常陸国板子村
念仏大道人崙山上人之由来

説経正本集(39)

天満八太夫座
天満重太夫作
原刻:元禄六年(1693年)
大伝馬三丁目 鱗形屋板


初段

さてもその後
それ、往生極楽の経行(きょうぎょう)は
濁世(じょくせ)末代の目足(もくぞく)たり
神というも仏
是皆、衆生利益(りやく)の為
三界の衆生は
誰か、仏の子ならずや
生々(せいぜい)は清けれども
五欲の道に染まれり
一炊の夢も
善悪、悟るを以て
仏と云う
迷うを以て
愚痴と云う
ここに、関東十八所の壇林
第三に当たって
江戸、霊厳寺
雄誉(おうよ)上人の御弟子
常陸の国、潮来村、大知者(ちさ)
念仏興行の名士
崙山上人の由来を詳しく尋ぬるに
生国は、大和の国
葛城の下の郡
但馬の介金国(きんごく)殿と申して
公家の流れおわします。
少年十八才になり給う
御父は、左京の臣(しん)殿と申せしが
去年(こぞ)の春、逝去ならせ
今は、御母ばかりなり
しかるに、母上
金国殿を慰めんため
同郡(どうこおり)つほいた(不明)という所に
中臣郡司(なかとみぐんじ)兼盛の姫を
迎い取り、御台所となし給う

この御中(なか)に御子一人おわします
御名をば、玉君殿と申して
三歳になり給う

さて又、家の郎等に
栗川刑部常春(くりかわぎょうぶつねはる)とて、
名にし負う勇士あり
去れば、金国殿
常に殺生を好み
民の嘆きも顧みず
様々の鳥類畜類の輪差(わさ)をなし
一円しざい(自在)の振る舞い
目も当てられぬ次第なり

ある時、金国殿
春も半ばの事なるに
籠(かご)を設(しつら)い、鳥を入れて
眺め入りてぞおわします
「あら、面白の景色かな
先ず、春は鶯の
梅の小枝の羽(は)を休め
囀る声は、法華経の妙(みょう)の大事を表したり
不如帰(ほととぎす)は冥土の鳥
山雀、小雀、四十雀
これ、歓農の鳥とかや
その外、諸鳥の声までも
皆、これ、諸経の肝文なり
懸かる利益(りやく)の声なれば
善人は、目を晒(さら)す
悪人は、暗きに迷う」

去れば、金国、前後も知らず伏し給う
掛かる折節、諸鳥の籠の辺りより
人とも知れぬ、姿現れ
枕元に立ち寄り

「如何に、金国
御身は、正に、仏の化身にて
何ぞ、悪を好みつつ
栄華に誇り、朝顔の露より、脆き身をもって
人を殺害(せつがい)、殺生し楽しむ
過去の業ある故
今、現在に悪、深し
未来の業、浮かむ事無し
我こそ、諸鳥の精なるが
御身の悪心故
斯様に憂き目に会う事よ
いざや、来世の御身の難
さらば、連れ行き、見せん」
とて、言うかと思えば
形は消えて、失せにけり

不思議や、金国の胸の内より
黒日(くろび)の精、光り物、飛び出で
庭前(ていぜん)の軒に掛かれば
忽ち、赤き鳥となり
虚空を指して飛び
刹那が間
六道の辻に落ち
その身は、娑婆の姿となり
只、呆然と立ち給う

掛かるところに
見目童子(みるめどうじ)飛び来たり
金国を見て
「呵責(かしゃく)、呵責」
と呼ばわれば、
さも恐ろしき、獄卒来たり
金国を火の車に乗せ
虚空に引いて失せにけり

刹那が間に、仄(ほの)暗き
広き野原(のばら)に連れ来たり
火の車より、取って降ろし
十町ばかり行く所に(約1Km)
鉄(くろがね)の門に着く
その時、獄卒共
「件(くだん)の似非物来る」と
「金国を責めん」と
様々の責め道具、取り出し、控えたり
やや有りて、背(せい)高く、色赤き大の男
立ち出で
鉄(くろがね)の板に、手跡(しゅせき)を記(しる)し
獄卒を招き

「なんしう(南州)奈良の都
ぜかい(是海)どうし(童子)と言う罪人
親を殺せし大悪人、無間奈落(むけんならく)へ落とすべし」

「相模の国、もばら村(不明)、罪人
人を殺せし咎、修羅道へ落とすべし」

「同国、小田原、稲垣与一介盛は、
大焦熱へ、落とすべし
これは、娑婆に在りし時
人の中事(なかごと)その外、大悪不道の者なれば
それにて、罪人を悉く責め
その後(のち)、地獄へ落とすべし」
と、ありければ
獄卒、承って候と
いちいちに責めけるは
身の毛も弥立つばかりなり

金国、ご覧じ
「あら、恐ろしの事共や
我も、悪を作りし者
如何なる責めにや会わすらん」
と、左右の袖を顔い当て
泪ながらに、立ち給う

その折節、閻王より、使い立つ
獄卒、畏まって、金国を引き立て
御前(ごぜん)に引き出だす
閻王、ご覧じ

「汝、娑婆に在りし時
善を去って、悪を好み
親に不孝し、民、百姓を難儀させ
その上、悪殺生を好む大悪人
寿命は、八十六なれども
殺生なしし、業(ごう)により
十八才にて、非業の死を遂げたり
汝、畜生道へ落とし
その後、等活地獄に落とすべし」
と、仰せける
金国、争うべき様もなく
泪にむせび給いける
鉄(くろがね)の嘴(はし)、銅(あかがね)の獄卒、二人来たり

「いざ、連れ行かん」
と、引き立て、既に、こうよと見えし所に
何処(いづく)とも無く

金色(こんじき)の御僧来たり
閻王に向かい、
「この罪人は、子細あり
愚僧に得させ給え」
と、仰せける
閻王、聞こし召し
「これは、思いも寄らぬ仏勅かな
彼は、大悪人、御救い候こと、覚束なし」
と、仰せける
御僧、聞こし召し
「されば、その罪人
ま事(真)を常に念じたれば
給わるべし」
と、仏勅あり
閻王、重ねて、
「奈落へ沈む罪人を
慈悲の仏も、救い給わずと候えば
御誤り」と、申さるる
御僧、重ねて
「去れば、その罪人は
七歳より、愚僧が姿を土仏に作り
未来成仏と、唱えし者なれば
丸(麻呂)が誓願、違わぬ所の道理あり
例い、この罪人の代わりに
我、地獄へ堕つるとも
この罪人を得さすべし」

閻王、泪を流し
「さてさて、
有り難き仏勅かな
かかる尊き(たっとき)御誓願
尊っとまざるぞ、勿体なし
如何で、仏勅、背かん
再び、返し申さん」
金国、聞こし召し

「さてさて、有り難き、御事や
去りながら、地獄へ堕つる
罪人のその中に
小田原の稲垣与一と申す罪人
大焦熱の苦しみ、受け候
願わくば、某に取り替え
その罪人、娑婆へお返し給われ」
と仰せける
御僧を始め、閻王
「さても申したり
一念正心たれば
十悪を滅す
只今の志、非想天にも通ずべし
掛かる精魂、無になさじ
この上は、その罪人も帰すべし」
と、やがて、地獄より召し出し

「如何に、罪人
ここにましますは
大和の国、葛城の人なるが
只今、娑婆へ帰り給う
汝が 苦患、悲しみ
汝に代わり給わんとの志を感じ
汝も、娑婆へ帰すなり
必、恩を忘るまじ」

罪人、血の涙を流し
手を合わせ、礼(らい)しける
その後、閻王
文(もん)に曰く

「衆生国土、同一法性、地獄天宮、
皆(為)浄土、有性非性、斉成仏道」(※円覚経) 
と、三べん遊ばし、虚空を招かせ給えば
五色のめい鳥(冥鳥)一番(ひとつがい)
飛び来たり
人々を打ち乗せ
南方指して、飛び去りけり
件の御僧、忽ち、観世音と顕れ
虚空を指して、上らせ(のぼらせ)給う
かの金国の
夢中の、善悪二つの睡夢の災難
有り難しともなかなか、
申すばかりはなかりけり


二段目

その後
それは、冥土の物語
金国殿の館には
この事、夢にも知り給わず
老母や北の方、
「何とて、見えさせ給わぬ」と
女房達に問い給えば
「参候、昨日、西の御殿にて
諸鳥を、眺め候」
由、申し上ぐる
人々、
「いざ、さらば、見に行かん」と
老母諸共、御殿に入らせ給えば
誠に、諸鳥、数を尽くせし
鳥の色、心、言葉も及ばれず

さて又、金国殿
何れにやましますと
四間(よま)の出居を見給えば
取り乱したる風情にて
前後も知らず、見え給う
御台、母上、
「これは、如何なる御風情
起きさせ給え」
との給えば
無人声(むにんじょう)とて、音もせず
母上、不思議に思し召し
肌(はだえ)を弄(いら)い、見給えば
薄氷の如くにて
温まりし所は無し
これはと言うて、見給えば
いつか、空しく成り給う

御台所も母上も
「そもこれは何事」と
抱だき付きてぞ泣き給う
御内(おうち)の侍、驚き
いろいろ、看病尽くせども
更に、元気は無かりけり
労しや北の方
お顔をつくづく、眺め

「のう、金国殿
日頃、人に越えたる武辺業(ぶへんわざ)
心も剛に渡らせ給うが
その甲斐無く
末期の一句もましまさず
斯く(かく)、頓死は、何事ぞ

妾(わらわ)が事は是非も無し
御母上や玉若は
誰に、預け置き
斯くは成らせ給うぞや
のう、我が夫(つま)」と

顔と顔を、面添えて
共に、消え入り、泣き給う

その中にも、栗川刑部
御側に参り
御脈を考え

「さのみ、嘆かせ給うまじ
それ、人間は
心、肝、腎、肺、脾、命門とて
五臓六腑に通じ候
去れば、何れの脈も、切れぬれど
心の脈、確かに有り
先ず先ず、時を移し
お待ち候え」
と、申しける

案の如く、金国殿、夢醒め
かっぱと起き給えば
母上も北の方、
これはこれはとばかりにて
喜び、泪は堰あえず

斯くて、金国、ややありて
「我は、ここに、微睡む(まどろむ)と覚えしが、
さては、空しくなりけるか
我は、正しく(まさしく)冥土に赴き
閻王に会い、殺生の罪深く候故
畜生道へ、堕罪せし所に
長谷寺の観世音の
御助けに会い
不思議に、娑婆へ帰りたり
今より後は、殺生を止め
弥陀の誓いぞ懐かしけれ
南無阿弥陀仏」
と唱え給い、泪を流し給い

さてその後の御諚には
「在在(ざいざい)の咎人、又、飼い鳥残らず
放し申すべし」
と、仰せ出だされ
奥に入らせ給いけり
栗川、承り、残らず鳥を放しけるは
殊勝なりける次第なり

斯くて、金国
「我、浅ましや
火宅に住み、千歳(ちとせ)と楽しむこと
天人は、水を瑠璃と楽しみ
餓鬼は、水を火炎と見る
斯く、浅ましき、苦界(くがい)を逃れ
未来の楽しみこそ
願まほしき所なり
猛悪(もうあく)の輩を利益(りやく)し
その功徳にて、成仏せん」と
菩提心ぞ、起こりけり

「このこと、老母、御台所に知らせなば
止めんは、治定なり
このまま、思い立たん」と
文(ふみ)、細々と書き止め
夜半に紛れ、出で給う
心の内こそ殊勝なり

急がせ給えば程も無く
長谷寺に参り
「冥土にての御助け、
未来成仏、極楽へ導き給え」と
礼し給いつつ
これより、関東に赴かんと
「江戸霊厳寺におわします
雄誉上人は
元祖上人の跡を垂れ
念仏の行者と聞きしに
頼み出家せばや」
と思し召し
それより、東国指して、下らるる

江戸にもなれば、上人に対面し
始め終わり、御物語遊ばされ
出家の望み申さるる
上人、由を聞き給い
「左様に、思い給いなば
愚僧が弟子になし申さん」と
髪剃(こうぞり)を当てさせ給い

「一じょう正念さいかいちよ、御身も我も、
むじやうべつじやう、南無阿弥陀仏」(※不明な経文)

と、唱え給い
やがて、髪を下ろさるる
御名を、ろうれつ坊と付け給い
十念を授け

「如何に、ろうれつ
御身はほんげ(ぼんげ:凡下)を見受けず
よくよく心得、あるべし」と
浄土の大事を附属あり
奥へ入らせ給いけり

ろうれつ
有り難し、有り難しと
学問所の入らせ給い
昼夜の怠る事も(なく)
心を尽くさせ給えども
未だ、奇特(きどく)の印も無し

ある時、ろうれつ
仏前に百日、じがね(地金)
打ち鳴らし


昼夜、念仏怠らず
かんべ(寒辺?)の寒きも
正経(しょうぎょう)眼(まなこ)を曝し
夏日(かじつ)の長きにも
飢えを凌ぎ
御勤めを怠らず
誠に仏の化身かと
尊っとまざるはなかりけり

百日の満ずる夜
金色(こんじき)の御僧
黙然(もくねん)と来迎ありて

「如何にろうれつ
汝が大願、殊勝なり
さあらば、知恵を授けん」

と、黒色(こくしき)ひとつの玉
ろうれつに与え
六字の名号の法身と顕れ
一字一体の六阿弥陀と顕れ給うは
有り難かりける次第なり

ろうれつ、奇異の思いをなし
与え給えし、黒玉(こくたま)を御覧ずるに
光りは更になかりけり
ろうれつ、きっと悟り

「さては、青玉(せいぎょく)、清けれども
磨かざれば、光り無し]

かの黒玉(こくぎょく)を弓手に捧げ(ささげ)
昼は、暇無く六字を唱え
夜は、諸経に(しょぎょう)に眼を曝し
心を尽くし給いしが
不思議や、件の(くだん)玉
光りを射し、目指す夜なれど
只、日中の如くなり

ろうれつ
「さては、諸願、成就したり」とて
いよいよ勤め給いけり

これはさておき、この頃
雄誉(おうよ)の寺中に
かい月(げつ)という僧あり
才知にして、学問に上超す人のあらざれば
この人ならで
雄誉の後、継ぐべき僧あらじと言いしに
今は、ろうれつの威勢に霞められ
用いる者はなかりけり
かい月、無念に思い
ろうれつを嫉み(そねみ)
日頃、語りし相(あい)弟子を招き、内談す

人々、聞きて
「所詮、ろうれつと、法論は敵う(かなう)まじ
一念の瞋恚(しんい)を以て
取り殺さん」と
まずまず、今宵、行いを為し
十王堂に籠もり
瞋恚を使わさんと
やがて用意をしたりけり

これをば知らず、ろうれつ
学問に心を尽くし給う所に
障子の陰より、陰差し
大男子(だいおのこ)二三人
仁王立ちにたったりけり

ろうれつ、少しも騒がず
「真法性、元、浄し(きよし)
何によって、妄念起こる
如何に、如何に」
と仰せける

時に、悪鬼、答えて曰く
「月、鮮やかなりと言えども
黒雲(くろくも)忽ち、眩ます(くらます)
心、清しと言えども、妄念、眩ます」

ろうれつ
「それは、ともあれ
汝らは、何者ぞ」

悪鬼、答えて
「そも我は
かい月、ならびに、寺中の僧の妄念」

ろうれつ、からからと笑い
「学問は、何の為ぞ
如何に、如何に」
と、仰せける

妄念、この言葉につまり
二人(ににん)の鬼
忽ち、消え、かい月ばかり、留まりけり
かい月、怒って

「所詮、汝を取り殺し
存念を晴らさん」
と、跳んで掛かる
ろうれつ、数珠にて、
「文文(もんもん)せしゅ」(?是真(佛)カ)と、打ち給う

 そのとき
件の玉の内より
弥陀の利剣顕れ
かい月を切り払えば
形は消えて無かりけり
かの、ろうれつの御法力
尊しとも中々
申すばかりはなかりけり


三段目

その後(のち)
ここに、哀れを留めしは
大和の国、葛城におわします
金国殿の御台所や老母にて
諸事の哀れを留めたり
金国殿、見えさえ給わぬ事どもを
死して別れし心地にて
嘆き沈ませ給いけり

郎等の栗川、申す様
「某、諸国を巡り
御行方(ゆくえ)を尋ねも申さん」と
御前(おんまえ)を罷り立ち
やがて、用意をしたりけり

さてもその後御台、
老母を慰め
その身は、玉若殿を伴い
寝所に入り、口説き事こそ哀れなり
「如何に、玉若
御身も、今、八才になり給う
何卒、父の在処(ありか)を訪ね
母が思いを休め給え」と
泪と共に仰せける
玉若、聞こし召し
「愚かの母の仰せかな
早、八才に及ぶ身の
父の行方を尋ねずば
未来の罪も如何せん
仰せあるこそ幸い」と
「早々、暇(いとま)給われ」と
泪ながらに宣えば(のたまえば)

母上、聞こし召し
「我が子ながらも
恥ずかしや
御身の父に
離れし時、火にも水にも、入らんと思いしかど
老母様や、御身は
何とならせ給わんと
甲斐無き命、長らえし
又、御身に離れなば
母は、何となるべきぞ」と
泪に暮れておわします

玉若殿、泪を押さえ
「御嘆きは、理なり
某、斯様に申すも
お心を慰めんため
母の仰せは背くまじ」と
泪に暮れておわします

母上、聞こし召し
「誠に御身の志
唐土(もろこし)の「りうかう」(該当不明)
にも勝りたり
さ程に思い立ち給わば
母、諸共に出でべき」
と、仰せもあえぬに
老人一人(いちにん)現れ

「如何に、汝ら
父が行方(ゆくえ)を訪ねんと思いなば
東国へ下るべし
我は、長谷の観世音」と
消すが如くに失せ給う

人々、喜び
「さあらば、教えに任せん
去りながら、老母に
このこと申すなば
共に行かんと、の給うべし」
と、文細々と書き留め留め(とどめ)
旅の装束なされける

労しや、御台所
夫の行方を尋ねんと
忘れ形見の玉若と
互いの袖を取り交わし
住み慣れ給いし古里を
心細くも、立ち出でる
行方は何とならざかや

《道行き》

此(この)手、かしわ(柏)の二つおもて
とにもかくにも、我が夫の
跡、懐かしき泪こそ
袖の柵(しがらみ)、暇もなく
一方(ひとかた)ならぬ我が思い
誰にか語らん年月の
思いを流せ、木津川に
便船乞うて打ち渡り
西の大寺、伏し拝み
この若が行方(ゆくえ)如何にと、白露の
若も分かれて、何方(いづち)とも
知らぬ旅路の思い種
葉末の露は曲水の
奈良の都を出るにぞ
流石、故郷の懐かしく
後、振り返り、三笠山(御蓋山)
見慣れぬ、身なれば、佐保の川
涙ながらに、打ち渡り
早、山城に  、井手の里
玉水に掛け映す
その面影は、隠れ果て
いとど心は、黒髪の
乱れて物や思うらん

都の西に聞こえたる
嵯峨野の寺に参りつつ
四方(よも)の景色を眺むれば
花の浮き木(?)の亀山や
雲に流るる、大井川(大堰川)
誠に、浮き世の性(さが:嵯峨に掛ける)なれや
桂の里に夕霞
立ち上るらん、朝霧に
映る日差しは棚引いて
只、白雲(しらくも)の如くなり
巡り、巡りて、今、ここに
花の都、入り(※出でるのではないか?)にける

恋しき人に、大津(逢うつ)の浦
妾(わらわ)を妻の松本や(待つ)
名所旧跡、打ち過ぎて
登れば降る(くだる)坂の下
関とは聞くと、皆人の
打ち越え行くは、石薬師
恋しき夫(つま)の、近国の
行方、知らせて給われと
涙ながらに、急がるる
憂き身は何と、なる身ぞと
心の花は、知立なる
涙を流す、ひぢ川や(?不明)
吉田(良いに掛ける)と聞けど、自らが
今の憂き目を、人に知らすか、荒磯の
浜松、風に夢醒めて
夫の姿を、見附の宿
袋井(静岡県袋井市)、掛川(静岡県掛川市)、日坂(同掛川市)や
悲しき金谷、この身をば、
島田(静岡県島田市)と聞けば、恨めしや
花紫の藤枝(静岡県藤枝市)を
おらで、岡部の宿
見あけて(上げて)渡る丸子川(まりこがわ)
府中、江尻を打ち過ぎて
難所、関所を、涙ながらに行く程に
旅の日数も重なりて
枕の夢を、三島なる(静岡県三島市)
早、小田原に着き給う(神奈川県小田原市)

労しや、御台所、この年月の物思い
御心(みこころ)も疲れ果て
今を限りと見え給う

玉若、大人しく御手を取り
「母上様、今少し、拾わせ給え
如何なる里にも、出ずべきなり」と
涙とともに仰せける

母上、微かなる御声にて
「絶えて久しき我が夫に
行方を不思議に聞くよりも
今一度(ひとたび)逢わん、逢わんと思いつつ、
遙々来たる、甲斐も無く
ここで、空しくなるならば
又、幼き(いとけなき)御身をば
誰やの人に預け置き
妾は、空しくなるべき」
と、消え入る様に泣き給う

玉若、流石、幼稚にて
「のう、母上様
如何なれば、自らは
この所に只一人
捨てて行くとはの給うぞや
放ちはやらじ」との給いて
声を上げてぞ泣き給う

母上、聞こし召し
「何しに、捨てて行くべきぞ
冥途と申して、仏の国へ参るなり
さもあらば、この山の
虎狼野干に、服(ぶく)せられ
朽ち果てんこそ物憂けれ
母が、顔を良く見置け
又、自らも
おこと(御事)の顔を見置かん」と
互いに、顔を見合わせて
泣くより外のことぞ無き

母上、今は、弱りて
「あら、名残惜しの玉若」と
これを、最期の言葉にて
終に、空しくなり給う

去れども、儚なや玉若殿
死し給うとは、弁えず
「のう、母上
早、日の暮れて候えば
御宿、召され候わんぞ
起きさせ給え」と
儚き人に、い抱きつき
流涕焦がれ、泣き給う

掛かる折節、辺りに近き、在の者
この体を見て、
「これこれ、何処(いづく)の人やらん
さても、不憫の有様や
斯くて、このまま、置かれまじ
影を隠して得させん」
辺りの土を掘り返し
北の方の御小袖を
印の為に残し置き
やがて、土中に築き(つき)込むる

若君、ご覧じ
驚きたる風情して
「何とて、母上を
斯様の所へ埋め(うずめ)申す
早、早、母上を出だせよ」と
悶え憧れ、泣き給う
在所の者、哀れみて

「御身は、ご存じ無きか
母上は、冥途と申して
遠き国へ行き給う
ふっつと思い切り給え」
若君
「さては、母の仰せの如く
仏の国へ行き給うか
我も、その所へ、連れて行って給われ」と
流涕焦がれ、泣き給う

人々、聞いて
「左様に、心易く
行かるる道にて無し
先ず先ず、我が所へ伴い
所縁(ゆかり)を正し
国へ送り届けて申すべし
先ず、此方へ」と
小袖を、塚に打ち掛け
若君を伴い、静に、庵に帰りけり
在所の人の志
又、若君の心の内
哀れとも、中々、申すばかりはなかりけり


四段目

その後
尚も哀れを留めしは
「ろうれつ」の御母にて
諸事の哀れを留めたり

御台所の御事を
夢にも知ろし召されずして
何(なに)とやらん
今宵は、夢見も悪しければ
行って問わんと思い
「嫁御前は、在すか(まします)
孫若は、おわするか」と
一間を開けて、見給うに
人々は、在さず(ましまさず)
何処へ行きてあるらんと
彼方此方を見給えば
文一通、置かれたり
何事やらんと、
頓而(とみに)開いて見給えば

「何々、自らは
このまま、朽ち果てても
苦しからず候えども
不憫やな、玉若が
朝夕、父の御事を
嘆き候を見るに
心も乱れ、草露の
命も覚えなしと
悲しみ候所に
不思議の霊夢
東路と、瑞夢被り
嬉しさのまま、斯く、思い立ち候
やがて、目出度く、巡り会い
御共申し帰り
喜ばせ申さん」と

読みもあえず、彼の文を
胸に当て、顔に当て
声を上げてぞ、泣き給う

掛かる折節
霜夜の局と申す
金国殿に、乳(にゅうみ)を参らせし人なるが
この由を、見参らせ

「如何なる事ぞ」と、問い申す
老母、涙と諸共に
「のう、嫁御前と玉若と、金国の有り所を聞き、東雲曇りの霧霞(きりかすみ)
迷い東(あずま)の旅に発ち
妾は、何と、奈良の葉(端)の
老い木の末の枝弱く
露の命も惜しからず
其の東路へ参るべし」
局は、頓て、押し留め

「左程に思し召すならば
自ら、御共申すべし
人知らぬ、其の内に
早、早、御出でましませ」と
東を指して下らるる
哀れと言うも余り有り

夜の名残も数々の
一夜二夜(ひとやふたや)の夢枕
起き伏し繁き(しげき)、小笹の原
篠(しの)の物思う身の
悪しき事は、吉原や
恋しき人を三島殿
打ち過ぎ行けば、程も無く
早、小田原に着き給う

掛かる所へ、向こうより
客僧(きゃくそう)二人、来たりしが
「扨も扨も、後の山中にて
所の者が、
旅人が、幼き者を捨て置きて
死したる事の不憫さよ
人の命は、知れざるもの
南無阿弥陀仏」と
弔い(とぶらい)てこそ行き過ぎける

老母は、聞こし召し
「のう、局
良く、浮き世には
身当たりたる事多し
若も、それにて候わば
遙々下りし甲斐も無く
我が身は、何となるべき」と
先ず、醒め醒めと泣き給う

局、承り
「何しに、それにてましまさん
広き世界のことなれば
当たる事も候わん」と
力付きて、ようよう、行てみれば
誠に、人の言う如く
新しき塚に高札を立ててあり

老女、局、立ち寄りて、読み給うに
「何々、この所にて
年の程は二十斗の上郎
八歳になりし若を
一人残し置き、疲れに及び
死し給う
幼き者に尋ね申せども
只、母上と斗にて
国も郡(こおり)も知れざれば
斯く土中になし申す
幼き者は、玉若と申すなり
所縁(ゆかり)の人にて候わば
此の事路の者にお尋ね候え
くわんい(寛永)三年
寅の三月五日」と書いてあり

老母も局も、はっと言い
そのまま、塚にい抱き付き
これは、これはと斗なり
ようよう、心を押し沈め
「扨も扨も
尋ぬる夫には、逢いもせで
さぞや、最期に
残り多く思すらん
母は、御身や孫が。後を追い
尋ね来たりし甲斐も無く
空しき土中を見ることよ
せめて、孫若なりとも在して(ましまして)
御身の形見と見るならば
斯程に物は思わじ
殿御には捨てられ
孫には、別れ
わ御所(ごせ)は死して別れ
後に残りし、老いの身は
そも、何時の身の報いぞ」と
声を上げてぞ泣き給う

然る所へ、所の者、玉若の手を引き
今日、三日の塚詣で
涙ながらにに来たらるる
老母、乳母(めのと)驚きて
「のう、それなるは、玉若丸か」
と、の給えば
若君、余りの嬉しさに
物も言われず、走り寄り
老母の袖に取り付けば
老母や乳母は、とかくの言葉もましまさず
悦び泪は、堰あえず
大人しくも玉若、泪を押さえ

「のう、母上様は
 斯様々々の次第にて
冥途とやらんへ、行くなり」と
物をもの給わいて、寝入らせ給う所へ
これなる里人来たり
ほり(掘り)うづみ(埋ずみ)
自らをば、所縁(ゆかり)の人の有る内は
止まるべしと
この間、介抱に会い候なり
御礼、申させ給うべし」
との給えば

老母、泪の下よりも
「さてさて、嬉しくも、人々は
斯様に、養育あそばされ
何とお礼、申しても
余り無き事どもかな
我々も、この者共が、後を慕うて
下りし甲斐も無く
かかる憂き目を見ることよ」
と、醒め醒めと泣き給う

所の者、承り
「誠に、労しの御事や
如何様(いかさま)、方々は
世に有る人と覚えたり
語らせ給え」と申しける
老母、聞こし召し
「この上は、何をか包み申すべき
参候(さんぞうろう)、自らは
大和の国、葛城の下の郡にて
但馬の守、金国と申す者の母にて候
我が子、三年以前、夢中に頓死仕り
不思議の霊夢を蒙り
東とやらんへ、下り候
嫁御前は、それ故
これまで来たりつつ
斯く、先立ち給いたり
のう、里人」
と、の給いて、涙に暮れておわします

その時、件(くだん)の男の子
大きに驚き
「さては、金国殿のお母上にて、ましますかや
それがしをば、ご存じ候まじ
この所の一頭(いちかしら)
稲垣與一と申す者にて候

某、三年以前に
不慮に頓死致し、三悪道に堕罪せしを
かの金国殿に助けられ
二度(ふたたび)、娑婆へ帰り
疾くにも尋ね参り
お目に掛かりたく候えども
なかなか、病気の上なれば
五体も叶わず
参ることも無く
又、人を遣わし候えば
何方(いずかた)へか御立ち退き給い候由
力無く
それ故、伺候申さず候

さては、御遁世(とんせい)あそばされ候か
尤も、こうこそ、有たけれ(?有り難けれ)
先ず、方々様に会う事
某が心底、通じたり
先ず、此方へ」と
新しく、庵を結び
人々を招じ、良きに労り給いしは
頼もしかりける次第なり
この人々の有様
哀れとも中々、申す斗はなかりけり


五段目

その後(のち)、斯くて
江戸、霊巌寺におわします
ろうれつ、今は、大知識にならせ給い
一切経をば、凡そ、胸に納め
釈迦一代の御説法
空(そら)に悟らせ給えば
皆人、仏の化身ぞと
尊まざるは、なかりけり

在る時に、ろうれつは
心に思し召さるるは
『天地開闢(かいびゃく)天地(あめつち)開き、
この方、我が朝の一切経
眼(まなこ)に曝すと言えども
只、六波羅蜜の行をなし
悟るといえども
約まる(つづまる)所は、名号なり
されば、伊奘冉(いざなみ)の尊(みこと)
天照大神も、本地は、弥陀如来
誰か、これを疑わん
末世の衆生は、下根下地 (げこんげち)
座禅、工夫は及ぶまじ
有り難き念仏をば、只、何となく
衆生らが思う事こそ、浅ましけれ
十万の三世仏、一切の諸菩薩
八万、諸せう経(?)の
籠もらせ給う事なれば
文字にも尽くされず、言葉にも及ばれず
されば、仏の御知恵なれば
只、六字に詰め籠め給うなり
我、出家の身となりて
何の為に、学問せん
衆生を助けんが為なれば
日本を修行して
利益(りやく)せばや」
と、思し召し
先ず、諸国を心掛け
雄誉上人より給わりし
御名号を襟に掛け
都を指してぞ上らるる

急がせ給えば、程も無く
早、小田原にぞ付き給う
その日も既に、入相の
鐘、つくづくと、聞こし召し
一首は、こうぞ、聞こえける

「月も日も、東に出でて、西に行き
弥陀の浄土へ、入相の鐘」

と、斯様に詠じ給いつつ
向こう遙かに、ご覧あるに
灯火(ともしび)の光、微かなり

ろうれつ、立ち寄らせ給い
編み戸の隙(すき)より
庵の内を見給えば
八才斗(ばかり)の童(わらんべ)の
仏前にて手を合わせ、念仏申し
醒め醒め、嘆き居たりけり

ろうれつは、ご覧じ
「扨も、殊勝の幼いや
未だ、年も行かずして
斯く有り難きお念仏
何様、子細の有るべけれ
見れば、庵に人も無し
愚僧が、執行(しぎょう)(※修行  に同じ)
試みんために、仏神の、顕れ給うかや
よし、それは何にもせよ
かかる、尊き幼いを
見捨て、通るも、如何なり
その上、日も早や、暮れければ
今宵は、ここに、宿を借り
旅寝の疲れの草枕
何かは、苦しかるべき」と
頓而(とみに)、庵を打ち叩き

「これは、旅の僧なるが
日に行き暮れて候
一夜の宿を貸し給え」

玉若殿は、聞こし召し、急ぎ立ち出で
「何、旅の御僧とや
主(あるじ)も留守にてましませども
御僧のことなれば
易き事にて、ましますぞ
いざ、これへ御入りあれ」
ろうれつ、聞こし召し

「さてさて、御身は
未だ、年も行き給わねども
殊勝なる志
只人ならぬ小人(しょうじん)かな
去りながら、如何に法師(ほっし)の身なりとて
主もましまさぬに
幼き人の、仰せらるるを幸いに
一宿(いっしゅく)は成り難し
志は同じ事
重ねて、一夜を申し受けん」(※別の宿を探そう)
と、立ち出で給えば
玉若、袖に縋り付き

「仰せらるるも断りなり
去りながら、少しも苦しく候わず
殊に、自らは
近き内、母に離れ
孤児(みなしご)となり候
又、一人の老母を持って候が
乳母を連れて、今日
母のために、お墓へお参り候が
未だ、お帰り候わず
物寂しき折から、
殊に、明日は
母上様の七日に当たらせ給えば
御僧の宿り給わんと、仰せ有るこそ、
嬉しく思いしに
又、借る(かる)まじきとは、恨めしや
今宵は、ここに、ましまして
明けなば、何処へも、御通り候べし
のう、御僧」
と、の給いて
袂(たもと)を控え、の給えば

ろうれつも、心入りを、感じさせ給い
「その義にて、ましまさば
さらば、お貸し候え」と
奥に通らせ給いける

労しや、ろうれつは、
我が子供、身の上とも
夢にも知ろし召されず
持仏堂に打ち向かい
しばし、御回向なされ
扨、若君に向かい

「如何に幼い
御身の様子を見参らせ候に
この所の人にて無し
言葉も上方なり
姿を見るに、由ある人
何様(なにさま)、子細ありて
ここへは、来たらせ給いけん
それ、人は、生所(しょうじょ)を去って
三国にて果つる
愚僧も遙か、西国の者なれば
上方の人と見て
懐かしくこそ候え
殊に、今日、我、
国を出でし月日に当たる
掛かる御追善に
参り逢うこそ、嬉しけれ
随分、愚僧も、亡者(もうじゃ)成仏の
御回向致し申すべし
幼い(おさあい)如何に」 
と、仰せける

若君は聞こし召し
「ああら、嬉しや、自らも
宵の間、お念仏を申すべし
御僧様」
と、ありければ
ろうれつ、聞こし召し

「さても、殊勝の言い事や
さらば、御回向し給え」と
鐘、打ち鳴らし
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、回向あり

労しや、若君は、
宵の間に連れて、念仏申し給えども
小夜更け(ふけ)方になりぬれば
親子の機縁の験(しるし)にや
ろうれつの御膝を枕として
前後も知らず、宿らるる

ろうれつ、是をご覧じて
「扨も、不憫のこの若や
寝入りし顔の面差しは
我、国を出でし時
三歳にて、捨て置きたる
玉若丸が顔(かおばせ)に
良くも、似たりし、この若や」
父は、誰とも知らねども
我が身の上に、引き比べ
衣の袖をぞ濡らさるる

既に、その夜も夜半ばかりの事なるに
風は吹かねど、そよそよと
今宵の風は、しみじみと
身添う事こそ不思議なり
南無阿弥陀仏との給い
しばし、念じておわします

掛かる所に
仏前の陰よりも
二十(廿)斗の上郎
さも、打ち萎れし風情にして
ろうれつのおわします
御傍近くへ立ち寄りて
只、醒め醒めと泣き給う
ろうれつ、ご覧じ
「汝、如何なる者なれば
只今、是へは来るらん
語れ、聞かん」
と、仰せける

その時、女性(にょしょう)、申す様
「さては、見忘れさせ給うかや
自らこそ
そなる、玉若が母にて候なり
御身、国を出でさせ給いしより
便り、訪れ無き故に
この七日以前、この所迄、尋ね来て
無情の風に誘われ、斯くは空しくなり候
去れども、今宵の御回向にて
成仏遂げて候なり
この上は、いよいよ、御修業なさるべし
又、その若と、親子の名乗り、ましまし
出家となして、妾が跡を問わせてたべ
暇(いとま)申して、我が夫」
と、掻き消す様に失せ給う

ろうれつ、はっと思し召し
「今までも、今までも
この若を、如何なる者の子なるぞと思いしに
さては、我が子の玉若かや
父に捨てられ、母には別れ
斯く浅ましき一つ屋に
捨て置くことの不憫さよ
如何に、玉若、さぞや、母に別れ、頼り無く
父を定めて恨みけん
参り逢うこそ幸いなり
父が来たぞ、これ、若よ
起きよ、顔をも見せよや」
と、縋り付いてぞ泣き給う

「いあや、迷うたる我が心
若も(もしも)老母の御帰りましまし
恨み嘆かせ給いなば
一大事を取り失い
長く悪趣へ落つべし
寝入りしを幸いに
立ち出でばや」
と思し召し
やがて、枕を取り替えて
忍び出でさせ給いける

若君は、目を覚まし
辺りを見れども
修行者は、ましまさず
「こは、何処へ、行かせ給うぞ」
と、急ぎ立ち出で、見給うに
ろうれつは、柴の編み戸に迷い
彼方此方と、し給う所を
若君、頓而(とみに)縋り付き

「これは、如何なる御事にて
何方(いづち)へ行かせ給うぞや
最早、夜の明け方も近ければ
とてもの事の御利益に
明日な、七日の御回向に
お経、読うで給わるべし
何故、暇も乞いもせで
斯く忍びて御出で候ぞや
放ちはやらじ」
との給いて、声を上げてぞ泣き給う

かれこれ、時刻を移す間に
老母は、乳母と諸共に
御塚籠もりより、帰られしが
この由をご覧じ
何事やらんと、思し召し
急ぎ、立ち寄り、見給えば
別れて久しき、金国殿
出家となりておわします

「のう、それなるは、金国かや
老母なるわ」と
の給いて、そのまま衣に縋り付き
これはこれはと斗なり
若君、夢とも弁えず
急ぎ、衣に取り付いて

「扨は、父にてましますか
など、扨、疾くにも名乗らせ給わずして
今まで、包み給うぞや
早早、これは我が子かと
言葉を交わし給われ」
と、縋り付いてぞ、泣き給う

ろうれつ、力無く
「誠に、恨みは断りなり
家並こそ、多きに
是にて、逢うことは
三世の機縁」  
と、の給う折節
介盛(稲垣與一介盛)は、
御台所の七日を問わんと
来たられしが、この由をご覧じて
「何処(いづく)の僧ぞ」
と、問い給えば
老母、初め終わりを語らるる

介盛、驚き
「さては、金国殿にて、ましますか
我こそ、冥途にて助けられし
稲垣與一」
とて、互いに袖を控えつつ
悦び給うは、限り無し

介盛、
「この上は、この所にましまして
猛悪の輩をお助け給わるべし」
と、人々を伴いて
我が家を指してぞ帰りける

これは扨て置き
その頃の帝をば、
人皇(にんのう)百九代
太上皇帝(※明正天皇)と申し奉る
されば、先帝の御奉仕、有るべしとて
日本の名僧を、お召しあるべしとて
いちいち、次第に、触れ給う

掛かる所へ
百色のめい鳥、飛び来たり
(※共命鳥:ぐみょうちょう/命命鳥:みょうみょうちょう)
御殿の上に羽を休め
『ぶっぽうめいしそう』(※仏法明使僧という聞き為し)
と唱え、虚空を指してぞ飛び去りけり

帝、不思議に思し召し
「急ぎ、博士を召して、占わせよ」
と、宣旨あり
阿倍の望月(不明)、参内し(さんない)
暫し、考え、申す様
「これは、王城より東に当たって
その名をろうれつと申して
文殊菩薩の化身、入来あるべしとて
斯様の鳥、告げ知らしむる所なり

去れば昔、
弘法大師、性空(しょうくう)上人、法然、親鸞
出で給うべき時
斯様の鳥、出でるなり

文字(もんじ)に、是を書く時は、これ、
『仏の法、明かなり、使い僧』
と、読めり
この御僧、お召しありて
御追善なすべし」
と、占いけり

帝、げにもと思し召し、宣旨あれば
ろうれつ、頓而(とみに)、参内(さんだい)なされる

奥よりの宣旨に
「如何にろうれつ
この度、先帝の御奉仕
ろうれつ、如何で、背くべき」
と、仰せける
掛かる所に、何時ぞや、霊巌(寺)にて
ろうれつを嫉み(そねみ)し、かい月
進み出で、申す様

「我僧(わそう)も、掛かる大事の御奉仕に
心無くて参るべし
何の心を以て、行い給うらん」
と、申しける
ろうれつ、聞こし召し

「御身、知らずや
往生極楽の回向より外に
秘術はあるまじき」

かい月
「それは、如何なる、回向ばし給うぞ」
ろうれつ
「それ、回向と申して、四種あり
先ず第一、
ぢきしゆつ回向(不明?)
くんほつ回向(不明?)
おうそう回向(往相回向)
そんそう回向(げんそうカ:還相回向)
この四種の門に入り
中にも、助かり易き回向は
ぢきしゅつ回向にて候」
と、さらぬ体にて仰せける

かい月、聞いて
「その回向し給う時は
何れ(いずれ)のもんいん(文音) 」

ろうれつ
「おうおう、中々
外に文は唱うべからず
六字の名号を以て
即ち、第一の回向とせり」

かい月、押し返し
「凡そ、諸経、
釈迦一代の御示し、数多きその中に
念仏とは、心得ず」

ろうれつ、少しも騒がず
からからと笑わせ給い
「されば、六字の名号には、
阿の字、一字に
十万の三世の諸佛、守り給う
弥の字には、一切の諸菩薩を封じたり
陀の字には、八万諸正経を込められたり
如何に、如何に」
と仰せける

去れども、かい月
「やあ、ろうれつ、生道心、
念仏の六字ならでは、聞き知らし
諸々の諸経
釈迦の広め給う
然れば、釈迦如来は、
一切の父母ならずや
阿弥陀ばかり頼うでは
中々、成仏、難(かた)かるべし」
と、たたみ掛けてぞ申しける

ろうれつ
「汝は、愚痴なることを申す者かな
我、全く、釈迦を捨つるにあらじ
六字の名号には、釈迦諸菩薩の籠もり給う
大乗の心は、三神一仏(さんじんいちぶつ)と崇め(あがめ)給う
先ず、三神と言うは
弥陀、釈迦、大日
この三仏を、一体と見るは
汝、弥陀を隔て申すに於いては
釈迦をも隔て申さずや
今よりしては、我慢をやめ
愚僧が、示しを、保たれよ」
と、座を打ってぞ申しける

弁舌、達せしかい月も
重ねて、使わん言葉無く
「所詮、おのれ、斯様なる悪僧
仏法の外道なり
首、捻じ切って捨てん」とて

跳んで掛かれば
公家大臣、押し留め給う
去れども、ろうれつ
そっとも慌て給わず

「如何に、かい月
掛かる大事の御法事に
由なき事は、の給いそ
先ず、御奉仕をも相勤め
その後、心に任されよ
大仏法に悪をなす
外道を、何故(など)目の前に
諸佛も置かせ給うまじ
よっく観念あれ」

と、の給う声の下よりも
俄に振動し
黒雲ひと叢、押し下がり
金色の名号顕れ
忽ち、六色の悪鬼と化身し

「如何に、かい月
汝、道者を嫉む(そねむ)悪人なれど
六字の罰を逃るべし
いで、六道(りくどう)の苦しみを
今、現在にて、見せん」
とて、様々に責めける

その時、かい月、声を上げ
「我、口なる故に
御身を誹り(そしり)申したり
助け給え」
と、血の涙をぞ流しけり

ろうれつ、哀れに思し召し
庭前に立ち出で給い
「南無阿弥陀仏と申されよ」
時に、かい月
「南無阿弥陀仏」との給えば
猛火(みょうか)も忽ち消え失せて
六道の悪鬼も、元の六字と、変じ給いて
光を放ち、失せ給う
又、かい月は、無碍光如来と顕れ
光明放って立ち給う

帝を初め、ろうれつ
「仏にて、渡らせ給う」と
皆、礼拝をぞなされける
内よりの宣旨には
「この度は、奇特(きどく)の勤め
とこう言うべき様もなし
今より後は、御身の名をば
崙山上人と号すべし
寺建立して参らせん」
と、宣旨あり

その時、介盛参内し
古里の次第、またはご先祖
若君の御事を
いちいち次第に奏聞す

帝、叡覧ましまして
「その義ならば
その若、召せ」
畏まって、急ぎ使いを立て
御前(ごぜん)に参内ある

帝、御観(ごかん)ましまして
即ち、日向の三郎元義(もとよし)と名付け給い
大和国にて、七万町をぞ下されける
有り難し、有り難しと
御前を罷り立ち
老母を伴い、本国指して帰らるる
かの崙山の御有様
前代未聞の知識の誉れ
有り難しとも中々、申す斗はなかりけり


六段目

その後
かくて、崙山上人は
法論に奇特を得
いよいよ、敬い奉る

在る時、崙山
玉若に近付きて
「愚僧は、これより
初国修行仕る
又、関東へ下り
ご師匠のお目に掛かり
又こそ、参り申すべし」
と、暇を乞うて、上人は
東を指してぞ下らるる

これはさて置き、その頃
下総の傍らに
こうざき(神崎)じんない(陣内)とて
その古(いにしえ)は、西国方の者なるが
主人に離れ、その行き方を尋ねかね
営み繋がん様も無く
力及ばず、行き来の者を剥ぎ取りて
渡世を送り居たりけり

在る時、彼が友達に
牛久保の弥太郎とて
大悪の者、ありしが
「如何に、弥太郎
今宵も、この原に出で
如何なる者をも剥ぎ取り
せめて、酒手の値にせん」
「この義、然るべし」
とて、枸橘(からたち)が原に関を据え
今や、今やと待ち掛けたり

掛かる所へ崙山は
何心無く通らるる
二人の盗賊、頓而(とみに)左右(さゆう)に立ち寄り

「如何に、御坊(ごぼう)
長浪人(ながろうにん)にて、尾羽を枯らし
近比(近頃)には候えども
酒手代(しろ)を得さすべし」
とぞ、怒りける

崙山、聞こし召し
「誠に至極致したり
去りながら
愚僧は、貧僧なれば
蓄えも候わず
まして、着替えも持たざれば
許し給え」
と、仰せける

盗賊、大きに腹を立ち
「扨も、ふてぶてしき、法師(ほっし)めかな
先ず、その肩に掛けたる
油単包み(づつみ)を渡されよ」
と、無体に剥い取り
この上は、袈裟も衣も、剥ぎ取らんとしたりけり

崙山、ご覧じ
「さてさて、汝等は
破戒無慙(むざん)の者どもかな
されば、水は方円の器物に従い
人は、善悪の友に寄る
汝等は、悪業(あくごう)深き故
善悪をも弁えず
今生にてこそ、斯様に悪事をなすども
死して、冥途においては
さも、恐ろしき火中に堕罪し
苦しみ受くるその時は
千万悔ゆるど、甲斐あらじ
愚僧が身をば、厭わねど
汝等が、後の世こそ、不憫なり」
と、の給えば

盗賊共、怒りをなし
「憎っくき法師(ほっし)が言い事かな
未来と言うも、誰ありて
見て帰りたる者も無し
地獄と言うも、極楽も
悪を沈めんそのために
釈迦という似非者(えせもの)の
立ておかれたる事ぞかし
悪を作りて、地獄へ落つるか
又、御坊の様に、三衣を纏い
仏になるか
いでいで、証拠をみせん」とて

労しや、崙山上人を
取って押し伏せ
高手小手に縛め(いましめ)
傍なる、松の木に絡め付け
「坊、何と、仏の救いましまさずや
売僧(まいす)を勧むる、法師めに
さらば、暇(いとま)を取らせん」とて

二人、一緒に太刀を抜き
討たんとすれば、太刀、だんだんに折れ砕け
扨、崙山は、十一面観世音と顕れ
光を放っておわします
盗賊共は、肝消し
只、平伏してぞ居たりける

その時に崙山は、
何に障り(さわり)もましまさず
只、呆然と、彼らが後ろに立ち給う
盗賊共、いよいよ驚き

「さてさて、御僧は
仏にて、渡らせ給う、有り難や
勿体なくも、縛め(いましめ)申す事どもを
御許し給わるべし
とてもの事に
我々をも、御弟子となして給われ」
と、手を合わせてぞ居たりける

上人は、聞こし召し
「殊勝なり、方々
例え、十悪五逆の者なれども
一念仏心起こる時は
諸佛も感応ましますなり
さらば、出家し給え」と
頓て、髪をぞ下ろさるる

既にその名を
悪より善に基づけば
さいぶつ(罪仏?)さいしん(罪心?)
と、付け給い
「掛かる出家となるからは
懺悔なくて、叶うまじ
いちいち懺悔し給うべし」
罪仏坊、承り
「参候、某は
津の国、難波の浦の者なるが
意趣あり、人を討ち取り
この所に下りけり
掛かる悪事を仕り候」
と、申しあげる
 
又、罪心坊、申す様
「参候、某は
本国、大和の国
葛城、下の郷にて
対馬(巻頭では但馬であった)の介金国の
郎党に、形部左衛門経春(つねはる)と申す者にて候
主君の金国は
斯様斯様の次第にて
御遁世なされ候故
御行方(ゆくえ)を尋ねかね
斯様になりて候」
と、初め終わりを語らるる

上人、驚き
「さては、汝、形部左衛門経春か
我こそ、古(いにしえ)の金国」
と、の給えば

罪心、余りの嬉しさに
互いに衣に取り付いて
悦び泪は堰あえず

上人、仰せけるは
「如何に、罪心
心安かれ
我が国へ立ち越え
老母や若に対面し
即ち、帝の宣旨を受け
本国を給わりて
玉若、国へ帰りたり
この上は、常陸(ひたち)に
移乗をなし
猛悪の輩を、利益(りやく)せん」
とぞ仰せける

人々、承り
「参候、これより、この向こうに当たって
板子村(潮来)と申して
悪殺生、漁り(すなどり)して
渡世を送る漁師ども
御助けましませ」
と申し上ぐる

上人、げにもと思し召し
「さあらば、それへ参らん」
と、人々を打ち連れて
渡しの舟に棹を差させ
板子村へぞ渡らるる

向こうになれば、彼方此方を見給えば
さも、住み荒らしたる御堂(みどう)あり
上人、立ち寄り、見給えば
人一人(いちにん)も見えずして
ほぞん(本尊)ばかり、備えける
上人、不思議に思し召し
仏前に参り、しばし回向なされ

「誠に仏は、出家の尊とむ(たっとむ)故に
殊勝を増す
如何なれば、この寺に
人の無きこそ不思議なり
方々、如何に」
と、仰せあるところに
老人一人(いちにん)、薪(たきぎ)を樵りてぞ通りける

上人、彼を召され
「如何に老人
何として、この寺には
人の無きぞ」
と、仰せける

老人、承り
「参候、この寺におわせしが
何時の程にか、変化が住みて
住持(じゅうじ)をば、絞め取り殺し
様々、仇をなし候故
今に於いて、化生寺(けしょうでら)と
異名を付け
誰、ありて、直らんと申す出家は
一人も無し」
と、語り捨て
里を指してぞ、帰りける

崙山、聞こし召し
「何、正法(しょうぼう)に不思議無し
但し、心の迷いかや
我、この寺に留まりて
猛悪、迷いの者共を
いざや、助け申さん」と

仏前に座し給い
鐘打ち鳴らし、御越えを上げ
お念仏を、申させ給うぞ
有り難けれ

既に、その夜も、夜半ばかりの事なるに
門前より、消したる姿、現れ
髪は長く、逆様に
足をば空に押し上げ
宙を駆けりて仏前へ
まっすぐに近付き
口より火炎を吹き出し
さめざめと泣きけるが
上人を一目見て
にっこと笑い、起き直り
只、しおしおと、居たりけり

上人、ご覧じ
「何者なるぞ」
と、仰せける

時に、亡者、申す様
「されば、某は
昔、この寺の門前にありし者なるが
妾が夫(おっと)、二道を掛け申す故
自ら、これを制し申せしを
夫は、妾を憎みつつ
あれなる井の内へ、逆様に落とされ
空しくなりて候
それ故、彼らを取り殺し
この身も苦しみ、絶えやらねば
助かりたく存知
迷い候えども
変化の者ぞと驚き
皆、相果て申したり
哀れと思し召されなば
助け給え、御僧」
と、血の涙をぞ、流しけり

上人、聞こし召し
「誠に、それは不憫なり
しからば、最前、仏前に参り
悲しみの涙の内に愚僧を見て
笑める(えめる)心は、如何に」
と、問わせ給えば

亡者、承り
「参候、初めは
この身の苦しき故
悲しみの涙なり
又、御僧を見参らせ
悦び、笑い候は
尊き(たっとき)上人に会い奉り
この苦患を助からん事の嬉しさに
さてこそ、笑い候」
と、又、さめざめと泣きにけり

上人、哀れと、思し召し
「誠に、一心転動すれば
獄卒、鉄杖(てつじょう)を振る
迷うが故に、苦しみ有り
本来一物無きときんば(?きけば)
何事か、苦しみあらんや
只一心に南無阿弥陀仏えお申すべし」と
十念を授け給えば

亡者は悦び、手を合わせ
お念仏を唱うれば
浅ましき姿は失せて
金色(こんじき)の光の内に、貌(かたち)を顕し
西の空へぞ上がりける
上人、いよいよ、念じてこそ、おわします

その折節、
十六七の上郎、十二単を飾り
上人に参り
「自らは、この辺りの者なるが
上人様のお念仏に付き
三熱の苦しみ
助からんと存じ参り候なり
哀れ、名号を授け給われ」
と、打ち萎れてぞ居たりける

崙山、聞こし召し
「さては、御身は
この所の海に住む
竜神にてましますか
幸い、愚僧、名号を書いてあり
これ、私(わたくし)にあらず
昔、大唐にてにて疫癘盛んにして
人、多く死する時

善導(ぜんどう)、不憫に思し召し
間(かん)三十日に御垢離(こり)を取り
節分の日に当たって
朝日に向かい
一字百倍の行(ぎょう)をなし
名号をあそばし
諸人に是を下し給う

それより、疫癘去って
万民の難を救い給う故
節分の名号とは申すなり
愚僧も、大師(※善導和尚)の後を垂れ
一字百倍して、これを書く
汝に、これを、得させん」
と、頓而(とみに)授け給えば

あら、有り難の御事と
三度、礼し奉り
忽ち、十丈余りの(約30m)大蛇となり
白雲に打ち乗り
口より、金玉(きんぎょく)を噴き出せば
懐中より、十二本の金蓮華を顕し
十二仏とけんじ(顕んじ)給うは
有り難かりける次第なり

掛かる所へ、在所の者ども
我も我もと掛け来たり
「さてもさても、御僧には
仏にて、渡らせ給う
この上は、この所に
御足を留めさせ給いて
我々をお助けましませ」
と、涙を流し申しける

上人は、聞こし召し
「弥陀四十八願を型取り
四十八夜の御念仏を勤め申さん
殊に、七月は、年中第一の月なり
または、盆中
愚僧、法談を述ぶべきなり
先ず、仏前に供物(ぐもつ)を飾り申されよ」

畏まって候とて
やがて、用意をしたりけれ
貴賤群集(くんじゅ)袖を連ねて参詣する
かくて、罪仏、罪心は、
上人より示し給う
大鐘の音も、澄み渡れば、心掛け
衣(ころも)の袖を結んで掛け
大念仏をぞ初めける

その時、上人、高座に上がらせ給い
回向の鐘、打ち鳴らし
聴衆(ちょうしゅ)に向かい

「如何に方々
今月今日十三日より十六日までは
取り分け、諸々の精霊(しょうりょう)
一切の餓鬼、娑婆へ来たり
苦を逃るる
去るによって、棚を飾り
供物(ぐもつ)をささへ(献げ)
水を向くる

目にこそ見えね
正しく来るに疑い無し
その内に、尊き僧の念仏を、受け申す時は
直ぐに、天上に生ずるなり
去るによって、精霊は、一大事に祀る(まつる)べし

去れば、その上
ちかう(智豪?)、らいかう(頼豪?)
と、申して
二人の僧あり
『我々、未だ悟りも無し
いざや、座禅して、仏果を極めん』と
二人、御山に籠もり、座禅せり
智豪は、一切経を読誦せば
座禅には勝らんと
三七日(二十一日)が間、大般若を読誦せり

又、頼豪は、一心無別して
往生を遂げ給う
智豪、これを悲しみ

『頼豪は、定めて、無言の死を遂ぐれば
地獄にや堕罪せん
有り所を尋ねん』と
清水の観世音に、籠もり給う
満ずる夜、観世音は
夢中に、智豪をお連れありて
天上ありと思えば
忽ち、弥陀の浄土へ、至り給う
頼豪は、弥陀の弓手に座し給う
智豪、驚き、言葉も無し
頼豪、申されけるは
『我、無言にあらず
心に、観念して
口に、念仏を含めり
その功徳を得て
今、浄土に至り申すなり
御身の住処(すみか)見せ申さん』と
忽ち、猛火(みょうか)盛んに
鉄(くろがね)の柱を立て
牛頭馬頭(ごずめず)の鬼
鉄棒、突き、待ち掛けたり
近う、立ち寄り
『この地獄へは、如何なる者が
落ちつらん』と、の給えば
獄卒
『これには、智豪と申す
大悪人、来るを、待ち候なり』
智豪、重ねて、
『その智豪は、
一切経を保つ、沙門なるに
何の咎をもって、落ちぬらん』
獄卒、申す様
『されば、智豪は、行者なれども
未だ、念仏の行に入らず(いらず)
それ故、斯くの如く』
と言う
智豪、押し返し
『凡そ、一切の経を尽くしたる行者が
わずかなる六字を
唱えざらんとて
地獄へ落ちなん事は
経説に違い(たがい)たり』
獄卒、怒って
『念仏の六字には
一切経は、申すに及ばず
諸々の諸菩薩、
残らず、籠もり給う
一切経は、大河に舟を浮かめし如くなり

汝は、左様の事を知らず
六字を誹り申さば
我らが待ち掛け申す
智豪にてあるべし』

と、跳んで掛かるを
観世音救い給い
天上へ上がると思えば
夢は醒めて、元のお堂に来たり給う

その時、智豪、目を醒まし
『あら有り難や』と
それより念仏の行者となり
大往生を遂げたもう

掛かる尊き、知識さえ
六字の名号のの威徳を得て
成仏をなされたり

まして、方々、我等が様なる
破戒、ひがん(?しがん)の輩は
念仏より外は無し
南無阿弥陀仏と、唱え給う人々は
未来を必ず
この、崙山が、導き申す
安楽世界へ至らしめん
先ず、今日の法談は、是迄なり
南無阿弥陀仏」

と、申させ給えば、皆、同音に申しける
今に置いて、板子村、崙山上人と
諸人、尊っとみ申すなり
有り難しとも、中々、申す斗はなかりけり

右、この本は、天満八太夫
武蔵権太夫 天満重太夫
作者 重太夫
直の抄本にて板行するものなり
江戸(削除)板