参りしに
のう、ここまでか、限りかや
何とて物をのたまわぬぞ
のう母上様、母上」と
甲斐無き死骸を押し動かし
顔と顔をおも(面)添えて
声を上げてぞ無き給う

去れども千光大人しく
千子(せんし)宮を誘いて
赤栴檀(しゃくせんだん)の枝を取り
母上の御死骸
無常の煙となし給う

「如何に、千子宮
今は嘆きて詮も無し
片紙も急ぎ
西上国へ尋ね行き
父の御目にかかりつつ
母の御事語らん」と
印の塚に打ち向い

「のう、母上様
仰せに任せ兄弟は
西上国へ参るなり
暇申して(さらば)」とて
生きたる人に言う如く
塚の元に倒れ伏し
悶え焦がれて泣き給う

かかる哀れの折節
何処ともなく、老人一人来たりつつ
「見れば、方々は、幼き人のただ二人(ににん)
行き来まれなる所にて
嘆き悲しみ候こと(の)不思議さよ」
とぞ申さるる
兄弟、涙と諸共に、始め終わりを語らるる
老人、聞きて
「げに、労しき次第かな
西上国まで
この翁が道しるべ申さん
此方へ来たり候え」と
兄弟を伴いて
西上国へと(急がるる)

これはさておき、御父、千丈太子は
急がせ給えば程も無く
鹿野園の此方なる
ウンビシュリンに着き給う

労しや兄弟は
この由見給えば
御輿を掻き並べ
華鬘(けまん)瓔珞(ようらく)差し掛けて
公卿大臣、辺りを払い見えにけり
千光、のたまいける様は、
「如何に千子(ぜんし)
母上の仰せられしはここぞかし
急ぎ立ち寄り名乗らん」と
御輿の前に立ち寄らんとし給えば
官人共はこれを見て
「やあ、見苦しき者どもの
御輿の前へ来たること
冥加も知らぬ曲者」と
散々に打ち伏する

千子あまりの悲しさに
「のう、情け無き振る舞いや
咎無き者のことなれば
助けて給われや人々」と
縋り付かんとし給えば
これもすかさず打ち伏する

労しや千光は、
打たるる杖の下よりも
「それは幼稚の者なれば
露の命もあるべきか
自ら打たせ給え」とて
縋り付いてぞ泣き給う

しかる所に御太子
御輿の内よりも
この由ご覧じて
「あの、幼きを打ちけるは
如何なる咎にてありけるぞ
未だ、年も行かざる者
荒気無く(あらけなく)計ろうな
子細を問わん、連れて参れ」
と仰せける

畏まって候と
兄弟が手を取り、やがて御前に引き据ゆる
太子ご覧じて
「いかなる咎を仕り、左様に打たるるぞ
さて、汝らは如何なる者ぞ」
と仰せける
兄弟は聞こし召し

「今は何をか包むべき
我々が父上は
西上国の主(あるじ)千丈太子
母上は、アシュク夫人と申して
東上国の姫宮」と
名乗りも果てぬその先に
御輿よりも降りさせ給い

「さては左様か、我こそは
おことらが父なり」と
互いにひしと抱き付き
これはこれはとばかりなり
落つる涙の隙よりも

「さて、母上は」と仰せける
兄弟は聞こし召し
「さればこそとよ、母上は
父上を恋わびて
七日以前に、鹿野園の麓にて
空しくならせ給うぞ」と
のたもう声の下よりも
「それは、誠か悲しや」と
そのままそこに倒れ伏し
前後も知らず嘆かるる
落つる涙の隙よりも
口説き事こそ哀れなれ

「我、旅路を急ぎしも
后(きさき)の宮に会わんため
夜を日に継いで来たりしに
生死の道は儚くも
会わで過ぎゆき給うかや
あら恨めしの憂き世や」と
悶え焦がれて泣き給う
殊に哀れを留めしは
若宮達にて留めたり

「母上、最期にのたもうは
由(よし)ある人に会うならば
先祖を語り
父上の御行方を尋ねよと
のたまいし故にこそ
御目にかかり候なり
急いで帰らせ給いなば
か様の事はよもあらじ
これと申すも父上の
遅く帰らせ給う故
儚く成らせ給うぞや
のう如何に父上様
母上、返させ給え」とて
縋り付いてぞ無き給う

御供の人々は、大きに驚き
「さてもさても冥加やな
若宮達とも知らずして
あえなく打ち奉る事
御許し候え」と
皆々、涙を流さるる

太子、涙の隙よりも
「今、兄弟に会う事は
これ、天道の恵みかや
后の跡を弔わん(とぶらわん)
輿を急げと宣旨あり
若宮達諸共に
玉の御輿に召されつつ
鹿野園に御幸あり
この人々の御有様
哀れとも中々申すばかりはなかりけり


六段目

 

去る間、御太子
若宮達を伴いて
后の廟所(びょうしょ)に御幸あり
若宮達、ご覧じて
「あれこそは母上の御廟所なり」とのたまえば
太子、この由ご覧じて
塚の上に倒れ伏し

「これが夫人(ぶにん)の旧跡か
あら恨めしや、去るとては
会わんと思う頼りにて
かかる物憂き剣山(けんざん)に
年を送り、日を重ね
迷い来たりし甲斐も無く
会わで、儚くなり給うか
さぞや、最期の折節
麿を恋しく思すらん
太子が参りて候ぞや
せめて、『千丈来たるか』と
言葉を交わし給われ」と

塚の元に伏しまろび
しばし、消え入り給いけり
若宮達を始めとして
御供ありし大臣も
「げに、御嘆きは理」と
各々、袖をぞ絞らるる
労しや御太子
御涙と諸共に
塚の上を清めさせ
花水を手向け
「南無幽霊、出離生死噸証菩提」
と、御回向あり
前後不覚の御愁傷
げに理とぞ聞こえける

臣下大臣立ちよりて
色々諫め奉り
御輿に乗せ参らせ
本国指してぞ還御(かんぎょ)あり

内裏になれば御太子
二人の若宮、さてその外の公家大臣
悉く召されつつ
「さてもつたなき世の有様
盛りと見えし春の花は
嵐に誘われ散りやすく
秋の月は雲に覆われ
我、昨日、見し人も
今日は、いつしか儚くも
若しと言えど定め無き
無常の道こそ悲しけれ
かく、つたなき世の中に
迷い暮らす輪廻(りんえ)の綱
何としてか離れんや
つらつら思んみるに
たまたま受け難き人身(じんしん)を受け
菩提心に至らずば
またもや、三悪道に堕罪して
六道四生(ろくどうししょう)を迷わんこと
貪瞋痴の三毒、日に勝り
無明煩悩(むみょうぼんのう)の
暗きより暗きに入り
何時か、法性の悟りを開き
末世の衆生を利益(りやく)せん
今生の楽しみこれまでなり」と

忝なくも御飾りを召し替えさせ給い
既に、千光、千子諸共に
御髪(おぐし)下ろさせ給いつつ
墨の衣に召し替えて
則ち、太子の御名をば、自ら法蔵比丘と付かせ給う
さて又、千光千子(ぜんこうぜんし)は
そうり(早離)、そくり(速離)と付け給う

御前近く召し使われし大臣達
ラゴトンを始め以上十六人
皆々髪を剃り落とし
出家遁世し給いけり
則ち、阿弥陀仏の六十願を表(ひょう)せり

かくて、法蔵比丘
末世濁世(じょくせ)の悪衆生
仏果(ぶっか)に至らしめんとのたまいて
四十八願を立て給い
 
さてそれよりも
アシュク夫人の廟所へ
御幸(みゆき)ましまして
印の塚に打ち向い

「声明念仏、仏果菩提一蓮托生
正道正覚(しょうどうしょうがく)なり給え
十二巻の文偈(もんげ)
夫人(ぶにん)成仏(じょうぶつ)安楽国」と
様々弔い(とぶらい)給いけり

あら、有り難や
本願、微妙(みみょう)の印現れ
草茫々たる塚、二つにさっと割れ
光明十方(じっぽう)を照らし
蓮華一本生じ、花忽ち(たちまち)開き
アシュク夫人の御姿、現れ出でさせ給い
法蔵比丘に打ち向い

「あら、尊き(たっとき)御のり(みのり)
御本願の功力により
正覚まさに疑い無し
我、最期の時に病もう受け
苦しみ深き事、しんじん(深心)にめい(銘)じたり
末世の衆生、病苦に責められんを
鎮めんは薬なり
我が、正覚のその後は
薬師とかうし(号し)
衆生の病苦を救わん」と

忽ち(たちまち)薬師如来と顕れ給い
左の御手に持ち給う瑠璃の壺には
八万四千の薬味を入れ
東方浄瑠璃世界へ飛び去り給うぞ有り難けれ

さてこそ、弥陀の六十願
十二巻は薬師如来に付属あり
今の四十八願は
みなこれ、末世の衆生のため
起こし給わる御願なり

かくて法蔵比丘、
様々の難行あり、
「我、この願、成就し
一切の衆生
我が名を唱え
成仏疑いなくんば
一つの奇瑞を見せ給え」と
虚空に向かって合掌あり

御声の下よりも
さて、仏体と顕れ給えば
早離、速離、諸共に
観音、勢至と正覚あり

時に不思議や音楽聞こえ
異香(いぎょう)薫じ、花降り
南無阿弥陀仏の六字の名号(みょうごう)光を放ち
十方世界(じっぽうせかい)を照らし給えば
諸々の仏、菩薩、数多下らせ給いけり

法蔵比丘はご覧じて
「さては、この願、成就疑い無し
我、阿弥陀仏と号し
愚痴、無知どもに
極楽浄土へ救い取らせ給わん」
との本願、有りがたかりける次第なり

諸々の仏、菩薩
御願、多しと申せども
忝なくも、弥陀如来の御本願
罪悪心の者ども
一念弥陀仏(いちねんみだぶつ)即滅無量罪(そくめつむりょうざい)
現受無比楽(げんじゅむひらく)後生清浄土(ごしょうしょうじょうど)
一切問う菩提心 二世安楽」と
救い給わん御誓い
有り難しとも中々申すばかりはなかりけり

右この本は、太夫直伝の正本を、もってこれを写し、板行するものなり