まつら長じゃ
説経正本集第一(9)(角川書店)横山重
寛文元年五月五日 山本久兵衛板
(上方版)

初段

 

只今語り申す本地
国を申せば近江の国
竹生島の弁財天の由来を
詳しく尋ね申すに
是もひとたびは、凡夫にておわします
国を申せば大和の国
壷阪という所に
松浦長者(まつらちょうじゃ)と申して
果報の人おわします
御名(おんな)をば、京極殿(きょうごくどの)と申して
高麗(こま)、唐土(もろこし)まで聞こえ給う
四方に黄金(こがね)の築地(ついじ)を突き
四方(よも)の囲め
しゅぼく(?朱木)の林(はやし)
門(かど)を重ね
甍(いらか)を並べ
花は草木(そうもく)の数を尽くし
おのが色々さきみだれ
みぎわ(水際)の真砂(まさご)
七宝(しっぽう)を散りばめ
八万宝(八まんはう)の宝に飽き満ちて
極楽浄土とも、かくやらん

かかる栄華のめでたきに
男子(なんし)にても女子にても
御子一人もましまさず
北の御方を召され
「いかに、御台、御身とそれがし、
いく春冬(はるふゆ)を送りても
子という字無き事は
四方(よも)の 聞こえも恥ずかしや
いざや、御身とそれがしは、
長谷の観音に参り
数の宝を参らせて、嘆きてみばや」
と仰せける      

北の御方(おんかた)聞こし召し
ななめならずに思し召し
それこそ、望むところとて
夫婦諸共、うち連れて、
長谷山詣でと聞こえける
長谷にもなれば、御前(おまえ)にお参り有り
鰐口、ちょうど打ち鳴らし
三十三度の礼拝し
「南無や大悲の観世音
枯れ木に花の咲くべきとの
御誓い違わずば
男子(なんし)にても女子にても
子だねを授けてたび給え
この願、成就するならば
花の斗帳(とちょう)を黄金(こがね)にて

月に三十三枚ずつ
三年かけて参らすべし
是も不足にましまさば
錦の斗帳を並べつつ
三年(とせ)はかけて、参らすべし
是も不足にましまさば
千部の経を毎日
三年読ませて参らせん
男子なりとも、女子なりとも
子だねを授けて給われ」と
十八巻の大願立て
その夜はそこにお籠もりあり
あら有り難や
夜半ばかりの事なるに
観音は、長者夫婦の枕元に立ち寄り
「いかに、夫婦、あまり嘆く不憫さに、
子だねを一人取らする」とて
こがねの才(さい:采)を給わりて     

かき消すように失せ給う
松浦夫婦の人々は
夢醒め、かっぱと起き
「あら、有り難の御利生(おんりしょう)やと

又、礼拝を奉り
早や、お下向と聞こえける
館になれば
仏の誓い頼もしや
御台、ほどなく、御懐妊と聞こえける
九月のわずらい、あたる十月と申すには
お産のひぼを解き給う
急ぎ取り上げ見給えば
玉をのべたる姫君にておわします
やがて御名(おんな)をば
御夢想をかたどり
小夜姫御前とお付けあり
数多(あまた)の人々あい添えて
いにようかつかう (※不明)
なかなかに、申しばかりはなかりけり
かかるめでたき折節に
定め無きとはこれとかや
姫君、四歳の御時に
いたわしや京極殿
風邪の心地となり給う
今を限りとみえしとき
御台所を召され
「いかにや申さん聞き給え
一人のあの姫を
良きに育てて給われ」
と、又、さめざめと泣き給う
北の御方聞こし召し
心やすく思し召し
「御身ばかりの子にてなし
良きに育て申すべき」
長者ななめに思し召し
法華経一部取り出だし
是を形見に見せてたべ
なごしおしの次第やと
西に向かい、手を合わせ
南無阿弥陀仏、弥陀物と
これを最期も言葉にて
惜しむべきは年のほど
三十六才を一期として
明日の露と消え給う

御台所、ご一門の人々
これは、夢かうつつかやと
天に憧れ、地に伏して
流涕焦がれ泣き給う
されども叶わぬことなれば
野辺の送りをなされつつ
無常の煙となし申し
灰掻き上げて、塚を突き
卒塔婆を書いてお立てあり
おのおの館へ帰りつつ
なのか七日(しちにち)四十九日
百ヶ日も過ぎけるが
ただ一代の宝なれば
蔵の宝は蔵で失せ
庭の宝は庭で失せ
八万宝の宝物
水の泡と消え失せて
貧者の家となり給う
一門、親しき人々も
思い思いに散り果てて
皆、国々へ帰りけり
あら、いたわしや館には
御台、姫君、只二人ましますが
御台、あまりの寂しさに
姫君をいだき取り
忘れ形見と育ておき
姫に心をなぐさみて
月日を送り給えば
昨日、今日とは思えども
姫君七歳になり給う
この姫君と申せしは
一を聞いては万を悟り
天人も影向(ようごう) 

菩薩も天下り給うかと
皆、不審をなし給う
公卿、殿上人に至るまで
玉章(たまずさ)を通わざらん人は無し
あらいたわしや、御台所
春にもなれば、沢辺(さわべ)へ降りて
根芹(ねぜり)を摘み
秋にもなれば、里谷(さとだに)へ出でて
落ち穂を拾い
露の命を送られける
早、姫君十六才におなりある
いたわしや母上は、
姫君を近づけて
「今年は、早、父の十三年に当たりたり
菩提を問うべき頼りもなし」
呆れ果てておわします
法華経を取り出だし
「いかに、小夜姫
これは、父の形見なり
拝ませ給え」
とのたまいて
また、さめざめと泣き給う
小夜姫、この由聞こし召し
「これが、父の形見かや」と
御経を顔に当て、
流涕焦がれて泣き給う
落つる涙の暇よりも
「げにや誠に世の中の
親の菩提と申せしは
身を売りしろかえても
弔う(とむろう)と聞いてあり
さて、自らも身を売り
菩提を弔わん」と思い
夜半(よわ)に紛れて立ち出で
春日の明神へ参り     

南無や春日の大明神
自らを買う(こう)べき人の有るならば
引き合わせたび給え」と
深く祈誓をかけて、お下向あり
その頃、奈良の興福寺には

尊き御僧(おそう)の説法を述べ給う
小夜姫、聴聞したまいける
貴賤(きせん)群集(ぐんじゅ)の人々
我も我もと参りける
上人の、のたまう
「それ、親の菩提を問うというは
身を売りてなりとも弔うを大善」
と説かれたり
面々、さても有り難き次第とて
皆々、我が家へ帰らるる
これは、大和の物語
その頃、また、
奥州陸奥(むつ)の国

安達の郡(ごおり)(福島県郡山付近)
八郷八村(はちごうはっそん)の里には
大なる池あり

その池に大蛇が棲む 

その所の氏神にて
さて、不思議なる子細候えば
一年に一人づつ
見目良き姫を、身御供(みごく)にこそは供えける
ここに権下(ごんか)の太夫と申して
有徳なる商人(あきびと)まします
身御供の当番にあたりける
これより、都方(がた)へ上り
身を売ろうという人あらば
買い取り
下らばやと思い
女房に暇乞いし
都を指して上がりける
かの大夫が心のうち
うれしき共なかなか申すばかりはなかりけり

 

二段目

去る間、大夫は
三十五日と申すには
花の都に着き給う
都は一条小川(こがわ)(上京区)にて
菊屋と申す材木屋に宿を取り
京洛中の辻辻に
高札書いて立て置き
忍び忍びにめぐらるる
都広しと申せども
売るべき人こそなかりけれ
げに誠、これより、奈良の都を
尋ねてみばやと思いつつ
都の内を立ち出で
奈良の都へ急がるる
奈良にもなれば
つるやの五郎太夫と申せしに
宿を取り、辻辻に札を立てらるる

諸事の哀れをとどめしは
姫君にて留めたり
五更の天も明けければ
興福寺へとお参りあり
御門の脇を見給えば
高札のありけるが
立ち寄りて見給えば
『見目良き姫のあるならば
値を良く買う(こう)べきと
所はつるや五郎太夫』
と、書いてあり
小夜姫、この由ご覧じて
「さても、嬉しの御事や
これよりすぐに参りつつ身を売らん」
とは思えども
「待てしばし、我が心、
母上の嘆き給わぬいたわしや」と
涙と共に帰らるる

これはさておき、
太夫は、心に思いけるようは
札を立て、三日過ぎ行けども
立てたる甲斐もあらざれば
とやせんかくやと
案じ煩うばかりなり
かかりける所に明神は     (※春日)
これを不憫と思し召し
八十ばかりの老僧と身を変化(へんげ)
「いかに、太夫殿
これよりあなたに、
松谷という所に
まつら長者と申して、
有徳なる人ありしが
あまりに慳貪(けんどん)なるにより
萬の宝も水の泡と消え果て
その身も空しくなり給う
今は貧者の家となり
館の内には、御台、姫、只二人
もし、この人の売らせ給う事もあるべし
太夫殿」
と、のたまいて、
消すように失せ給う

太夫、由聞くよりも
さても嬉しの御事や
これは、氏神の御引き合いと喜び
松谷に参りて見てあれば
長者の住み家(すみか)とおぼしくして
棟門(むねかど)高き館あり
瓦も軒もこぼれ落ち
ちりぢり、水は漏り行けども
結びて止むる人もなし
大広庭(おおひろにわ)にお立ちあり
物申さんと、呼ばわれば
小夜姫、奥より出で給い
「誰(た)そよ」と答え給えば
「いや、苦しゅうも候わず
これは、都の者なるが
身を売る姫のあるならば
値よく買わんため
これまで参り候ぞや」
小夜姫、ななめに思し召し
さては、明神の引き合いとうれしくて
「いかに、商人(あきびと)
自ら買い取るべし
値は、太夫任せなり
親の菩提を問わんため
さてこそ身をば売るとかや」
太夫この由承り
「親の菩提と聞くからは
値良く買わん」とて
謝金五十両、参らせけり
いたわしや小夜姫は
やがて、金を受け取りて
「いかに、商人
五日の暇を給われ
明日(みょうにち)にならば父の菩提を弔い(とぶらい)
五日目の八つの頃

御迎え給うべし」と
固く契約申しつつ
太夫は宿に帰りける

あわれなるかな母上は
それを夢ともご存じなく
持仏堂(じぶつどう)にまします
小夜姫は、母の辺(あた)りに近づき
「いかに、母上様
これこれ、ご覧候え
この黄金(こがね)を、
表の門外にて拾いて候
父ご様の御菩提を
懇ろ(ねんごろ)にとぶらいてたび給え、母上様」
とのたまえば、母はななめに思し召し
「さてさて、御身は
父の菩提を悲しみて、弔い(とむらい)たく思いける、
心指しの深き故、天の与え給うなり
さらば、とぶらい申さん」と
あまたの御僧、供養して、良きに追善をなし給う
いたわしや、小夜姫は
「いかに、母上様、今は何をか包むべき
自らは、身を売りて候ぞや
商人の手に渡り
いづくとも知らぬ国へ参るなり
自らが事とては
いづくの浦場(うらば)にあるとても
命長らえあるならば
便りの文を上す(のぼす)べし
返す返すも、後にて嘆き給うこそ
なによりもって悲しや」と
流涕焦がれて泣き給う
母上、由聞こし召し
これは、夢かうつつかや
さても御身は、身を売りたると申すかや
あら、情けなき次第とて
小夜姫にいだき付き
流涕焦がれ泣き給う
姫は由を承り
「いかに、母上様、仰せはさにて候えども
前前(ぜんぜん)の事と思し召し

いかなるところに候えども
やがて訪れ申すべし」 

おいとま申してさらばとて
名残惜しくも表(おもて)を指して出で給う
母上あまりの悲しさに
「こは、いかなる次第ぞや
長者に離るること
世に無き事と嘆きしに
又、御身も別れなば
自ら何となるべき」と
あら恨めしの浮き世やと
もだえ焦がれて(こがれて)泣き給う
現(うつつ)なき御風情(ふぜい)
よその見る目も哀れなり
母上、あまりの悲しさに
「いかに、小夜姫よ、商人、是へ参るまで
しばらく、待たいよ、小夜姫」と
御袂に取り付いて
親子諸共うち連れて
またこそ、内へとお入りある
心の内の哀れさを、何に例えん方も無し

是はさて置き、権下の太夫は
「五日目の八つの頃にもなりしかば
さても、憎き次第かな
固く契約申しつるが
今に参らん、腹立ちや」と
急ぎ、松谷へ参り
館の内へ、づっと入り
「いかにや申さん姫君
何とて遅く出でさせ給うぞや
早早、出でさせ給え」と
高らか呼ばわれども
人音(ひとおと)さらにせざりけり
太夫、なおも腹を立て
持仏堂へ、づっと入りて見てあれば
御台、姫、只二人、御経転読めされておわします
太夫、大きに怒り
「いかに、姫、なにとて
遅く出でさせ給うぞや
早早出でよ」というままに
こがいな取ってひったて
表をさして走り出る
御台、この由ご覧じて
「情けなしとよ太夫殿
幼き者の事なれば、
お許し有りてたび給え」と
流涕焦がれ、お泣きある
太夫、耳にも聞き入れず
表を指して出でにけり
なおも御台は悲しみ、
後を慕い給えば
太夫、これを見て
「いかに、上﨟様、それがしは
奥州の者なるが、あの姫を養子にして
いかならん大名へも
奉公に出すものならば
御身様へ、迎えの輿(こし)を参らすべし
はやはや、帰り候」と
「幼き者の事なれば、
良きに目掛けてたび給え
今が別れか、さらば、さらば」の
涙の別れぞ哀れなり
とにもかくにも、御台所の心の内
哀れともなかなかに申すばかりはなかりけれ

三段目

いたわしや、お御台は
泣く泣く館に帰えらるる
心の内こそ哀れなり
持仏堂に参り給いて
口説き事こそ哀れなり
「あらなさけなき次第やな
今日は見つ
明日より後の恋しさを
誰(たれ)やの者を頼みつつ
小夜姫と名付けつつ
慰まぬ」
ただ世の常の事ならねば
心、狂気とおなりあり
館の内にも、たまらずして
狂い狂いもお出であり
あら小夜姫恋しやと
ついに両眼泣き潰し
奈良の都えおさまよい出で
かなたこなたと迷わるる
御台所のなれの果て
哀れと問わん人もなし

《道行き》

これはさておき
ものの哀れをとどめしは、
小夜姫にてとどめたり
あき人と、うち連れて
恋しき松谷を後に見て
春日の山を伏し拝み
木津川(きずがわ)打ち渡り

げにや誠に山城の
出での里も見え渡る
いたわしや小夜姫は
習わぬ旅の疲れにも
一首はこうぞ、詠じ給う

 

後を問う その垂乳根(たらちね)の憂き身とて
我が身売り買う(こう) 泪なりける

 

と、かように詠じつつ
命めでたき長池
小倉つつみの野辺過ぎて
ようよう行けば程もなく
花の都はこれとかや 

哀れなるかな小夜姫は
旅の装束召されつつ
権下の太夫と打ち連れ立ち
花の都えお出で給い
東(あずま)をさして下らるる
小夜姫申されけるようは
「いかに申さん、太夫殿
道物語を申さいよ」
太夫由を承り、
「さあらば語り申すべし
これは四条河原なり
あれなる林は祇園殿(ぎおんどの)

祇園林(ぎおんばやし)の群烏(むらカラス)
浮かれ心かうば玉の 

早、立ち出づるか、峰の雲
実りの水面、開くなり」
経書堂(きょうかくどう)はこれとかや
車宿り、馬(むま)留めを打ちすぎて
さて、御前(おまえ:清水寺)に付きしかば
鰐口、ちょうど打ち鳴らし

「南無や大悲の観世音
奈良の都におわします
母上様ろ安穏に
守らせ給え」と伏拝み
八声の鳥もろともに
その夜はそこに籠もらうるる
夜明けの鐘が、早、なりければ
名残惜しくも御前を下向あり
さて、さいもん(西門)に立ちよりて
南をはるかにみたまえば
古里恋しき雲の空
晴るる間も無き我が思い
秋風吹けば白川や

自ら、初めて旅の門出に
なお憂きことに
粟田口とよ悲しやな 

日の岡峠を早、過ぎて
先をいづくとお問いある
人に会わねと追分けや
山科に聞こえたる
四ノ宮河原を、たどりたどりと急がるる
行くも帰るも逢坂の
この明神のいにしえは
延喜(えんぎ)の御門(みかど)の御子に

蝉丸殿にて御座有る由を承る
両眼悪しき、その故に御捨てあり
関の明神とは、やらせ給う、有り難や
これ、いにしえをおぼし召し
やつれ果てるたる自らを
良きにお守りおわしませと
心ぼそくも伏拝み
母にはやがて
近江と聞くもなつかしや
大津、打出の浜(うちでのはま)よりも
滋賀(志賀)、唐崎の一つ松
たぐい無き身を思うにぞ
憂き身のことが思われて
いとど泪はせきあえず

急ぐ心の程もなく
石山寺の鐘の声
耳にふれつつ殊勝なり
なおも、思いは瀬田の橋
時雨(しぐれ)も、甚(いた)く守山や
この、した露に袖濡れて
風に露散る篠原や
曇りもやらで鏡山
泪にくれて見もわかず
馬淵、縄手を早過ぎて、 是(これ)多賀

浮き世の中を厭い(いとい)つつ

建ておかせ給いける
むしょう寺(無常寺?)よと伏拝み
入て久しき、五じゃうしゅく(五条宿?)
年を積もるかおいそ(老蘇)の森

愛知川渡れば千鳥立つ
小野の細道摺り針山
番場、醒ヶ井、柏原
恋しゆかしの母上に
寝物語を打ちすぎて
お急ぎあれば程もなく
山中宿におつきある。

哀れなるかな姫君は
あまりの事の物憂さに
「いかに太夫殿、
憂き長旅の事なれば
急ぐとすれど
歩まれず
この所に、二三日逗留ありてたび給え
太夫殿」
とお申しあり
太夫、大きに腹を立て
「奈良の都より奥州までは
百二十日路の旅に
日を定めたる事なれば
何と嘆くと、叶うまじ」
というままに
杖、おっとって、さんざんに打ちければ
あら、いたわしや姫君は
打ちたる杖の下よりも
口説き事こそ哀れなり

哀れなるかな姫君は
あまりの事の物憂さに
「いかに太夫殿、
憂き長旅の事なれば
急ぐとすれど
歩まれず
この所に、二三日逗留ありてたび給え
太夫殿」
とお申しあり
太夫、大きに腹を立て
「奈良の都より奥州までは
百二十日路の旅に
日を定めたる事なれば
何と嘆くと、叶うまじ」
というままに
杖、おっとって、さんざんに打ちければ
あら、いたわしや姫君は
打ちたる杖の下よりも
口説き事こそ哀れなり
「情け無しとよ太夫殿
打つとも、たたくとも
太夫の杖と思えばこそ
真の恨みは有らぬべし
冥途にまします父御様の
教えの杖を存ずれば
恨みとさらに思われず
太夫殿」とのたまいて
消え入る様にぞお泣きある
太夫、このよし見まいらせ
逗留はせさずまじきとは思えども
あまり見る目もいたわしし
三日逗留仕り
それより、奥へ下りけり

哀れなるかな小夜姫は、
太夫と諸共打ちつれて
山中宿をお出であり
先をいづくと問いければ
嵐小嵐(こがらし)不破の関
月の宿るか袖濡れて
荒れたる宿(やど)の板間(いたま)より 
露も垂井と聞くなれば
絞りかねたる袂(たもと)かな
夜はほのぼのと赤坂や
美濃とならば花も咲きなん
ぐんせがわ(杭瀬川)にぞお着きある
大熊河原の松風に
きん(琴)の音をや、しら(白)むらん
あら、むつかしや、この宿と
物憂きことに尾張なる
熱田の宮を伏拝み
斯程、涼しき宮館(みやたち)を、
たれか熱田と付けつらん
三河の国に入りぬれば
足助の山 も近くなり
妻恋かぬる鹿ぞなく

小夜姫聞こし召し
奈良の都、春日の鹿や懐かしや
ようよう行けば、程もなく
矢作の宿を打ちすぎて
かの、八つ橋にお着きある
「いかに姫
親のために身を売る者は
御身ばかりと、思わいな
昔もさる例(ためし)あり
この八つ橋と申せしは
六つ子、八つ子が身を売りて
親の菩提のそのために
この橋をかけたるより
さて、八つ橋と申すなり

御身も心を取り直し
道を急いでくれさいの
姫君いかに」と申しける

あらいたわしや、小夜姫は
この由を承り
「いかに太夫殿、
自らばかりと思えども
昔も、左様の人ありて
幼心(おさなごごろ)に 身を売りて
かほどの名所とおなしあり
哀れ、みずからも
父の菩提のためなれば
かように名をこそ残さめと
泪と共に急がれける
かの小夜姫のこころの内
哀れともなかなか申すばかりはなかりけれ

 

第四段

哀れなるかな小夜姫は
泪とともに急がせ給えば程もなく
先をいづくと,遠江(とうとうみ:問う)
浜名の橋の入り潮に
ささねど登る海女小舟(あまおぶね)
焦がれて物をや思うらん
南を遙かに、眺むれば
海(かい)満々たる大海(だいかい)に
あまたの船ぞ、浮かえけり
あら面白やと打ち眺め
北にはまた、湖水あり
ちん(?)が岸につらなりて
松吹く風や浪の音
いずれが、のり(海苔)の類(たぐい)ぞと
心細くもうちながめ
あら面白の宿の名や
明日(あす)の命は知らねども
池田と聞けば頼もしや
袋井畷(なわて)遙々と
日坂(にっさか)過ぐれば音に聞く
さよの中山これとかや
急ぐ心の程もなく

名所、旧跡、早や過ぎて
いかだ流るる大井川
岡部の松(まつ:待つ)は少しあれ
物寂しげなる夕暮れに
神に祈りの金谷(かなや:叶う)とや
四方に神はなけれども
島田と聞くは袖寒や
聞いて優しき宇津(うつ)の山辺(べ)
丸子(まりこ)川、 賎機(しずはた)山を馬手に見て
澪(みお)の入り海、激しくて

 物を思うは我一人
ここは駿河の名所とは
いなかる人か、由比の宿(言う)
蒲原(かんばら)と打ち眺め
心ぼそげに眺め
富士のお山を見上げれば
去年の雪、斑消え(むらぎえ)に
今年の雪が降り積もりては
さてもさても、絶ゆる間もなき有様なり
南は海上、田子の浦
麓には東西縁(えん)長く
見え渡る沼もあり
葦(あし)分け舟に棹(さお)さして
原(はら)(沼津市)には塩屋の夕煙(ゆうけむり)立つ
伊豆の三島を打ちすぎて
足柄、箱根にお着きあり
哀れなるかな小夜姫は
習わぬ旅のことなれば
足の裏より、あゆる(溢ゆる)血は
道の真砂(まさご)も染め渡る
今ははや、ひと足も引かれぬなりと
朽ち木の本(もと)を枕として
今を限りと打ち伏し給う

太夫、大きに腹をたて
「これより先へは日にち定めし道なれば
ただいつまでも、かのうまじ」
というままに
こがいな取ってひっ立てて
陸奥の国へとお急ぎある
急げば程なく、相模の国に入りぬれば
大磯小磯(おいそこいそ)は早過ぎて
めでたきことを菊川や
鎌倉山はあれとかや
行方も知れぬ武蔵野や
隅田川にお着きある
げにや誠、音に聞く
梅若丸の墓しるし
柳桜を植え置きて
念仏の声、殊勝なれ
我が身の上と思われて
何となりゆく我が身やと
まず、先立つは泪なり
東雲早く、白河や
二所の関とも申すらん
恋しき人に会津の宿
道の梢も見えわかず
お急ぎあれば程もなく
遙かの奥州日の本や
陸奥の国、安達の郡(ごおり)に着き給う

太夫は、館になれば
女房を近づけ
由をかくと申しける
女房、ななめにおぼし召し
急ぎ立ち出で対面あり

あら、いつくしの姫君や
長々の御旅にて
さぞやくたびれおわすらん」と
奥の座敷へ招(しょう)じ
良きにいたわり申しける
「浅ましや自らは
一度も見たることもなき
陸奥の国まで買われきて
何と成り行く我が身や」と
流涕焦がれ泣き給う
去るほどに太夫は
まづ、座敷をこそ、
はか(掃か)さられたり
まづ一番には
清き物には そぐりわら

荒菰(あらこも)こそは敷かれたり
〆(しめ)を七重に張り回し
十二幣(へい)を切り
七十二幣を立て
これこそ、姫の御座の間なりと
飾られたり
姫の身をも清めさせんとて
湯殿に降ろし
湯垢離(ゆごり)七度
塩垢離(しおごり)七度
水垢離(みずごり)七度と
二十一度の垢離を取り給う

いたわしや小夜姫
左様の事を夢にも知らず
「いかに女房達
奥方の局(つぼね)には
かようにせねば、座らぬか」と
涙と共にお問いあり
女房達は承り
「あら、いたわしの 姫の心やな
ご存じ御ざなくば
いでいで、語り申すべし
明日にならば
これより、北へ八町行き
さくらの渕と申して
回れば三里の池のましますが
その池に築島(つきじま)あり
その島の上に、三階の棚を飾り
棚の上に〆を張り
姫を大蛇の餌(え)に
供え申さんがためにてましませば
かように身を清め申すなり」と
詳しく語り申せば

小夜姫、夢ともわきまえず
倒れ伏してぞお泣きあり
こぼるる涙の暇よりも
口説き事こそ哀れなり
「そも、自らを買わせ給うその折りは
末の養子となし申さんとの
固く契約申せしが
人身御供(ひとみごく)に供えん
との約束は申さぬなり
こは、いかなる事やらん」と
流涕焦がれ泣き給う

太夫の御台は
あまりのことのいたわしさに
姫を近づけ
「いかに、姫
御なげきは理(ことわり)なり
国はいづくにて御ざあるぞや
都方と聞いてあり
自らも、来年の春の頃
京うち(宇治?)参りを申すべし
もし、父母(ちちはは)の御方(おんかた)へ
便りの文をのぼせたく思し召さば
自らが情けには
懇ろ(ねんごろ)と付け参らすべし
姫君、いかに」と
のたまいて
涙を流し申さるる

姫、とこうの返事もなく
ただ、打ち沈みておわします。
御台、この由聞こし召し
「我、一人の姫をだに
みごく(身御供)に供ゆるものならば
なんぼう悲しくあるまいか
あの姫が父母(ちちはは)の心の内
思いやられていたわしや」と
泪と共に申さるる
女房の心の内
やさしき共なかなか申すばかりはなかりけれ


五段目

 

さる間太夫は
身御供(みごく)の用意仕り
八郷(はちごう)八村(むら)を触ればやと思い
葦毛(あしげ)の駒に打ち乗りて
八郷八村を触るる様こそ、おもしろけれ
「今度、権下(ごんか)の太夫こそ
生け贄(いけにえ)の当番に当たりて候が
都へ上り(のぼり)姫を一人買い取りて下るなり
則ち、身御供に供え申すなり
皆々、御出でましまし
見物なされ候え」と
いちいちに触れければ
所の人々承り
かの池の畔(ほとり)に桟敷(さんしき)を造り
小屋を掛け
上下万民、ざざめきける

これはさておき
いたわしや小夜姫は
古里への形見の文を書かんとて
硯に手をかけ
文を書かぬとしたまえども
泪に暮れて、筆の立つともわきまえず
筆をかしこへ、からと捨て
消え入るようにお泣きある
御台を初め奉り
御前(おんまえ)仲居の女房達
げに道理なり、哀れやと
皆、泪をぞ流さるる

太夫、この由見るよりも
「早、明日に極まりたり
姫に、詳しく語って聞かせばや」
と思い
「いかに、姫、
御身、これまで連れ来たりしこと
余の義にあらず
あの山の奥に大きなる池あり
年に一度(ひとたび)身御供を供え申せしが
今年、それがし、当番に当たりしが
御身を供え申すなり
覚悟あれ」
とぞ申しける

あら、いたわしの姫君は
この由聞こし召し
「いかに太夫殿
かねてより、
いかなる憂き目にもや遭うべき
覚悟にて候えども
かかる事とは夢にも知らず
よしそれとても力なし
父の為と思えば
恨みとさらに思わぬなり
国元(くにもと)にまします母上の
さこそ嘆かせ給うらん
これのみ、心にかかるなり」と
流涕焦がれ泣き給う
早、時も移れば
いたわしや姫君を
さも華やかに出で立たせ
網代の輿に乗せ申し

十八あなたなる      
池のほとりへ急ぎける

貴賤群集(きせんぐんじゅ)満ち満ちて
見物にこそ出でにけり
御輿(おこし)をとある所にかき据えける
いたわしや姫君
御輿より出で給い
それより、舟に乗せ申し
築島指して漕ぎいだす
舟は、浮き(憂き)木(気)のものなれば
早、築島に着きしかば
三段の棚飾り
四方に〆を張らせつつ
上なる棚に姫を供え
中成る棚に神主
三番の棚に太夫あがり給う
神主、やがて礼拝申すよう

「あら有り難の次第やな
これは、権下の太夫の所
繁盛のそのために
お守り有りてたび給え」と
数珠、さらさらと押し揉み
肝胆(かんたん)砕き祈りける
同太夫も身を清め
肝胆砕き申すよう
「今年は、それがしが
餌の当番に当たりつつ
姫をいちにん買い取り
只今、身御供に進ずるなり
国所(くにところ)安穏に
お守りありてたび給え」と
様々の祈誓をかけ、唱え事申しける

それより陸(くが)に帰りけり
くが(陸)にもなりしかば
我も我もと並み居たり
哀れなるかな姫君は
三階棚に只一人
あきれ果てておわします
心の内こそ哀れなり
無惨や姫の最期は今ぞと
上下騒ぎ申せども
何の子細もなかりけり

人々、この由を見るよりも
「あら情けなき次第かな
神主の言われざる
唱え事をし給うゆえ
ご機嫌を損し給うか
あら恐ろしの次第」
とて、上下皆々、館に帰り
門木戸を閉じ
妻や子供に至まで
嘆き悲しむ事限りなし
思い思いの心にて
音する物こそなかりけれ

いたわしや小夜姫は
ただ一人すごすごと
泪に暮れておわします
心細くも御目をふさぎ
念仏唱えておわします

恐ろしや
俄に空かき曇り
雨風(あめかぜ)激しく
靂神(はたたがみ)鳴りしきりにて

さざ波打って
その丈(たけ)、十ばかりの大蛇

水を巻き上げ
水を蹴立て
紅(くれない)の舌を振り
三階(蓋)の棚の中段に
頭(こうべ)をもたせ
小夜姫をただ一口に飲まんと
火炎を吹きかけ懸かりける

姫は少しも騒ぐ気色もなく
「いかに大蛇
汝、生ある物ならば
少しの暇(いとま)を得させよ
汝もそれにて聴聞せよ」と
かの法華経を取り出し
高らかに読み給う

「一の巻きは
冥途にまします父上の御ため
二の巻きは
奈良の都におわします母上の御ため
三の巻きは
自らがご一門の御ため
四の巻きは
太夫夫婦のため
五の巻きを取り出だし
これは自らがためなり」とて
高らかに読み給う

『一者、不得作(ふとくさ)
梵天
二者、帝釈
三者(じゃ)、魔王
四者、転輪聖王(てんりんじょうおう)
五者、仏身

云何(うんが)女身
即徳成仏』と回向あり

そもこの提婆品と申せしは
八歳の龍女
即身成仏の御ことわりなれば
汝も蛇身のくげん(苦患)を逃れよ」とて

経、くるくるとひん巻き
大蛇が頭(こうべ)に投げ給えば
有り難や
十二の角がはらりと落ちけり
なおも、この経戴けとて
上から下へなで給えば
一万四千のうろくず( 鱗)が
一度にはらり、はらりと落ちにけり
物によくよく例うれば
三月のころ
門桜(かどさくら)花の散る如く
皆ちりぢりに落ちにけり
あら、有り難やとて
そのまま池へ入るかと見えしが
十七八の上﨟と様を変え
姫君に近づいて

「いかに姫君
さてもそれがしは
さる子細候て
この池に棲むこと九百九十九年に罷りなり
その年月がその間に
人身御供を取る事
九百九十九人なり
今ひとり服(ぶく)すれば
千人にあたるなり
御身のようになる尊き(たっとき)人に会う事
例(ためし)少なき次第なり
これ一重に御経の功力(くりき)により
たちまち大蛇の苦を逃れ
成仏得脱得ることは
一重にこの御経の徳とかや
さてもさてもこのご恩にはあ
なにをか布施に参らせん」

竜宮世界にまします
如意宝珠(にょいほうじゅ)の玉を取り出だし
「いかに姫君、そもこの玉と申せしは
思う宿願の叶う(かのう)玉にてあり
腹の悪しきその時は
これにてなでさせ給うべし
両眼悪しき者ならば
たちまち平癒(へいゆう)あるべし
なんぼう目出度きこの玉なり
姫君に参らする
よくよく信じなされよ」と
こうべを傾け泣きいたり
とにもかくにも
小夜姫の心の内
嬉しきともなかなか申すばかりはなかりけれ

六段目

 

さる間
小夜姫は
夢の醒めたる心地して
あきれ果てておわします
「いかに大蛇
自らは、父の菩提を問わんため身を売り
是まで参りつつ
汝が餌に供わるなれば
自らが憂き命取らるると申せども
露塵(つゆちり)程も惜しからず
早早、取ってぶくせよや
大蛇如何に」
とのたまえば

大蛇申しけるようは
「あら、もったいなの仰せやな
今まで人を服(ぶく)せしこと
なんぼう後悔に存ずるなり
いで、いで、自らが先祖を語りて聞かせん
国を申せば伊勢の国
二見浦の者なるが 

継母の母に憎まれて
行方も知らず迷い出で
人あきびと(商人)に謀れ(たばかれ)
かなたこなたと売られ来て
この所に隠れも無き
十良(郎)左衛門と申す者が買い取りて
憂きの思いを仕る

そのころまでこの池は
わずかの小川にて候へしが
最初の人の集まりて
橋を架けんととて
一年に一度づつ橋を架くれども
この橋、ついに成就せざりけり
ひとつ所に集まりて
如何せんと内談申し
中にも少し年の寄りたる者の申すよう
博士を召し占わせんとて
やがて博士を呼び出だす
博士、参り一々に占いける

あら恐ろしの占いや
これは
見目よき女房を
人柱に沈めらるるものならば
橋は成就なるべしと
占のうたり
それこそ易き次第とて
やがて神籤(みくじ)をこしらえ取りみれば
自らを買い取りし十郎左右衛門が当たりしなり
さてこそ自らを沈めしなり
そのおり、この川端へ参る時
自ら、あまりの悲しさに
あら、情け無き次第かな
八郷八村の里に人多きその中に
自らを沈むるものならば
丈(たけ)十丈の大蛇となりて
この川の主となり

この最初の者どもを
取ってはぶくし
取っては悩ますものならば
七浦(ななうら)の里を荒らさんと
かように悪口(あっこう)し
ついに沈めにかけられて
かようの姿と罷りなり
昨日今日とは思えども
九百九十九年棲まいをし
年に一人づつの人を取り
諸人の嘆きを身に受くる
その報いにや
鱗の下に九万九千の虫が棲み
身を攻むる苦しみは
何に例えん方も無し
なんぼう物憂き事ぞかし
かようなる折節に
御身のようなる
尊き(たっとき)姫に会うことは
一重に仏の御引き合い」と
喜ぶことは限り無し

小夜姫この由ご覧じて
「いかに大蛇
自らは、大和の国の者なるが
恋しき方は大和なり
奈良の都に
母を一人持ちたるが
未だ浮き世にましますか
これのみ心にかかるなり
あら、恋しの母上や」と
悶え焦がれて泣き給う
心の内こそ哀れなり

大蛇はこの由承り
「さては御身の故郷(こきょう)は
大和にて御座あれば
それがし、送り届づけて参らせん
心やすく思し召せ
姫君いかに」と申しける
小夜姫、ななめに思し召し

暫く待てよ大蛇とて
太夫に罷り給えば
太夫も御台も
これはこれはとばかりにて
さらに誠と思われず
如何なる事にて逃れ
これまでは来たり給うぞや
いかにいかにと申しける
姫はこの由を承り
初め終わりを語らせ給えば
太夫夫婦は喜ぶ事は限りなし

「いかに姫君
かくて都へ帰りたきか
ただただ、是にて留まり給うべし
いかなる大名の縁、
便りともなすべし
いかにいかに」とお申しある
小夜姫は聞こし召し
「こは有り難き次第かな
この度の御情け
いつの世にかは忘するべし
自らは、大和の者にて候えば
まづまづ国に帰り
母に対面申しつつ
また、こそ参り候べし
暇申してさらば」
とて
物憂き陸奥の国を出づるこそ
なによりもって嬉しやと
まづまづ、浜に下り給い

「いかに大蛇
故郷へ送りてたべ」と申さるる
大蛇承り
さあらば送り参らせんと
姫君を龍頭(たつがしら)に打ち乗せて
池の底へ入るかと見えしが
刹那の内に大和の国に聞こえたる
奈良の都
猿沢の池の水際(みぎわ)へ担ぎ上げ
池のほとりに姫君を降ろし置き
暇申してさらばとて
それよりも大蛇は
竜龍(りゅうたつ)となって
天へ上がらせ給いける
後へ帰らぬことなれば
さる(去る)さわ(沢)の池と申せしは
その御代よりも申すなり

小夜姫この由ご覧じて
今はまた大蛇に名残が惜しまれて
心細くなり給う
それよりやがて大蛇の身体
壺阪の観音と斎わせ給いて
衆生済度し給えば
さてその後小夜姫は
奈良の都を辿り辿り御出であり
松谷へ立ち越え
いにしえの館へ入りて
かなたこなたと見てあれば
築地(ついじ)も軒も毀(こぼ)り果て
母上はましまさず
木魂の響きばかりなり

姫君、由ご覧じて
あら情けなき次第やと
館の内においであり
最初の人を近づけ
母上の行方を尋ねあり
最初の者の申すよう
「いかに姫君、
母御は、御身失させ給いて後
明くれば、姫が恋し
暮るれば、小夜姫恋しやと
お嘆きありて
程なく両眼泣き潰し
いづくも知らず迷い出でさせ給い
行き方知らずおなり給う」

小夜姫、由を聞こし召し
これは夢かうつつかと
かなたこなたと尋ね給えども
その行き方はなかりける
親と子の機縁かや
いたわしや母上は
袖乞い召されておわします
わらんべの口々に
「松浦物狂い、こなたへ来たれ
あなたへ参れ」と
子供らになぶられておわします

小夜姫、夢ともわきまえず
するすると走りより
母にひっしといだき付き
「いかに母上様、小夜姫まいりて候」とて
泪と共にお申しある
御台この由聞こし召し
「小夜姫とは誰(たが)ことぞ
いかに子供
自らがいにしえ
松浦谷とてありしが
小夜姫とて娘を一人持ちたるが
人商人が謀り
行方も知らずなりにけるが
今この世に無きものなり
盲目に打たれて我を恨むな」と
杖振り上げ
あたりを払い給えば

小夜姫、猶も悲しみて
かの玉を取り出だし
両眼に押し当て
善哉なれや 明かに平癒(へうゆう)なれと
二三度なで給えば
両眼、はっしと開きければ
これはこれはとばかりにて
御喜びは限りなし

さてもその後に
小夜姫は
母上を伴いて
松谷(まつだに)さしてお帰りあれば
いにしえ、付き従いし者ども
かしこより参りつつ
我奉公申さんとて
あまた下人付き従う
棟に棟を建て並べ
富貴の家となり給う

奥州へ使いを立て
太夫を召され
数の宝を給わりける
さてまた、太夫夫婦を
家の臣下に頼み給い
月に重なり日にまさり
末の繁盛と聞こえけれ
再び、松浦長者の跡を継がせ給いける
これ一重に
親孝行の心の優しさを
諸天哀れみ給いける

ようよう年月過ぎ行けば
小夜姫、八十五歳にして
大往生を遂げ給う
花降り音楽聞こえつつ
三世の諸仏の御共にて
西に紫雲たなびきて
異香(いきょう)薫じ(くんじ)
西の方へ行き給う
人々はご覧じて
かようの事は例(ためし)少なき次第なりとて
談合評定(だんごうひょうじょう)取り取りなり

さてこそ
近江の国、竹生島の弁財天とお斎いあり
かの島にて
大蛇に縁を結ばせ給う故に
こうべに大蛇をいただき給うなり
この島と申せしは
四方の欠けたる島なれば
十方山とも申すなり
夜の間(ま)にできたる島なれば
あけず(明けず)が島と伝えたり
竹の三本生え(おえ)出でたり
さてこそ
今の当代まで
竹生島とも申すなり

昔も今も、親に孝行ある人は
この事、夢夢疑ごうまじ
不孝の輩(ともがら)は
諸天までも加護なし
生きたる親には申すに及ばす
無き後までも孝行を尽くすべし
また、女人を守らせ給う故
我も我もと竹生島へ
参らん人はなかりけれ
身を売り姫の物語り
証拠も今も末代も
ためし少なき次第とて
感ぜぬ人はなかりけれ

 

寛文元年五月吉日
山本久兵衛板

注釈

はせ‐でら【長谷寺】奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山(ぶざん)派の総本山。山号は豊山。西国三十三所第8番札所。天武天皇の時代に道明が開創と伝える。東大寺、ついで興福寺の末寺であったが、度々の火災ののち、安土桃山時代に羽柴秀長による復興を機として、新義真言宗となった。本尊は十一面観音。牡丹(ぼたん)の名所として知られる。初瀬寺。泊瀬寺(はつせでら)。豊山寺(ぶざんじ)。長谷観音。ちょうこくじ

と‐ちょう〔‐チヤウ〕【斗帳/戸帳】
帳台の上を覆う布、また神仏を安置した厨子(ずし)や龕(がん)の前などにかける小さなとばり。金襴(きんらん)・緞子(どんす)・綾(あや)・錦(にしき)などで作る。斗(ます)をふせたような形をしているのでいう。
 

※万葉集によると、
遠つ人松浦佐用比売夫恋いに領巾振りしより負える山の名(巻五871)海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫(同874)の頭巾を振るという記述や民間伝承からして、振るものが象徴的であるので、さい‐はい【采配/采▽幣】 紙の幣(しで)の一種 だろうと考える

り‐しょう〔‐シヤウ〕【利生】
《「利益(りやく)衆生」の意》仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が衆生に利益を与えること。また、その利益。

よう‐ごう〔ヤウガウ〕【▽影▽向】
神仏が仮の姿をとって現れること。神仏の来臨。

※春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良県奈良市の奈良公園内にある神社である。旧称春日神社。式内社(名神大社)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。全国にある春日神社の総本社である。

※興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三箇所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

※安積(あさか)沼、現在安積山麓日和田町の盆地にあたる

 

※蛇骨地蔵堂(郡山市日和田町日和田)
8世紀前半の創建と伝えられる古堂。蛇骨を刻んで造ったという伝説を持つ地蔵菩薩が安置されています。「佐世姫物語」という伝説が、お堂の縁起として伝えられており、お堂の裏手の石垣の下には、人見御供にされた三十三観音像が立っています。
付近には蛇穴や蛇枕石など、蛇骨地蔵の伝説にまつわる遺跡があります。
奈良時代の頃、安積沼に300㍍もある大蛇が棲(す)んでいました。

八つ:昔の時刻の名。今の午前2時および午後2時ごろ。やつどき

ぜんぜん【前前】
以前。かつて。

訪れ:便り

(京都府城陽市奈良線長池駅)

(京都府宇治市小倉町)

※国道24号は小倉で国道1号へと合流した後、再び1号線の東を北上する。小夜姫はさらに24号線を北上して四条河原に至る

※祇園:鴨川四条大橋東岸

 

うばたま‐の【×烏羽玉の】
[枕]烏羽玉1が黒いところから「黒」「闇(やみ)」「夜」「夢」などにかかる。ぬばたまの。むばたまの。

※経書堂(きょうかくどう)は、東山の清水坂と産寧坂(三年坂との辻の北東角にある小堂)謡曲「熊野」には、「経書堂はこれかとよ」と謡われている小石を集めて、法華経を一つの石に一文字づつ書いて、水を注いで死者の魂を供養し奉納したといわれる現在は、清水寺により管理されている

※東山区から旧東海道が山科へと向かう

※60代醍醐天皇

 み‐お〔‐を〕【×澪/水=脈/▽水尾】
《「水(みず)の緒(お)」の意》
1 浅い湖や遠浅の海岸の水底に、水の流れによってできる溝。河川の流れ込む所にできやすく、小型船が航行できる水路となる。また、港口などで海底を掘って船を通りやすくした水路。
2 船の通ったあとにできる跡。航跡。「遊覧船が―をひいてゆく」
  
 

※「わらそぐり」とは藁の袴を取り除くことなので、袴を取った藁を指す。袴とは、葉であった部分でなわないには邪魔になる。

荒菰(あらこも):ムシロ

あじろ‐ごし【▽網代×輿】
竹や檜(ひのき)の網代を屋根や両わきに張り、黒塗りの押し縁(ぶち)をつけた輿。近世、親王・摂家(せっけ)・清華家(せいがけ)で常用した。

 

1町は60間で、約109メートル。18町は約1900m

はたた‐がみ【霹=靂神】
《はたたく神の意》激しい雷

 

じょう〔ヂヤウ〕【丈】
1 尺貫法の長さの単位。10尺。1丈は、かね尺で約3.03メートル、鯨尺で約3.79メートル。

 

法華経提婆達多品第十二 の一部

又女人身猶有五障。一者不得作梵天王。二者帝釋。三者魔王。四者轉輪聖王。五者佛身。

又女人の身には猶お五障あり、一には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ女身速かに成仏することを得ん

 

二見浦(ふたみがうら)は、三重県伊勢市二見町の今一色から立石崎に至る海岸。立石崎から神前岬までの海岸(神前海岸)もその一部とされることがある。

※猿沢池(さるさわいけ、さるさわのいけ)は、奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつとなっている