毘沙門之本地

説経正本集第三(40)

石見掾(天満八太夫)
宝永八年(1711年)
鱗形屋


初段

そもそも、洛陽、鞍馬の寺に
立ち給う、毘沙門天王の由来を
詳しく、尋ぬるに
天竺の傍らに、大きなる国あり
御門の御名をば、クル国王とぞ申しける
去る程に、この帝
三皇五帝(さんこうごてい)の後を継ぎ
吹く風までも、枝を鳴らさぬ
御代なれば
剣(つるぎ)は箱を出でずして
摂家(せっけ)、六位諸共に
昼夜、出向(しゅっこう)頓首して、
君を守護し奉れば
下、人屋(じんおく)の首陀までも
閉ざさぬ御代とぞ、栄えける
掛かる由々しき、御身にも
八苦は、未だ免れず
百歳(ももとせ)近き御身にて
太子一人もましませねば
御嘆き、浅からず
卿相、雲客(うんがく)集まりて
いろいろ詮議ましませど
更にその甲斐なかりけり
ある臣下、進み出で、謹んで申す様
「昔が今の至るまで
王子無かりし、その国は
治まり難きが例あり
如何なる諸天に、願を掛け
王子を祀らせ給うべし
如何あらん」と勧めける
帝、げにもと思し召し
「さらば、願を立てん」とて
内侍所に入り給う
忝くも、大梵天王宮を
内侍所へ勧請し、
種々(しゅじゅ)の勧請、掛け参らせ
「南無帰命頂礼、大梵天
昔、陰陽(いんよう)、二つの道
別(わ)かってよりこの方
夫婦、人倫の道あり
去れば、普天率土(ふてんそっと)のせい(勢?)
凡そ、貴きも卑しきも
末の世継ぎを持たざれば
必ず、その代(よ)、絶ゆる故
悲しまざらん人やある
乞い願わくば
感応を垂れ給い
一子を授けましませ」と
深く、祈誓をなし給い
内侍所に、籠もらるる

あら有り難や
梵天王
これを不憫と思し召し
紫雲に乗し(じょうし)給いつつ
枕元に立ち給い
「如何に、大王
聞き給え
嘆かせ給う、不憫さに
三界(さんがい)を飛行(ひぎょう)して
男子の種を求むれど
更に子種は、なかりけり
御身に、子の無き謂われあり
語って 聞かせ申すべし
その身に生まれぬ前生は
これより、西に聞こえたる
こん天山(不明)
の峰に住む小鷹にてありけるが
数の鳥類、服(ぶく)する故
その業因(ごういん)が
積もり来て、子と言うものは無きぞかし
又、この国の大王と生まれ来るに
謂われ有り
こん天山の山中に
弥陀経、読誦し給える
法師(ほうし)一人ありけるが
そのお勤めの声を聞き(※鷹として)
聞法(もんぽう)功徳の縁により
今、この国の王となり
因果の程を知らずして
嘆くことこそ、不憫なれ
去れども、大願立つる故
玉体の天女をば
一人、御身に得さする」と
虚空を招がせ給えば
異香(いぎょう)燻じ
花降りて
天人菩薩、姫を抱だき
天降らせ給いつつ
内侍所へ供え置き
梵天王諸共に
虚空に失せ給いけり

大王、后、夢醒めて
「ああ、有り難の霊夢や」と
やがて、辺りを見給えば
姫君一人、おわします
后、抱だき取り給い
「君は我が子になり給わん
契まします、嬉しさよ
栄え目出度うましませ」と
お喜びは限り無し

あら不思議やな
大王も后も
姫君の御姿を見給うと
同じく、九十に満ずる御齢(おんよわい)
忽ちに若やぎ
三十路(みそじ)ばかりに見え給う
大王、后を初めつつ
卿相(けいしょう)雲客(うんがく)諸共に
これはこれはと斗にて
御喜びは限り無し

これ、人間の種ならず
天の為せる麗質にて
眉目(みめ)と言い
貌(かたち)と言い
中々、申すに及ばれず
去れば、隣里(りんり)隣国の
名を得たる人々は
及ぶも及ばざりけるも
恋いせぬ者はなかりけり
国も豊かに、民栄え、千秋万歳(ばんぜい)の御悦び
中々、申す斗は無かりけり


二段目


去る間、ここに又
摩耶国(不明)の帝をば
せいてい(青帝?)王とぞ申しける
ある時、卿相雲客を、御前に召されつつ
仰せ出でされける様は
「我、十全の王となり
心に任せぬ事も無し
しかれども、我が齢(よわい)
百歳(ももとせ)に及ぶまで
止めぬは、老いの道
蓬莱の故宮にこそは
不思議(※不死)の薬ありと聞け(※く)
聞(※利)かまほしや」と、宣旨あり
ある臣下、進み出で
「それ迄も候わず
クル国の大王に
玉体女(ぎょくたいじょ)と申して
姫宮、一人(いちにん)おわします
この姫君を
只、一目、見参らする輩(ともがら)は、
八十、九十に及びしも
忽ち、若やぎ申す由
承り候えば
急ぎ、勅使を立て給い
迎え取らせ給いつつ
叡覧あれ」と奏聞す
大王、この由聞こし召し
見ぬ恋いに憧れて
雲の上も自(おの)ずから
光りを失い給いけり

さあらば、勅使を立てんとて
カンロウと言う
兵者(つわもの)を勅使に、立てさせ給いけり
急げば程も無く
二年三月と申すには
くる国にぞ、着きにける
カンロウ、頓て参内して
金札差し上げる
大王、金札、叡覧あり
「我、一人の姫なれば
万里波濤(ばとう)を隔てんこと
思いもよらぬ次第なり
叶うまじ」との宣旨なり

勅使、面目、失いて
御前を罷り立ち
本国指してぞ帰りけり
国にもなれば、この由
斯くと奏聞す
大王、大に逆鱗あり
「朕、既に
古今のたれ(?)
金札を贈りしに
その返札に及ばずして
違背の旨、易(やす)からず
急ぎ、軍兵、遣わして
奪い取れ」
との宣旨なり
畏まって候とて
カンロウ、大将給わって
二十万騎(ぎ)を催して
打ち立つ由とぞ聞こえける

この事、尚も、隠れ無く
クル国へ、漏れ聞こえ
大王驚き給いつつ
后の宮を召されつつ
如何あらんと
涙に咽ばせ(むせばせ)給いけり

姫宮、この由聞こし召し
「かの摩耶国と申せしは
この国よりは、大国にて
人の心も、知恵深し
程なく、押し寄せ来るべし
さもあらば、父母(ちちはは)の
自ら、惜しませ給うとも
返って、恨みとなりぬべし
名残惜しくは候えども
早早、送らせ給うべし
恨みと、更に思わじ」と
涙と共に、の給えば
大王、后、諸共に
とこうの思いに掻き暮れて
御涙は、堰あえず
臣下、一人、進み出で
「仰せの如く、姫宮を
送らせ給わぬものならば
程なく、寄せんは治定なり
送らせ給え」と奏聞す
大王、涙を押し留め
「その義にてあるならば
名残惜しくは思えども
急ぎ、送り参らせよ」
承わり候とて     
供奉(ぐぶ)の卿相、華やかに
身を飾りたる女官ども
その数、数多召し連れて
摩耶国指してぞ、急ぎける

急がせ給えば程も無く
七日と申す暮れ程に
「こけのう」(※苔の生:こけのふカ)にぞ着き給う
既に御輿を休めけり
かの「こけのう」と言う所は
鄙(ひな)の住まいの事なれば
都には変わり
葦(あし)の野(や)の葎(むぐら)は
壁を争いて
月も寝屋洩る、しんだん(?神壇カ)に
物憂き事は、数知らず
余り寂しき、徒然に
女房達を召し、管弦を初めあそばるる
労しや、姫宮は、
古里におわします
父母(ちちはは)の御事を
恋し、ゆかしと思し召し
管弦、更に、身に沁まず
其方(そなた)の空を眺めつつ
一人(ひとり)心を侘び給う
旅寝の憂さは変われども
月は、昔に、変わらねば
澄み渡りてぞ出でにける
姫宮、由をご覧じて
一首の歌に、斯くばかり

『旅の空 月も隈無く 出でぬれば
いとど心は 澄み上がるかな』

と、斯様に詠じ給いつつ
伏し沈みてぞ、嘆かるる
御前なりし、女房達
げに、道理なり、理(ことわり)と
共に、涙、堰あえず
掛かる哀れの折節に
異香(いぎょう)、空に薫じつつ
紫雲、ひと叢、棚引きて
二十ばかりの小人(しょうにん)の
さも華やかに出で立ちて
姫宮のおわします
りょしょくでん(?旅宿殿カ)に
舞い下がり

「如何に姫宮、聞き給え
我をば、誰とか思すらん
これより西に当たりつつ
維縵国(ゆいまんこく)の大王の一子
金色太子(こんじき)とは
我がことなり
然るに、大王は百歳
母の后は九十三
老いの身の事なれば
姫宮の御事を
風の便りに聞こし召し
君を迎え参れとて
これまで、参り候なり
急ぎ、渡らせ給うべし
姫宮、如何に」
と仰せける
姫宮、由を聞こし召され
「さればとよ、自らは
これより南天
摩耶国の内裏へ迎い取らんとて
勅使参りて候えば
摩耶国へ赴くなり
君と打ち連れ行くならば
摩耶国の内裏より
我が国へ押し寄せて
国の騒ぎとなりぬべし
許させ給え」
と仰せける
太子、由を聞こし召し
「その義にてあるならば
我、摩耶国へ、馳せ向かい
軍勢を押し留め
御迎えに参るべし
御身は故郷に帰りつつ
恋しき父母に逢い給え
見え(まみえ)初めに
新枕、並べてあるならば
例え、軍(いくさ)に打ち負けて
露と消えなん我が命
如何で惜しみ候わん
姫宮、如何に」
と、口説かるる
姫宮も、岩木ならねば
衣に包む、紅葉葉(もみじば)の
色に見え染むる風情にて
「恥ずかしながら
賤が屋に、移らせ給え、少人」
と、寝殿に入り給い
互いに翠帳紅閨(すいちょうこうけい)の枕を並べつつ
妹背の仲の御契り
浅からずと見えにけり
兎にも角にも、この人々の心の内
嬉しきとも、中々
申すばかりはなかりけり


三段目


去る間
既にその夜も明けければ
金色太子は、姫君に近付いて
「我、摩耶国へ参るなり
御身は国へ帰りつつ
我をば、待たせ給うべし
又、是よりも
摩耶国へ、三年(みとせ)の道とは申せども
金泥駒(こんでいごま)にて行くならば
一年(ひととせ)には参りべし
去れども、三年は待ち給え
三年、過ぎなば
某は、空しくなると思し召し
後世をば問うて給われや
名残惜しや」
と、の給えば
姫宮、由を聞こし召し
「今宵一夜の契にて
道、遙々と、摩耶国へ
下らせ給うか、恨めしや
古里、出でし、その時は
父母に引き別れ
是まで参りて候えば
片紙も忘るる暇も無し
今又、御身に別れつつ
再び、物を思う」
とて、互いに手と手を取り組みて
口説き嘆かせ給いける
姫宮、涙の暇よりも
「げに、摩耶国は
大国にて候へば
君、一人、ましまして
何と、叶わせ給うべき
不思議さよ」
と仰せける
太子、この由、聞こし召し
「ご不審は、尤もなり
我等、家の重宝に
金石(きんせき)縅(おどし)の大鎧(よろい)
金剛の兜(かぶと)を着
敵(かたき)に向かいて
矢の立つ事候わじ
大通連(だいとうれん)という太刀を、
一振り、振れば
一度に千人の首、落つるなり
敵、如何程、有りとても
如何で打たれ申すべき
暇申して、さらば」とて
一首の歌に書くばかり

『君故に 捨つる命は 惜しからず 何時の世にかは 巡り逢う(おう)べき』

と、斯様に連ね給いける
姫君、返歌に書くばかり

『何時の世と 思う君こそ 儚なけれ 月日重ねて 巡り逢うべし』

と、今ぞ、別れの憂き涙
余所の見目も哀れなり
太子、涙の暇よりも
「時刻、移りて、叶わじ」と
門外指して、出で給うが
又、立ち返り、するすると走り寄り
「是が別れか、悲しやな」
去れども、太子は、金泥駒に打ち乗りて
摩耶国へと、急がるる

哀れなるかな、姫君は
太子の後を見送りて
しばし、消え入り給いけり
女房達は、立ち寄りて
姫君の御手を取り
神輿に移し奉り
クル国指してぞ、帰らるる

内裏になれば
父、大王も母上も
これはこれはとの給いて
御悦びは、限り無し
暫くありて、姫宮は
金色太子の御事を
有りの儘にぞ語らるる
大王も母上も
斜めならずに思し召し
月日を送らせ給いけり

これはさて置き
若宮は、急がせ給えば程も無く
摩耶国にぞ着き給う
とある所に立ち寄りて
事の体を見給えば
軍兵ども集まりて
明明日(みょうみょうにち)になるならば
クル国へ寄せんとて
着到、付くる有様は
目を驚かすばかりなり
太子、由をご覧じて
馬に付け置く物の具を
いちいちに取り出し
やがて、装束なされつつ
しゅぼう(拄棒)と言える杖を突き
内裏を指してぞ入り給う

番の者、是を見て
「何者」と怪しむる
太子、この由、ご覧じて
「いや、苦しゅうも候わず
クル国よりの使いなり
伺い給え」との給えば
承ると申して、この由、斯くと奏聞す
大王、叡聞、ましまして
「クル国の勅使とは
如何なる事」
と、宣旨あり
太子、聞こし召されつつ
「某、勅使に参る事
別の子細で候わず
承り候えば
姫を、奪い取らんとの
催しと承る
それ、クル国と申せしは
小国にては候えども
人の心の猛くして(たけく)
中々、敵い(かない)候わまじ
某、留めん、その為に
これまで、参りて候なり
如何に、如何に」
との給えば
御前、成し官人ども
この由、聞くよりも
「斯程、催す、大君を
御身、ひとりが分として
留めんとは
おこがましや
それ、引っ立てよ」
と、言うままに
小腕(こがいな)取って引っ立つる
太子、力及ばずして
門外指して出で給う

大王、逆鱗、浅からず
「あれ程の小冠者(こかじゃ)めを
国に帰すも無念なり
軍神の血祭りに
討ち捨てよ」
と宣旨あり
承って候とて
各々、剣を引き下げて
余すまじとぞおめきける
太子、この由、ご覧じて
「あら、物々しの有様や
 いで、物見せん」
との給いて
大勢に割って入り
軍(いくさ)は、花をぞ散らしける
官人、数多(あまた)討たるれば
敵うまじと言うままに
此処彼処より、駒駆け出し
太子を中に押っ取り込め
火水になれと攻めにける
太子、由をご覧じて
大通連の剣を抜き
一振り、振らせ給えば
千人は、一同に
首は、前にぞ、落ちにける
残る軍兵、堪らず
皆、ちりぢりに敗軍す
太子、勝ち鬨、作り掛け
金泥駒に、鞭を打ち
クル国指してぞ、急がれける
金色太子の振る舞い
鬼神にも勝れりとて
皆、感ぜぬ者こそなかりけり


四段目


哀れなるかな、姫宮は、
金色太子の御事を
忘るる暇も、ましまさず
明け暮れ、待たせ給えども
波濤を隔つる事なれば
夕告鳥の声も無し
余りの事の悲しさに
女房達を伴いて
南面(みなみおもて)に出で給い
其方(そなた)の空を見給えば
何処とも無く
翼(つばさ)ども、ひと叢、連れてぞ通りける
姫宮、つくづくとご覧じて
「あれ、見給えや、女房達
只今、渡る、鳥類は
風に誘われ、家と(※も)無く
万里の外(ほか)を飛び駆けり
心に叶わぬ事も無し
ああら恨めしや
自らは
女の身として生まれ来て
只、後宮の憂き住まい
心の慰む方も無く
明け暮れ思いの、瀬に沈む
たまたま人に、馴れ初めて
重ねて、姿、見えもせず
あら、羨ましの、鳥類や
我が身も、かかる身なりせば
摩耶国へ、飛び行きて
恋しき人に、逢うならば
今の思いは、よもあらじ
あら、懐かしの太子や」と
口説き嘆かせ給いけり
女房達は、承り
「御理なり、去りながら
太子と君と
人知れず
御兼ね言や、ましまさん
それを、標(しるべ)に、憂き時を
待たせ給え」
と諫むれば
姫宮、涙を押し留め
「されば、契りし、兼ね言は
三年(みとせ)待てと、有りしかど
最早、四年(よとせ)の夏までも
御訪れの無き事は
討たれさせ給うらん
今は、この世に無き人の
御為なり」
との給いて
法華経、転読(でんどく)なされつつ
頓証菩提と、回向して
虚空を礼拝し給いける
掛かる哀れの折節に
紫雲棚引き、忽ちに
異香(いぎょう)薫じて
菩薩聖衆(しょうじゅ)、来迎し
若き男を先に立て
東を指してぞ、通りけり

姫君、不思議に思し召し
めう王けい(明王鏡)を取り出だし
よくよく、映して、見給えば
金色太子の姿なり
姫宮、いよいよ、憧れて
「のう、是、見給えや
女房達、これに映らせ給うこそ
恋しき人の姿なり
かかる風情に見給うは
我を恋しく思し召し
鏡に映らせ給うかや
又、後世、問えとのお告げか
もしも、左様の告げならば
映る姿を、その儘に、
消え給うな」
と、の給いて
鏡にい抱き着き給えば
紫雲と共に失せ給う
又、鏡の裏に彫り、鶴亀
共に、地に落ちて
何処ともなく飛び上がる
姫宮、尚も憧れて
天に仰ぎ、地に伏して
消え入る様にぞ泣き給う
御前なりし、女房達
「げに、理や道理」とて
共に、涙は堰あえず

哀れなるかな、姫宮は、
積もる思いが、病(やもう)となり
今を限りとなり給う
父大王も母上も
御枕に立ち寄りて
医術を尽くし給えども
重りこそそれ、験(けん)は無し
今を最期と見えし時
少し、枕を上げ給い
「如何に、父母、聞こし召せ
扨も、自らは
重き病になる
されば、冥途の旅に
赴くなり
我こそ、後に残いて
父母(ぶも)の御菩提
弔う(とむろう)べき身なれども老少不定(ろうしょうふじょう)
の娑婆なれば
人の寿命に老若の定めのないこと。
自ら、先立ち申すなり
世は、逆様の事なれど
後を弔い(とぶらい)てたび給え
名残惜しの、父母や
暇申して、女房達
太子は、何処にましますぞ
あら、恋しの太子や」と
これを最期の言葉にて
十七歳と申すには
遂に儚くなり給う

父大王も母上も
その外に至るまで
声を上げてぞ泣き給う
哀れなるかな、父母は
御死骸にいだき付き
「こは、何事ぞ
現(うつつ)なや
百歳(ももとせ)近き我々を
後に残して、如何ばかり
掛かる思いも侍る(はべる)ぞや
とても、行くべき道ならば
父母共に連れ行け」と
御死骸を押し動かし
顔と顔とを、面(おも)添えて
消え入る様にぞ泣き給う

数多(あまた)の臣下、立ち寄りて
「何と、嘆かせ給うとも
今は、叶わせ給うまじ
早々、供養あるべし」とて
御死骸を、抱だき取り
野辺に送らせ給いけり
兎にも角にも。姫君の御最期
哀れとも、中々、申す斗はなかりけり


五段目


去る間、太子は
摩耶国を滅ぼして
金泥駒に鞭を当て
クル国指してぞ、急がれける
内裏にもなりぬれば
駒を彼処に、乗り放し
頓て、参内なされける
大王、后、諸共に
金色太子に、抱だき付き
声を上げてぞ、泣き給う
太子、大に呆れ果て
「如何なる事」と言い給う
后、涙を押し留め
「姫は、御身に憧れて
昨日、空しくなりてあり
一夜を待たで、死したりし
蜉蝣のえい(?命)の憂(う)き契り
つれなかりつる人や」とて
喚き(おめき)叫ばせ給いけり

太子、夢とも弁えず
「これは、誠か
悲しや」と
倒れ伏してぞ、泣き給う
口説き言こそ哀れなり
「せめて、最期の折節に
見参らするものならば
斯程に、物は思うまじ
一夜隔つる往生の
雲隠れとは
これ、ならん
如何なる因果、歴然の
道理によりて、斯様なる
憂き思いを見るぞ」とて
人目も恥ず、泣き給う
大王も母上も
太子を諫め給うは
「さのみ、嘆かせ給いそよ
死する憂き身は、是非も無し
御身は、是に留まって
我々、慰め給うべし
姫は、浮き世にあらずとも
如何で、心の変わるべき
暫く、休息ましませ」と
涙と共に、入り給う

哀れなるかな、若宮は
持仏堂に取り籠もり
花を摘み、香を焚き
「必ず、冥途黄泉まで
我を恨ませ給うまじ
昔に変わらずば、
今一度、現れて
我を連れ行き給え」とて
口説き嘆かせ給いけるが
その夜は、そこに籠もらるる

掛かる折節
冥土にまします、姫宮は
太子の枕に立ち寄りて
「あら、懐かしの太子かな
我こそ、姫にて候なり
苔の生(こけのう)にての睦言に
三年は、待てとありし故
明けぬ暮れぬと待ちぬれど
御訪れの無き故に
これぞ、思いの種となり
一夜を待たで、露の身の
消えにし我が心の内
思し召しやり給え
去れども、自らは
じょうごう(定業)なれば力なし
我を、恋しとあるならば
金泥駒に打ち乗りて
虚空に向かい
目をふさぎ、つつゐ(筒井)の浄土と尋ねつつ
(※浄土にある井戸を指す)
来たり給うものならば
必ず対面申すべし
これに暫く留まりて
憂き言の葉の数々を
語りたく思えども
時の太鼓も聞こうるに
名残惜しや」
との給いて、すごすごと出で給う

太子、夢醒め、かっぱと起き
抱だき付かんとし給えば
消えて姿は、無かりけり
太子、憧れ、声を上げ
「あら、恨めしの次第かな
今一度、御姿を見え(まみえ)させ給えや」と
そのままそこに、倒れ伏し
只、ほうほうとして無き給う
落つる涙の暇よりも
「さらば、尋ねに出でん」とて
急ぎ、装束なされつつ
「大王や后にも
暇乞いとは、思えども
定めて、嘆かせ給うべし」
心ばかりの暇乞い
金泥駒に打ち乗りて
御目をふさぎ、鞭を当て
行方(ゆくえ)も知らず出で給う

暫くありて、目を開き
四方をきっと、見給えば
只、渺々たる(びょうびょうたる)
広き野に、出でさせ給うぞ
不思議なり
「これより、何処へ行くやらん」と、心細く思し召し
駒を速めて、急がるる
急がせ給えば、程も無く
大木の本に、着き給う
梢、遙かに、見給えば
その様、け(化)したる
姥(うば)一人(いちにん)
大石に腰をかけ、辺りを払っておわします
太子、不思議に思し召し
暫く、出でもやらずして
時を移して立ち給う
ややありて、奥よりも
罪人と思しくて
千筋(ちすじ)の縄を、首に掛け
姥の御前に引き出だし
「只今、娑婆より参るなり
罪の軽重(きょうじゅう)、計らいて、落とし給え」
と、申しけり
姥、罪人を、ご覧じて
「罪を尋ぬる迄も無し
まずまず、衣装を剥ぎ取れ」とて
かの、毘蘭樹(びんらんじゅ)に投げ掛くる
さて、姥、の給いける様は
「汝、娑婆にて、堂塔に火を掛くること
せんけん(千軒)なり
去るに依って、汝をば
等活地獄へ、遣わん」とて
阿傍羅刹(あぼう らせつ)に渡さるる
罪人、涙を流しつつ
「堂塔、焼きし事もなし
只、仏の御慈悲に
浄土へ送りて給われ」と
弱ぼい(よろぼい)伏してぞ
嘆きける
姥は、大に腹を立て
「さのみ、物な、争いぞ
出で、出で、印を見せん」とて
浄玻璃鏡(じょうはりきょう)をぞ、見せにける
疑いも無く。いちいちに
罪の数々、現るる
因果の炎、吹き来たり
忽ちに、焼き払い
等活地獄に落ちにけり

又、傍らを見給えば
二十歳(はたち)余りの女房を
剣の山へ追いあげて
登れ、登れと
呵責する
無残やな
罪人は、手に取るも剣なり
一足歩めば、さっとは裂け
二足歩めば、さっと裂け
足の裏より出でる血は、
紅(くれない)の如くなり

太子、この由、ご覧じて
いとど心も消え果てて
如何はせんとぞ思わるる
「いやいや、我々は
世の人に変わる身なれば
例い、罪科に会うとても
姫の行方を尋ねん」と
頓て、辺りへ立ち寄りて
「如何に、姥御前(うばごぜ)
筒井の浄土と申せしは
何処の程にて候ぞや
教えてたべ」とぞ
言い給う
姥、この由をご覧じて
「見れば、御身は、有漏の身にて
浄土を尋ね給う事の不審なり
されども、この道、行き給わば
ぐれん河(紅蓮河)とて、大河あり
その川を渡りなば
容顔美麗(ようがんびれい)の
お僧の、河の辺り(ほとり)に
ましますべし
それに、詳しく問い給え」とある

太子、いよいよ、力を得
道を遙かに急がるる
教えの如く、大河あり
水は即ち、氷となり
鏡を見るが如くなり
金泥駒を、さっと入れ
向こうの岸にぞ、着き給う
ここに、河原を、見渡せば
幼き者ども、集まりて
石にて塔を組み立て
一重(いちじゅう)組んでは父の為
二重組んでは、母の為と
幼気(いだいけ)したる手を合わせ
「娑婆にまします、父母に
会わせてたべ」と
河原にかっぱと、倒れ伏し
消え入るようにぞ、泣き至り
地蔵菩薩は、出で給い
「此方へ参れ、童んべ」と
ひとつ所へ、掻き寄せて
「娑婆の父母、我なる」と
衣の下に押し入れて
育み(はごくみ)給うぞ哀れなり
太子、涙と諸共に
お僧に近付きて、
「筒井の浄土へ行く道を、教えてたべ」
と、問い給えば
お僧、由を聞こし召し
「この道、過ぎ行き給いなば
お僧、七人通るべし
(※北斗七星のこと)
それに、詳しく問い給え
子細はあらじ」
と、の給いて
行方知らず、なり給う
太子、斜めに思し召し
駒を、速めて、急がるる
兎にも角にも、金色太子の心の内
哀れとも中々、申す斗はなかりけり


六段目


去る間、若宮は
菩薩の教えに任せつつ
知らぬ山路を急がるる
日没(にちもつ)する夜半(よわ)なれど
月、出でずして、道暗し
ある岩陰に、休らいて
月の出潮を、待ち給う
三五(※十五夜)に満つる月輪も
由旬の光を、輝かし
下天(げてん)の照らしましませば
夜昼(よるひる)と言う、境無し
太子、駒より、飛び降りて
七曜に打ち向かい(※北斗七星)
「地蔵菩薩の教えにて
これまで、参りて候なり
つついの浄土へ行く道を
教えてたべ」
と、の給えば
貪狼星(どんろうぼし)は、聞こし召し
「この道、遙かに行き給え
天の河とて、大河あり
河の辺りに、上﨟、一人(いちにん)おわすべし
それに、詳しく、問い給え
道行人(みちゆきびと)」
と、の給いて、雲井遙かに昇らるる

太子、斜めに思し召し
足に任せて迷わるる
ようよう行けば程も無く
天の河にぞ、着き給う
教え、少しも、違わずし
上﨟、一人、おわします
急ぎ、立ち寄り給いつつ
「筒井の浄土へ
 行く道を教えてたべ」
とぞ、仰せける
上﨟、由を聞くよりも
「見れば御身は、有漏の身にて
浄土を尋ぬる不思議さよ」
「参候、某は
クル国王の姫宮に
一夜の契を込めけるが
彼の姫、空しくなりて後
筒井の浄土を尋ねべし
対面せんとの、告げにより
これまで、迷い来たり
哀れみ給え」
と、の給いて御衣の袖をぞ、絞らるる
上﨟、由を聞こし召し
「恋路と聞けば、いとど尚
とうに辛さぞ、勝りける
我は、七夕の星の精
この河、隔て、年々に
一夜を契り候が
もし、一滴も雨降れば
洪水、涙を畳みつつ
会わで、空しく帰るなり
やる方無きを感ずれば
さぞや、御身も、我如く
焦がれ果てさせ給うらん
出で出で、教え申すべし
この河、渡り給いつつ
男一人、通るべし
それこそ、我が男(お)
七夕にておわします
詳しく尋ね給え」
とて、頓て、過ぎ行き給いけり
太子、悦び給いつつ
金泥駒に打ち乗って
天の河をぞ越え給う

向こうの岸を見給えば
男一人、犬を引き
川の畔(ほとり)に佇めり
太子、走り寄り
筒井の浄土を問い給う
男、答えて言う様は
「この道、遙かに過ぎ給え
数多の御僧ましまさば
詳しく尋ね給え」とて
川上指してぞ、上らるる

太子、斜めに思し召し
野暮れ山暮れ、急がるる
教えの如く、御僧達
その数、数多(あまた)見え給う
太子、駒より飛んで降り
「筒井の浄土へ行く道を教えてたべ」
と、仰せける
輿の内より、の給う様
「この道、遙かに行き給え
大なる道あり、色よき女、立ち出で
此方へと申せども
必ず、赴き給うまじ
如何にも、人無き道あらば
そこへ、赴き給うべし
赤栴檀という木あり
その木の本に待ち給え
尋ぬる人に会うべき」
と、輿を速めて、通らるる

太子、いよいよ、力を得
「扨は、尋ぬる浄土へも
今少しよ」と思し召し
急がせ給えば程も無く
大道にぞ出で給う
教えの如く、外道ども
色よき様に、持て成して
袂を控え、押し留む
太子、少しも、赴かず
さも、草深き、細道へ
駒を速めて、急がるる
赤栴檀と、打ち見えて
大木、一本見えければ
かの木の本に駒を止め
暫く、休ませ給いけり

掛かる折節
姫宮は、筒井の浄土にましまして
無量快楽の身成れども
五衰は未だ、免れず
帝釈の御前(おまえ)にて
日番、当番、暇(いとま)無く
数多の天人、打ち連れて
筒井の池へぞ出でらるる
 
池の汀(みぎわ)になりぬれば
何れも水を結びつつ
王宮へぞ、帰らるる
哀れなるかな、姫宮は
水を、結び給う間も
金色太子の御事を
恋しゆかしく思し召し
絞るる袖の露、干す暇(ひま)も無く、
侘び給う、心に内こそ、哀れなれ

あら不思議やな
金色太子の御姿
水に映ろい、見え給う
姫宮、はっと思し召し
振り仰のいて(あおのいて)見給えば
少人一人おわします
よくよく見れば、我が夫なり
「のう、それなるは、太子にてましまさぬか
我こそ、姫にて候ぞや」
太子、夢とも弁えず
互いに袖に取り付いて
先立つものは、涙なり
落つる涙の暇(ひま)よりも
「如何に、姫宮、聞き給え
御身の教えに任せつつ
遙々、これまで、参りたり
憂さも辛さも
此のままは
語り尽くさん事あらじ
いざ、古里へ帰らん」と
袖を控えて、の給えば
姫宮、由を聞こし召し
「我が身は、生を変えぬれば
中々、帰る道も無し
去れども、ここに待ち給え
由を伺い申さん」と
御前を指してぞ出でらるる

御前に成りしかば
「如何に、申さん、自らが
娑婆に在りし、その時に
夫を持って候が
是まで、尋ね参りたり
如何せん」とぞ、申さるる
梵天、この由、聞こし召し
「それは、金色太子とて
維摩国の太子なり
凡夫の身にて、叶うまじ
筒井の池にて、清めつつ
伴うべし」と仰せける
姫宮、斜めに思し召し
やがて太子に近付きて
「この、筒井(※井戸)にて、身を清め
娑婆の姿を引き替えて
対面あれ」とぞ、仰せける
太子、由を聞こし召し
「さあらば、身を清めん」と
筒井の池に望まるる
あら有り難や
天神地祇も、加護をなし
殊に、難陀竜王も、筒井の池に
景向(ようごう)あり
口よりも、甘露の水を吐き
太子を清め奉り
竜宮へぞ、帰らるる

その後、姫宮は、
打ち連れ、御前に出でらるる
梵天、笏を取り直し
「如何に、太子
聞き給え
この土(ど)へ赴く、衆生らを
帰す事は、無けれども
御身は、既に、拘留孫仏の化身なり
再び、娑婆へ帰すなり
則ち、名を改めて
毘沙門天と号せられ
姫宮の御名をば、吉祥天女(きちじょうてんにょ)と付け給い
衆生済度し給え」
と、飛行の車を下さるる

太子、姫宮悦びて
これより、直ぐに、本国へ
帰らんとは、思えども
「天女の恨、深かるべし
金泥駒に、我が住処(すみか)尋ねさせん」
と、の給いて
手綱を解いてぞ、放さるる
金泥駒も、身震いし
足に任せて駆け出だす

太子、姫宮、諸共に
飛行の車に、乗じつつ
後を慕うて、急がるる
大日本へと、飛び渡り
山城の国とかや、北山にぞ、籠もりける
太子、斜めに思し召し
その名を改め
鞍馬山とぞ付けらるる
かの山林に入り給い
吉祥天女、諸共に
現人神と現れて
衆生を守り給いけり
とうはつびしゃもん(兜跋毘沙門)
これなりけり
上古も今も末代も
例し、少なき、次第とて
感ぜぬ人はなかりけり

 

右、此の本は
太夫、直伝の抄本を以てこれを写し
令板行(はんこうせし)ものなり

 

卯 正月吉日
鱗形屋新板