大福神弁財天御本地

 

天満八太夫・重太夫正本
大伝馬三町目
うろこかたや板

元禄頃

 

 

さてもその後(のち)
それ、つらつら思んみるに
三界(さんがい)は、龍車の如し
生じては帰り、帰りては生じ
いつ又、苦しみを逃れん
されば、仏も
三界無安(さんがいむあん)
猶如火宅(ゆにょかたく)
(※法華経)と、示し給う
これを、不憫に思し召し
万の御感(ぎょかん)のその中に
衆生の貧を救い
福徳を与え
愛敬を守らせ給う御仏を
詳しく尋ね奉るに
近江の国、竹生嶋弁財天にておわします。
その御本地を拝み申すに
景行辰の十年(西暦80年)
金輪際より世の内に
五水を分けて出現す
すい(水)しょうりん(照臨)の御山なり
又、弁財天と現れさせ給いしは
行基菩薩、初めて山へ参詣あり
弁財天と拝み
そのすい上(水上)をせいけん(聖見)すに
人皇四十五代の御門(みかど)をば、
聖武皇帝と申し奉る
しかるにこの御門(みかど)
神代よりこの方
例し少なき、賢王にてましませば
吹く風、枝を鳴らさず
民の竈(かまど)も色めきて
閉ざさぬ御代こそ、目出度けれ

さてまた、時の摂政には、
前の左大臣道成
右大弁是高(惟喬親王)
いづれも両臣として私(わたくし)なし
又、天下の武将には、
あまつこやねのびょうえ(?)
欽明天皇が末孫(ばっそん)曾我の大臣(おおとも)に十一代のお孫
たんかい公藤原つね正(不明し)とて
生年十八歳にして
せい(勢)抜群に優れ
百余人が力なり
唐土(もろこし)までも隠れなき
古今無双(ぶそう)の若武者なり

従う(したごう)所の郎等に
かいとう(海道)丸てるひで
岩道丸、かなどう(金道)丸  とて
何れも劣らぬ、大かう(剛)一の
兵(つわもの)なり
その外、公卿大臣
君を敬い(うやまい)奉れば
四海の浪、静かにて
治める御代こそ目出度けれ

これは、さておき、その頃
近江の国、滋賀の里には、
大魔岩富の宮(不明)とて
その様、常ならずして
丈、九尺四寸(約3m)
色あざ白く、頬骨(ほおぼね)あれ(荒れ)
眼(まなこ)逆さまに切れ
朝日に 翳せし(かざせし)面色は、
一重に夜叉の如くなり
付き従う眷属に
みかけのてつせんかげとら(御影の鉄扇景虎)
舎弟、悪道、同悪七、悪四郎、兄弟四人
昼夜傅き(かしづき)居たりけり
ある時、岩富の宮、彼ら四人を召され

「いかに、汝ら、
それ、世の中に
包むべきは悪心なり
我、幼稚より
悪を好む故に
御母、けん正皇帝(元正)の勘気を蒙り
位をも譲られず
二の宮、聖武皇帝に代を奪われ
我は悪王なりとて
このところに押し込められ
空しく、朽ち果てんこと
無念なり

これと申すも
御母元正天皇は
我がためには継母なり
所詮、勢を催し
叶わぬまでも
逆心を起こし
二の宮、聖武皇帝を初め
一味の公卿家
つかみひしぎ
我、大魔王と仰がれんに
何の子細あるべし
汝ら如何に」
と申しける

中にも悪七、申す様
「仰せごもっともに候えども
僅か二か国ばかりの小勢にて
天下一同の御代なれば
千にひとつもし損じては
弥(いや)君の御大事
とかく、叶わぬ事には
調伏にしくはなし
一祈(ひといのり)遊ばされて、しかるべし」
と申し上げる
大魔、げにもと思し召し
「さらば、調伏いたさん」と
悪日を選らみ
八方四面の壇上には
釼(つるぎ)をもって、御幣を切りかけ
灯明には、にんみ(人身?)の油
仏供(ぶく)には羊(ひつじ)のいい(委蛇)を盛り  (腸を指すカ?)
柳を刻み、人形(ひとがた)を真似び
本尊には、第六天の魔王を絵に描き
御幣を以て打ち払い、
まえん(魔縁)の法をぞ、祈られける
「上は、よつかい(欲界)、むしきかい(無識界)
下界の悪霊、無間奈落の
悪鬼、外道に至まで
悉く、驚かせ
我が念ずる所の妄念
晴らしめ給え
ぎゃそんぎゃてい
だんなく(だんあく:断悪)ちえざい( 智慧自在)
うんたらかんまん」と
打つ手の数珠の
緒(お)も切れよと
責(せき)に責められぞ祈らるる

あまりに強く祈られて
段に飾りし
剣(けん)飛び出で
人形のの直中(ただなか)を
刺し通すと見えしが
忽ち煙、はっと立ち
火炎となって失せにけり
大魔の宮は喜んで
一方は成就したりとて
たん(壇)の破らせ給いける

去るほどに、天は誠を守らせ給うとかや
更に、御門には、負い(おい)給わず
御母、元正の御身に、受けさせ給い
はんし(万死)限りに見えさせ給う
御門、驚かせ給い
片紙もおそばを離れ給わず
悲しみの御涙
御衣(みころも)の袂(たもと)も打ち萎れ(しおれ)
目も当てられぬ御風情
例えて言わんやようもなし
摂政関白、公家、大臣
日夜に参内、暇も無く
様々、心を尽くさせ給えども
更に元気も見え給わず
日々に重らせ給いけり
御門、あまりの物憂さに
御前に摂政を召され
「なにとぞ、神力(じんりき)をもって
母のお命を止め申す
沙門は無きか」
と、宣旨あり、摂政、謹んで
「さん候、和泉の国に、行基僧都とて
尊き知識の候
これを、御お召しあり
ご祈祷、しかるべし」
と、奏聞あり
御門、御感(ぎょかん)ありて
「行基を召せ」との綸言なり
畏まって、急ぎ内裏に招かれける
奥よりの宣旨には
「いかに、行基、この度、老母の御命を
止め得させんや、いかにいかに」
と宣旨あり
行基、謹んで承り
暫く考え、申さるるは
「この病(やもう)は、
第六天の魔王、内裏の障礙(しょうげ)をなし
日本(にほん)を、覆さん(くつがえさん)と企たれど
元より、神国(しんこく)なれば、叶わず
その執着(しゅうじゃく)、業魔となり
かく、御母上を
悩ましめ奉れば
お命は、止め難し
しかしながら、人間の種は、
ほくとしょう(北斗星)より命、定まり来る
去るによって、
悪事、災難には、
宵の明星、払い給う
暁の明星は、寿命を守らせ給うなり
来たる、十七日より二十三日まで
百灯を献げ(ささげ)
供物(くもつ)を飾り
荒菰(こも)の上に
一七日(いちななにち)がその間
星祭りを遊ばさるれば
梵天より
不老不死の薬、来候べし
その御薬を
御(おん)用いましまさば
即時に、平癒(へいゆう)ましまして
御寿命も長久にて
若やかせ給うべし」と
見通す様に、奏聞あり
御門、御感、ななめ成らず
「さらば、その義にまかせん」と
僧都に暇給わり
やがて、用意をなされけり
あら、有り難や
聖武皇帝は、
行基の教えに任せつつ
供物を飾り
さて、玉壇(ぎょくだん)に荒菰敷かせ
大般若をじゅぢ(誦持)給い
神すずしめ(清しめ)の管竹(かんちく)を
音も清みやかに(すみやか)吹き給う
心、言葉も及ばれず

さて、七日の曙(あけぼの)に
不思議や、しきりに、すいめん(睡眠)の心地して
現(うつつ)ながらも、御門には、
まどろませ給う内
異香(いぎょう)薫じ(くんじ)
花降り下る内よりも、有り難や
暁の明星は、
さも、いつくしき(慈しき)
天人(てんにん)の姿となり
左の手に琵琶を持ち
馬手の御(おん)手に瑠璃の壺を
うち乗せて、らいけん(来顕)あり

「いかに君、聞こし召せ
自らは、毘沙門の妹、吉祥天女と申すなり
有り難くも、御門
民を哀れみ
ことに、老母に
孝行、ましますこと
梵天に隠れ無く
天王、叡聞(えいぶん)ましまして
母上の御悩(ごのう)
安平(あんぺい)になさしめ申せ
との仏勅にて
天女、是まで来てあり
薬の壺は、何なにぞ不老不死と菊の水
うん(暈)月も浮かみ出で
共に遊ぶぞ、嬉しき
さて、まれ人(客人)も、ご覧ぜよ
月星は、隈(くま)もなし
所は、下界の宮の内
楽しみに、天人舞いを舞おうよ」

葦の葉の笛を吹き
しゃく(笏)の鼓、どうと打ち
声、澄み渡る空
風の調べや残るらん

あら、不思議や
舞いも半ばの事なるに
俄に空、掻き曇り
黒雲の内よりも
邪鬼(じゃっき)現れ
六路(ろくじ)に飛び降り
「いかに、天女
我はこれ、他化自在天に住まいなす
第六天が一念なり
御身、七歳の頃より
我、奪い取り、夫妻にせんと、企め(たくめ)ども
毘沙門天に隔てられ
ついに、本懐を遂げず
この度、下界へ下るこそ、幸いなれ
いで、いで、思い晴らさん」と
たちまち、赤き蛇となり、天女を目がけ追い巡る

その時、御門の御胸より
心の文字、現れ出で
則ち、白き蛇となり
件の蛇と取り合い給うぞ、不思議なり
既に、危うく見えし時
御枕に立ちし、宝剣
我(われ)と抜け出で
邪鬼(じゃっき)が、首を切り落とし
元の鞘に収まれば
後は、火炎となり果てて
件の天女ばかりなり
その時、天女は、
「有り難や、御身、心、素直なるにより
この壺に薬を湛え
只今、隠し与うるなり
世も尽きし
万代までの松の葉の御薬
取りても尽きず
飲めども、変わらぬ」

秋の夜の三日月
影も傾ぶく、入り江にかくる(隠る)
足元は、よろよろと
弱り伏したる、枕の夢
醒むると思えば
天女はそのまま帰らせ給う
夢中の瑞験(ずいけん)
有り難しとも、中々、申すばかりはなかりけり


二段目


その後、既にその夜も、明ければ
聖武皇帝は
御身に汗をかかせ給い
誰か(たれか)あると宣旨あれば
摂政関白、各々、御前に詰め給う
行基を召せとの綸言にて
急ぎ召され
夢の次第を、語らせ給えば
行基は、暫く考え
「是は、目出度き、御夢なり
その天女は、日本へ、福神の渡らせ給う、御知らせ赤き蛇は、魔王なり、
されども、御釼(おんつるぎ)にてせつがい(殺害)候えば、何の障礙も候わず
また、瑠璃の壺は
梵天より与え給う御くすり
それそれ、ご覧候え」と
蓋を開けて、ご覧ずるに
心及ばぬ香なり
これぞ、不老不死にて候
急ぎ、御用いましませ」と
やがて、御母上に、献げ給えば
御悩、へいゆう(平癒)なされしは
不思議なりける次第なり

その後、御門、
この度の行基が(じんこう)甚功に
菩薩号を下さるれば
行基有り難し、有り難しと
御暇を給わり
お寺を指して、帰らるる
去るほどに、聖武皇帝は
ある、夕暮れのことなるに
かの天人の取り落とせし
琵琶を弾じ
見し面影の忘られず
いとも、ゆかしき夢の内
まして、誠に会うならば
朕が、心はさぞあらん
思うに付けて、この琵琶は
在りし姿の形見ぞと
思う心に引かされて
一人、口説きておわします

ああら、不思議や
庭前(ていぜん)の輝く雲の内よりも
見し面影の天人
翳し(かざし)の袖も
匂やかに(におやかに)らいけん(来顕)あるこそ不思議なれ
かくて天女は、天皇のおわします
あい(間)の障子をさらりと開け
「そも、自らと申せしは
いつぞや、夢中に、まみえ参らせし
吉祥にてさぶろう(候)が
琵琶を忘れて候えば
さてこそ参りて候なり
返させ給え」
とのたまえば
御門、余りの嬉しさに
「さては、左様にましますか
まずまず、御入り候え」と
現(うつつ)ながらも、御手を取り
「さては、それ故、遙々下らせ給うかや
いと、易きことなれど
この国の習いにて
他国より渡りしもの
直ぐに返す法はなし
いかに、いかに」と仰せける
天女、重ねて、のたもうは
「こは、恨めしき仰せかな
自らも、母の形見に得たる琵琶
片紙も離さず持ちぬれども
いつぞや、外道の難に
心を取られ、忘れて候
それを、捨て置いては
母上様への不孝なり
返させ給え」と
涙ながらにのたまえば
御門、哀れと思し召せども
天女を、何卒、留めとう思し召し
「誠に、仰せを聞けば理なり
去ることならば
三年(とせ)が内
この地に留まり
朕に仕え給いなば
いかにも、返し申すべし」
天女も、今は力なく
『去りながら、これも母への孝なれば
三年(とせ)ありても
琵琶だに、取りて帰りなば
孝の道には、背くまじ』
「その義にてましまさば、仰せに従い申さん」と
のたまえば
御門、嬉しさ限りなく
「それは、誠か、なかなか」と
打ち連れ、内にぞ入り給う

これは、さておき、滋賀の都におわします
岩富の宮、郎等どもを近づけ
「いかに、汝ら、祈る験(しるし)も無く
この年月を送る事こそ
口惜しけれ
この上は、押し寄せん」
悪四郎、申す様
「それがしが存ずるには
御門の心を慰めんと
使いを立て
これへ御入りある所を
兵を大手口に隠し置き
中に包みて討ち奉らんに
何の子細が候べし」
岩富、げにもと思し召し
岩瀬の藤太に言い含め
やがて、使いを立て給う

去るほどに、御門には、
天女とあいなれさせ給い
今は、御中に、あめはの宮と申して
七歳にならせ給う
若宮一人おわします
御門、寵愛ななめならず

かかる目出度き所に
岩瀬の藤太、大魔の宮の御使いと
右の趣、申し上げる
堀川中将、承り
由をかくと、奏聞あり
御門、叡聞ましまして
いかがあらんと宣旨あり
時に、摂政、
「これは、心得難き御使い
大魔の宮とは
常に御仲、不和に渡らせ給う御身の
睦まじき御使い、おぼつかなし
この度の行幸は
薄氷を踏むに等し
まず、使いをば
何となく、御返し、しかるびょう」と奏聞あり
御門、叡聞ありて
「申す所は、これ、理(り)ありと言えども
もったいなくも、大魔の宮、現在の御兄
例え、御謀反(むほん)思し召し
麻呂は、無き身になるとても
悔やむべからず
もし、さも無き時は
後のお恨み、如何せん
とにかく、召しに従い、参るべし」と
急ぎ、勅答なされければ
藤太、喜び
御前を罷り立ち
近江を指してぞ帰りけり

さて、御前には、
藤原の経正(つねまさ)を召され
「今度、汝を召し連れん
守護仕れ、経正」
経正、畏まって
「若年なるそれがし
守護仕れとの綸言
末代の面目」と
お受けを申し、やがて、用意をなされけり
かくて、経正、
三人の若者を近づけ
「この度、近江への御幸(みゆき)
それがし、御供仕れとの御事
仮初めながら、大事の御幸なれば
左右に心を配られよ
去りながら、見えたる事も無き先に
率爾(そつじ)に事を見ずべからず」

金道丸(かなどうまる)は、嬉し気に進み出で
「さて、さて、何よりの事、出来抱いて候
何様、大魔の宮の御謀反(むほん)あらば
心のままに働き
腕の骨も固め、太刀のかね(金)をも試し申さん
あら、嬉しや」と
躍り上がりて、喜びけり
海道丸(かいどうまる)、これを見て
「いかに、金道、御辺は、
気ば、し違いて候か
この度の御供は、
事無きように平らかに静め
君の御供申すこそ
あんじゃ(案者)の勇姿(ゆうし)と言うべけれ
若き人とて、騒がしや」
金道丸、大きに腹を立て
「何、それがしは、若気(わかげ)故とのたまうかや
去りながら、御辺が様に
腰が抜けて、老け(ふけ)の業は存じも寄らず
髪を下ろし、山林へも籠もり給え」と
傍若無人に申しける
海道丸、今は、堪えかね
「何、それがし、腰抜けなれば入道せよ
いで、腰抜くるか、抜けざるか
そこを引くな」と跳んで掛かる
金道丸も飛びかかる
岩堂丸、中に隔たり
「こは如何に、方々
誠に竹馬の昔より
魚と水の如くにて
少しの意趣は、有るべからず
大事の御(おん)門出(かどで)
重ねて遺恨あるべからず」と
盃を取り出だし
「さらば、門出を祝い、君の御供申さん」と
既に用意をしたりけり
この者どもが心底を
貴賤上下おしなべて
感ぜぬ者こそなかりけれ


三段目


その後、藤原の経正は、
岩道を召され
「この度の御幸
仮初めながら御大事
あの、金道を連れ行かんは如何なり
もしも、事し損じて
天下の騒ぎとなりぬべし
なにとぞ、すかし、後に置くべきなり
先ず、金道召せ」と召され
「この度、連れ行くべきものなれど
国の押さえに、
汝ならで、置かん者なし
国に災い無き様に
事を計らい申すべし」
金道、承り
心には、染まねども
「ともかくも、御意(ぎょい)次第」と
頭(こうべ)を下げていたりけり
経正喜び、御座(ぎょざ)を立たせ給いつつ
頓て、(やがて)支度をしたりけり

これは、さておき、大魔、岩富
屈強の兵、八十三騎
大手の脇に並べ置き
御門の御入りましますを
今や、今やと待ちかけたり
御門は、御車(ぎょしゃ)に召され
経正主従(しゅうじゅう)御車の先に立ち
眼(まなこ)を配り見給えば、
待ち掛けたり軍兵(ぐんぴょう)ども
鬨の声をぞ上げにけり
その時、鉄扇(てつせん)、駒、駆け出だし
「是は、大魔岩富の臣下に、鉄扇と言う者なり
聖武帝は、そし(庶子)の身として
位に就かせ給う謂われなし
君こそ、黙りましますとも
この鉄扇は許すまじ
急ぎ、御門は、御自害ましませ
いかに、いかに」と呼ばわったり

経正、
「推参なる愚人かな
一天の君の御幸の先にて
馬上の雑言、奇っ怪なり」
と言いもあえず
馬のへつそく(束)むづと取り
ずんと差し上げ
力に任せて投げければ
大地の底に、へこみけり
是を、軍(いくさ)の初めとして
ここを先途と戦いける
大勢に無勢のことなれば
御門の御方(おんかた)
残り少なく討ちなされ
今は早、主従三騎(さんぎ)ばかりなり

その時、大勢、取り駆け
既に、危うし折り節
国にありし、金道は、
まっしぐらに駆けつけ
大勢を討ち散らし
経正(つねまさ)の御前に畏まり
「君は、御門を守護し
あれなる林にお忍び候え」
人々を落とし、敵の中へ割って入り
はらり、はらりと薙ぎ伏せたり
松岡平蔵(?不明)弓を番い(つがい)
射んとするを、つつっと入り
中に(ひきさけ)引き下げ、投げつければ
微塵となりて失せにけり
敵の大将見るよりも
「あれ程(てい)のわっぱ(童)に恐るる
見苦しや
五十も百も掛け合い
討ち取るべし」と下知すれば
畏まって、六七十、取り付いたり
金道、大儀、大儀と、似非笑い(えせわらい)
大手を広げ、か(?)いい抱き
一度に、えいと、投げければ、
らっか(落果)となりて失せにけり

岩富、今は、堪えかね
走り掛かって組給う
金道、
「これぞ、天の与えし、手強き人よ」と
大声上げて、競り合いけり
海道、岩道、駆け来たり
「いかに、金道
しっかと組め、両人、これに控えたり
馬手の足にて、跳ね倒せ
勢(ぜい)尽きたらば、変わらん」と
しきりに力を付けければ
金道、聞いて
「心急かずに、見給え」と
言うかと思えば
大わたし(大渡し)に引っかけ
かしこへ、どうと投げ
すかさず、首を打ち落とす
経正、立つより
「おお、仕たり」と
のたもう声の下より
この首、宙に上がり
「我こそ第六天の化身なり
重ねて本望達せん」と
火炎となって失せにけり
それより天下、安穏に
治る御代こそ目出度けれ

これはさて置き
都、内裏におわします
天女は、ありし雲井のあなたなる
天上界におわします
父上の御事を
御懐かしく思し召し
御涙(おんなみだ)諸共に
月日を送らせ給いしが
これは、七月七日の事なるに
天女、心に思し召さるるは
「自ら、故郷にあるならば
天道を祭り
心を慰めんに
今は、下界に交わり
八苦の道に、遠近の(おちこち)
物思うこそ、恨めしや
是も誰(たれ)、夫子(つまこ)のためと思えば恨みなし
御門にあいなれ、結ぶ契りに引かされて
十三年の春秋を(はるあき)送りたるは
夢なれや
何卒、天上に立ち帰り
父御の御目にかからんに
思うに甲斐なき、我が身や」と
口説き嘆かせ給いけり

かかるところへ、
若宮お出でましまして
「のう、母上様には
何を嘆かせ給うぞや」
天女、聞こし召し
「優しの若宮の問い事や
そも、自らは、この界の者ならず
あの雲井の上の者なるが
この十三年以前に
御門と、只仮初めの契りに
理無き(わりなき)御身を設けし故
子ゆえに迷う親の身の
今日よ明日よと日を重ね
今まで止まり候なり
今日、七月七日
天を祀る(まつる)日なる故
故郷の事、ゆかしさに、さてこそ涙が零(こぼ)るるぞや」
若宮は聞こし召し
「さては、左様にましますかや
せめては、宝の数々を
七夕に置かしあり
御心(みこころ)を慰め給うべし
御門もやがて帰らせ給わんに
のう、母上様」と仰せける
母上は、聞こし召し
「誠に嬉しきこと言うや
さあらば、御身の言う如く
天をすずしめ清しめ(すずしめ)
共に心を慰さまん
それにつけ、御身に尋ねたき事の有り
誠に聞けば、御父、御門には
天より降りたる琵琶ぞとて
御秘蔵ありと聞きつれど
いつしか、見たることは無し
御身、知ろし召されなば
少しのうち、見せ給え」
若宮、何の心もなく
「それこそ、易き御事なり
その琵琶こそ、左中将友成(さちゅうじょうともなり)に
密かに預け置かせ給う
自ら、お目にかけ申さん
まずまず、奥へ、御入り候え」と
さて、友成を召され
「汝、預かり申せし琵琶
少しの内、自らに得さすべし」
中将、承り
御諚、背き難く候えども
「その琵琶は、世の常ならぬ御事
この度は、お許しあれかし」と
謹んで申し上げる
若宮聞こし召し
「それは、汝が申さずとも
自らも存ぜしなり
君、御咎めましまさば
我、申し訳て得させん
早、疾く疾く」とありければ
友成、力及ばず
件の琵琶を取り出だし
あめはの宮に奉れば
若宮、ななめに思し召し
やがて、御母、天女に渡さるる
天女、あまりの嬉しさに
「あら、懐かしのこの琵琶は、
自ら、天上より持ち来たる
母の形見に候えども
御門に奪われ、是非なくこの地に留まりたり
故郷へ立ち帰り
又こそ参り逢うべけれ
母が恋しくあるならば
是を形見に残し置く」
と、玉の簪(かんざし)渡さるれば
若宮、驚き、
「それは誠か、恨めしや
さては、謀り(たばかり)
この琵琶取り返して
帰らせ給わんとはとや
それとも知らで、自らが
心の内こそ、儚なけれ
父御の帰らせ給いなば
心に任せ給えども
この度は、思し召し止まり給われかし」
放ちはやらじとのたまいて
すがりついてぞ泣き給う
さすが天女も
思い定めし道なれども
今更、別れを悲しみて
とかくの事はのたまわで
泣くより外のことは無し
「いやいや、かくては
大宮(おおみや)の人の見とがめては叶わじ」と
御涙の暇より
虚空を招かせ給えば
白雲ひと叢(むら)舞い下がる
天女、これにふわと乗り
雲井遙かに上がらるる
若宮、夢とも弁えず(わきまえず)
「のう、恨めしの母上」と
天に憧れ、地に伏して
悶え焦がれて泣くばかり
その時、母上
遙か雲井に座し給い
「おお、理なり
親子は、一世と申せども
二世も三世も、巡り会い
憂きも辛きも晴らさんぞや
父御の帰らせ給いなば
御身の科の無き由を
この巻物に、記してあり
尺のかもじに取り添え
是を形見に上げ給え」と
雲の内より落とさるる
若君は聞こし召し
「由無き母の御形見
父御の帰らせ給うとも
何の面目候いて
御門の御目にかからんや
かえって自ら、その琵琶を
母に与えしと
いかなる咎めが蒙らん」と
流涕焦がれ無き給う
思い切らせ給う母上も
ただ呆然と、涙に暮れて立ち給う
かかる所へ、おちや乳母(めのと)
若宮の御入り遅しと、我も我もと来らるる
天女驚き、名残も今は是までと
のたもう声も、かすかに聞こえ
花の姿は、ちりぢりと
露ばかりなる幻の
夕暮れ月と諸共に
雲隠れして光りも無く
形は、消えてましまさず
親子の仲の御別れ
哀れともなかなか申すばかりはなかりけり


四段目


その後、御門は
経正主従の働き故
危うき難を逃れ、臨御(りんぎょ)あり
皆々、御迎えに出でさせ給い
これは、これはとばかりなり
かくて、御門の宣旨には
「今度(このたび)、経正が働き
とこう申すに及ばれず」と
肥前、播磨を給わり
則ち、大織冠(たいしょくかん)になされける
又、三人の若者には
一万丁(町)を給わりけり
主従の人々、有り難し、有り難しと
人々に礼儀を述べ
本国指してぞ、帰らるる

これはさて置き
元正(※皇后)は、雨は(あめわ)の宮を伴い
急ぎ御前に出で給う
御門、お喜び、浅からず
それこなたへと、玉座に招し(しょうし)奉れば
いたわしや若宮
何とも、物をのたまわず
さめざめ、泣いておわします
御門、ご覧じ
「こは、心得ぬ有様
何故、嘆き給うぞや」
その時、女院、御涙、諸共に
初め終わりを語らせ給えば
御門、夢とも弁えず(わきまえず)
はっと驚き、御心(もこころ)は堰暮れども
さすが、御母の御心を思し召し
差し俯き(うつぶき)ておわします
その折節、女房達
天女の御形見の品々、献(ささ)ぐれば
いとど思いは、深草の
露とも消えて、別れなば
定まることとも思うべし
さすが、子のあるその中を
振り捨て行き、生き別れ
この若宮は、天女の子にては、あらざるや」と
現(うつつ)の人に言う如く
かき口説きてぞ、嘆かるる
その時、摂政、申さるるは、
「御落涙は、げにもと存じ候えども
帰らせ給わぬ御ことなり
先ず先ず、御入りましませ」と
奏聞あり
御門、誠にこれは誤りと
皆々、暇給わりて
御寝殿に入り給う

ここに哀れを留めしは
雨わの宮にて、留めたり
つくづく、思し召さるるは
「我、十全の身と生まれど(うまるれどカ)
未だ、八苦は免れず
又、父上の御嘆き
我が身の上に積もり来て
いとど思いは、真澄鏡(ますかがみ)
曇り果てたる娑婆世界
迷いの雲に遮られ
憂き身の末は沖の石
乾く間もなき我が袖を
絞るばかりの小夜衣
所詮、身を墨染めの
出家沙門の姿となり
天上へ尋ね行き
母のお目にかかりつつ
叶わぬまでもこの地へ誘い奉り
父上の御嘆きを留め得させん
げにや誠に、美濃の国、菩提山には
(※岐阜県不破郡垂井町:花山院菩提寺)
からら仙人(?)まします由(よし)
この仙人を頼み、自在を受け
天上へ出生せばや」と思し召し
一首に書くばかり

垂乳根(たらちね)を
尋ねて行かば、天の原
月日の影の
あらん限りは

と、か様に連ねましまして
只一筋に思い切り
友成、一人召し具し
指もいみじき御姿(?)
今日は又、引き替えて
賎が姿に身をやつし
心細くも只二人
密かに内裏を忍び出で


そなたの空を三笠山(※若草山)
梢を伝う猿沢の、池の鮒こぞり(挙り)
佐保の川を打ち渡り
山城、お井手(おいで)の里(京都府綴喜郡井手町:玉水)
玉水に影映る面影は
浅ましき姿かな
男山に鳴く鹿は(男山:京都石清水八幡宮)
紅葉枕に伏見とや
寝ては夢、醒めては現、面影の
忘れ方無き母上の
後を慕うて、大津の浦
山田、矢橋(やばせ)の渡し船
焦がれて物を思う身の
あれに見えしは、志賀の浦
浪寄せ掛くる唐崎の
これも名に負う、名所かな
粟津が浦を行き見れば
石山寺が鐘もかすかに耳に触れ
なをも、思いは、瀬田の唐橋を
とんとろ、とんとろ(とんどろカ)と打ち渡り
山田下田を見渡せば
さもいつくしき早乙女(そうとめ)の
早苗おっとり
田歌をこそは、歌いけれ
田を植え、早乙女
植えい植えい早乙女
五月(さつき)の農(のう)を早むるは
かんのう(勧農)の鳥、不如帰(ほととぎす)
この鳥だにも、さ渡れば
五月の農は盛んなり
小草、若草、苗代を
打ち眺めつつ行く程に
御代は曇らぬ鏡山
まぶり畷(なわて)を遙々と (※馬淵:まぶちカ:近江八幡市)
摺り針山の峰の松
分けて行くこそ物憂けれ
愛知川渡れば千鳥立つ
寝ぬ夜の夢は、頓て(やがて)醒ヶ井
番場と吹けば袖寒や
寝物語を早、過ぎて
不破の関屋の板庇(いたびさし)
月洩れとてや、まばらなる
垂井の宿に差し掛かり
行は程なく今は早
音のみ聞くべし
菩提山に着き給う

若宮、仰せける様は、
「汝、急ぎ、都へ帰り
御父御門に、我が身の上を語るべし
それを背くものならば
七生までの勘当」とありければ
友成、力及ばず
「あかぬ(厭かぬ)は君の御諚かな」と
涙に暮れていたりけり
若宮、ななめに思し召し
「さらば、形見を送るべし
まず、この太刀と鬢(びん)の髪
父、御門に奉れ」
友成も力なく御前を立ち
涙ながらに別れ給いしが
又、立ち帰り
するすると走りより
互いに手に手を取り組んで
ほろと泣いては、さらば、さらばの暇乞い
去れども叶わぬことなれば
泣く泣くそこを立ち退きて
都を指して帰りける
この人々の御(おん)別れ
哀れとも中々申すばかりはなかりけり


五段目


去るほどに、なおも哀れをとどめしは
内裏におわします御門
若宮、見えさせ給わぬ事
深き思いの種となり
半死の床に伏し給う
御母初め、臣下大臣
数の薬酒を集め
色々いたわり給えども
更にその甲斐なかりけり
かかる所に、御乳母(おんめのと)友成
参内仕り
若宮の御形見、差し上ぐれば
御母、聖武帝の御枕に近づいて
「これ、これ、叡覧候え
若宮の形見を持ち
友成帰り候」と
仰せも果てぬに、
御門には、重き御具(ぎょぐ)、しょうしょう(少々)上げ
「何、若宮方より、形見の来(き)候とや
あら恨めしの、若宮」と
御形見を胸に当て、顔に当て、御落涙は限り無し
ややありて、御前に友成を召され
「さてさて、汝は
若宮を、いづくへ捨て、帰るけるぞ
后(きさき)には捨てられ
一人の若宮には、別るる事
一方ならぬ我が思い」と
口説き立ってぞ泣き給う
御いたわしや御門には
御悩(ごのう)しきりに重りつつ
今を限りと見え給い
御目を開かせ
「今生の名残もこれまでなり
暇申して御母上様
なつかしの若宮」と
ついに崩御ましませば
母上、臣下大臣
これはこれはとばかりにて
しばし涙は堰あえず

かかる折節
不思議やな庭前に
紫の雲たなびき
その内に御門の御姿現れ
「いかに、御母
我、本地は天照太神(アマテラスオオカミ)なり
衆生の貧苦を助けんため
今、聖武とは、出生せり
日本へ福神(ふくじん)の縁を結ばんためなれば
必ず嘆く事なかれ
又、若君は、衆人愛敬(しゅにんあいぎょう)、守り給う愛染明王なり
やがて、近江の竹生嶋に
弁財天と言う福神を
友して来給うべし」と
新たに託宣ましまして
身は、らい(雷)と現れ
光を放ち、上がらるる
各々、かかる奇瑞を蒙り上(は)
御嘆き有るべからず
御母を諫め
かくて月日を送らるる

去るほどに、美濃の国
菩提山におわします
雨わの宮
昨日、今日とは申せども
三年(とせ)が間
仙人に仕えおわします
ある時、仙人の御前に出で給い
「我、既に、王位を出で
三年と覚えたり
術の法を、御許しあれかし」と仰せける
仙人、聞こし召し
「親孝行の志
この上は、我、打ち連れ
天上界に参るべし」と
虚空を招かせ給えば
金蓮華(こんれんげ)降り来たり
カララの前に止まりけり
仙人、ななめに思し召し
「御身は、この蓮の軸に、取り付き給うべし」
仙人は、金蓮華に乗り給う
さて、若宮は、蓮(はちす)の軸に取り付いて
宙を飛び行きなされしは
誠に不思議に見えにけり

掛かるところへ天の邪鬼(あまのじゃく)
この由を見るよりも
刹那が間に飛び来たり
「それに見えしは
美濃の国、菩提山に住み給う
カララ仙人と覚えたり
見れば、下界のうろの身を
天上界へ連れ行くか
我、このところの押さえとして
左様の風情の者
検め(あらため)申すなり
これより上には、叶うまじ」
仙人、聞こし召し
「推参成る言い事や
日本の御主(おんあるじ)
天照(あまてる)御神(みかみ)の御流れ
聖武の一の宮をば
知らざるか
何の子細のあるべき
そこ退け(のけ)」
と仰せける
天の邪鬼、腹を立て
「例え、左様に有るとても
遙か下界の大凡夫
只今、思い知らせん」と
魔法を行い、そばなる岩を打ち叩けば
不思議やな
若宮が取り付き給う
蓮(はちす)の茎、ぼっきと折れ
若宮は、遙かの谷底へ
落ちさせ給う
されども、その身の子細はなかりけり
外道は喜び、
「さも候らわじ」
と、行方知らず失せにけり

いたわしや若君は
遙かの雲を打ち眺め
昇るべき、頼りなし
その時仙人
「心やすく思し召せ
  さらば、術を顕わさん」と
仙人は東方に向かい
「南無、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)
 北方、金剛、西方に大威徳、南方にぐんだり(軍茶利) 中央に大日、
臣下、信者
とくたい(特大)智慧」と祈らるる
有り難や、西方より
光明の光、射すぞと見えしが
件の蓮華の茎よりも
蓮(はちす)の白糸、ちらちらと
天和の御門へ打ち掛かる
若宮、心得給い
「南無、梵天、帝釈、力を添えさせ給え」と
心中(しんちゅう)に祈念あり
かの糸にすがり
たぐり上がらせ給い
南天竺(なんてんじく)へ急ぎけり
さればにや、寸善尺魔(すんぜんしゃくま)の習いとや
第六天の魔王へ天の邪鬼、飛び来たり
「さても、カララ仙人
雨はの宮を伴い
宇賀神の一人娘、
弁才天女を、迎えに来たり候を
それがし、魔法をもって
下界へ落とし候えども
また、仙術にて、なんなく渡り候なり
彼を昇し(のぼし)申しては
日本富貴(にほんふっき)の国となり
衆生の自力強くして
日本の手に入れるは
なかなか叶い候らわまじ
御思案あれ」と申しける
魔王、大きに、怒りをなし
「我が一念、
大魔王岩富と生まれ
地獄をもって
日本を覆さん(くつがえさん)と
企み(たくみ)しに
無下に帰りてあるをだに
世に口惜しく思いしに
又、雨はの宮が来るとや
出で、出で、掴み(つかみ)拉ぐ(ひしぐ)べし
まずまず、勢を揃えん」と
やがて用意をしたりけり

されば、天の邪鬼、乱を喜ぶ曲者(くせもの)にて
又、日本伊勢の国に飛び来たり
「さては、雨はの宮は
カララを連れて、天上にありしが
第六天の障礙により
危うく見えさせ給うなり
急ぎ、御加勢有るべし」と
上聞つけてぞ、飛び失せけり
有り難くも天照太神は、
春日、住吉、正八幡
何れも、神前に招かれ
「かつうは、日本のなおり(名折り)
尊(みこと)を召し
(※素戔嗚尊(天照の弟:すさのをのみこと)
か様か様の事なれば
汝、当国の神社を集め
急ぎ、天上いたせ」
畏まって、やがて、社(やしろ)に立ち帰り
片紙の間に触れ給う

出で、そのころは、
天平元年(729年)、申(さる)の十月(神無月)朔日
いつもの社(やしろ)(※出雲大社)に詰め給う
かくて、尊(みこと)は、
神々に対面あり
「この度、雨わの宮
しきかい(色界)の弁才天
我が朝へ迎えんと欲する所に
第六天、障礙をなす
急ぎ、追伐(ついばつ)申せとの
天照(あまてる)御神(みかみ)の勅を受け候なり
誰か(たれか)、神の威勢を催さるべし」

飯縄権現承り
一々、次第に、印給う
まず、東国の境に取りては
箱根の権現、三嶋の明神
信濃の国には、戸隠の大明神
越後に弥彦の権現
上州に榛名権現
武蔵に府中六社の大明神
相模に不動明王(※大山不動)
阿波に成瀬の明神
(※成瀬神社:徳島県那賀郡那賀町成瀬字成瀬下2番)
上総に埴生の明神
(※上総国埴生郡玉前神社)
大鷲神社
(※魂生大明神:千葉県印旛郡栄町安食字谷前3620-1)
奥州に塩釜明神
(※宮城県塩竈市:陸奥国の一宮)
常陸の国には、鹿島、かんとり(香取)、うきす(息栖)の明神
その外の神々は、
申すも言葉に述べ難し
都合、六万八千八社の神と、述べ給う

尊(みこと)、御喜び限りなく
「それがし、軍(いくさ)の法を申さん」と
金の采、おっとり給い
「それ、神国の習いにて
みたれに(乱れ)かくる(駆くる)事はなし
調子を取って楽(がく)を合わせ
駆け引くべし
敵に駆けよと思うには
どうどうてんと打つ太鼓
又、引けよと知らするその時は
てうまん(兆万)の鐘突かせん
魔王、大川(※天の河)に陣取らば
味方、雲中に盾(たて)を控え
神風を吹き立てよ
一騎に三騎、五騎に十騎、ひっ組み突き伏せ切り払え
御代、安全の神いくさ
豊葦原(とよあしはら)の中つ国
開け初めし神所(しんしょ)
などかは、尽きせざるべきぞ
勇めや勇めや、方々」と
南天竺へぞ向かわれける
そさのを(素戔嗚)の君慮(くんりょ)
有り難しともなかなか、申すばかりはなかりけり
 

六段目

 

去るほどに、仙人は
なんなく、弁才天に着き給う
若宮を、とある所に下ろし置き
「あれに見えし林の内こそは
母上のまします、浄土ぞや
我こそ、宵の明星」と
虚空に上がり給いけり
若宮、虚空を三度、伏拝み
さて、中門を見給えば
十六七の童子、二人
白馬を引かせ来たり
立ち寄り、問い給う
「この国の弁才天は何処(いづく)ぞ
自らは、日本の主、聖武帝の宮
雨わの若」とのたまえば
「さては、左様に候かや
我々こそ、弁才天に仕え申す者
君の渡り給うを
弁才天、知ろし召され
御迎えに参り候
この白馬に、召され候え」
と乗せ申す
刹那が間に内裏に着かせ給い
弁才天に対面あり
これはこれはばかりにて
喜び、涙は堰あえず
二人の童子、見参らせ
「誠にいたわしき御風情
  とかく、父、宇賀天王(うがてんおう)へ
対面ましまして、御そせう(訴訟)あるべし」
若宮、なのめに思し召し
母上諸共、やがて御前(ごぜん)に出で給う
天王、対面なされ
「汝、知らずや
釈尊、霊鷲山にて約束なされしは
末世に及び、下界にひとつの嶋あるべし
行基は、仏法を広め給え
愛染(あいぜん:愛染明王)は愛敬(あいぎょう)をふぞく(付属)あるべし
弁才天は、貧苦を助けんとの
ご契約にて候ぞや
時こそ来たれ
日本へ立ち帰り
衆生を救い給うべし
我も弁才天を伴い
後より、飛行申すべし
急ぎ、帰らせ給うべし」
若宮、有り難しと
十五童子を打ち連れ
日本を指して急がるる

急がせ給えば、程もなく
天の川に押し出す
かかる所へ第六天は
眷属、数多(あまた)打ち連れ
水中より、じゃまん(邪慢)の鬨(とき)をぞ
上げにけり
十五童子、船梁(ふなばり)に立ち上がり
「おのれらは、
この川の阿修羅どもにて
宝を望みに来たるかや
そこ、立ち去れ」と怒らるる
魔王、聞いて
「推参なる、雑言(ぞうごん)かな
我こそ、第六天の魔王なり
日本の主、雨はの宮
弁才天を打ち連れ上がると聞くにより
止めんために待ち掛けたり」
童子、聞こし召し
「さては、第六天にてありけるか
出で、物見せん」
と怒り給う
外道ども、是を見て
物々しやと、かけ合い
ここを、先途と戦いける
されども、十五童子
神通飛行の化身の釼に
外道数多(あまた)打たれけり

第六天、怒りをなし
「浅ましの汝ら」と
虚空に上がると見えしが
空は、明火(みょうか)と燃え上がり
火の雨、しきりに降り下れば
防ぐべきにあらずして
既に、危うく見えし時

若宮、
「南無、日本の神明
力を合わせてたび給え」と
のたまう声の下よりも
俄に神風、吹き来たり
大雨、車軸を流し
火炎は消えてなかりけり
その中に
ようまん(?)外道
鉾(ほこ)抜き持て来るを
諏訪の明神、かい掴んで(つかんで)おっ伏せ
首、ねじ切って、捨て給う
こくどう(極道)外道、跳んで掛かるを
みるめの明神(※敏馬神社)かん取の明神(※香取神宮)
折り合い、一々、首を刎ね給う

第六天、怒りをなし
一文字に駆け寄るを
御門(※尊)、やがて、組合い
かしこへ、おっ伏せ給いしが
陽炎(かげろう)の如くに消え
後ろへ巡るを
鹿島の明神、かい掴んで
既に、害し給いしを
雷(いかずち)の神(しん)、押しとどめ
「この度は、それがしに、御預け候え」と
申させ給えば
尊(素戔嗚尊)不憫に思し召し
「その義ならば、ともかくも」と
御許しあれば
魔王、有り難し、有り難しと
行方知らずになりにけり

さて、尊(みこと)は、雨はの宮に対面あり
弥(いや)、衆生を守るべしと
御暇(いとま)乞いなされつつ
日本に飛びたもう
若宮も、葦原(あしはら)国へぞ急がるる

さて、日本におわします
行基菩薩は
元正(げんしょう:皇后)の宣旨を受け
竹生嶋に入り給いしに
頭(かしら)に白蛇(はくじゃ)を捧げし者
「如何に、行基
智慧無うして、この山の主には
成り難し」
と申しける、行基聞こし召し
「さ言う、汝は、何者ぞ
先ず、汝が、智慧を顕すべし」
男、聞きて
「それこそ、易き望みかな
出で出で、顕し見せん」と
雲中(うんちゅう)に向かって
七宝(しっぽう)と言う文字を書き給えば
不思議や、宝珠の玉、七つ現れたり
行基、心得たりと
御経箱にて、件の玉を受けさせ給い
「即身七仏」
と唱え給えば
空より紫雲が下がり
箱に移ると見えしが、
星仏 (日生仏)と現じ給えり
件の男、
「我こそ、昔の雨はの宮
末世の衆生に、福を与え
貧苦を救わんため
天竺より、福神(ふくじん)を伴いたり
この嶋は、金輪際より
出現いたせし山なれば
この嶋に、あと(迹)をたれ(垂)
慈悲、あいみん(哀愍)のなし給う
我、愛染明王、仮に雨はの宮と生まれたり」と
たちまち、姿を変え、消すが如くに失せ給う

行基、有り難しと
御後を伏し拝む
かかる所へ、元正より
勅使立ち
「如何に、行基
去る頃、この山に
雨わの宮、福神(ふくじん)を伴い、渡らせ給う
御名を弁才天
これ、則ち、吉祥天女(きちじょうてんにょ)なり
また、若宮は、本地、愛染明王なり
八まん(幡)御つけ(お告げ)なり
さるによって、この嶋を
建立あるべしとの御事にて
これまで、参り候」
と申しければ
行基も同じ、告げをぞ語らるる

その折節、水中に光り差し
虚空に音楽、聞こえ、花降り
十五童子の御姿、拝まれ給えば
辰巳(たつみ)の方より、弁才天
白蛇に召され
光を放ち、御幸(みゆき)あり
御手の宝珠は、めくる光に
召したる白蛇が、頭をさし上がり
尾を巻きて、四足にて、
雲をそば立ち、見えにけり
その時、弁才天
「めづらしや、行基
我、この嶋に迹を垂れん(あとをたれん)
只一心に、己(つちのと)の巳(み)の日を待つ輩(やから)
三日の内に、大長者となさん
これを、衆生へ示すべし」と
則ち、無量寿仏(阿弥陀仏)と拝まれ給えば
白蛇(はくじゃ)は、観音・勢至(せいし)と成り給う
それより嶋を建立あり
千秋万歳のお喜び
目出度しともなかなか、申すばかりはなかりけり

 

 

右は天満八太夫・重太夫正本なり
大伝馬三町目 
うろこかたや板