説経正本集 第三(34)
しだの小太郎

天満八太夫
宝永(1704~1711年頃)
鱗形屋孫兵衛新板

 

参考:幸若信田
幸若小八郎大夫
慶長十六年

 

初段

 

既に、承平は、七年にて改元す

天慶九年に代わる天暦十年(956年)きのとのう(乙卯)

弥生の末つ方に、

相馬殿の姫君を小山殿(おやま)に送らるる。
行重(ゆきしげ:小山の太郎行重)は、
迎えて、傅き(かしづき)相馬殿の御跡を
良きに弔い給いけり

信田(しだ)にまします御台所、
このよしを聞こし召し
「優しき人の心根や
如何に浮嶋(浮嶋大夫:相馬家家臣)
相馬殿の御最期の御時
思し召し忘れさせ給いけん
多き所領のその中に
姫に、一所も譲らせ給わず
婿の思わん所もあり
信田の庄を半分、小山殿に得させなば
信田が由々しき後ろ盾
じょ(助?カ)の郎等、
百騎二百騎、頼まんより
小山殿こそ、誠の先(せん)には立つべけれ
大夫、如何に」
と仰せけり

浮嶋は、ご返事も申さず
差し俯ぶいて、居たりしが、
ややありて、
「如何に、剛の殿の、悪しき御計らいを
仰せおかれ候べき
その上、弓取りの妻女は
姫はついには、他人となり
婿は、居城(いじょう)、近からず
移れば、変わる世の習い
人には、貪欲、虚妄(こもう)とて
欲心、内に含めば
親しき中も、疎(うとう)なり候
他事無く、思し召されなば
折々の引き出物に、宝は尽くさせ給うとも
所領においては、一所も
譲らせ給うべからず」
と、以ての外に申して、
御前を立ち去りけり

御台、聞こし召し
「いつしか、相馬に過ぎ遅れ
内の者さえ、軽ろしめて
おかしき者と思わるる
果報の程こそ、浅ましけれ
世に有り顔に
家を持っても益(えき)なし」と
信田殿に暇(いとま)を乞い
遁世(とんせい)せばやと、口説かるる

信田殿、
「明日は、何とも、ならばなれ
一人まします母上の御意(ぎょい)を洩れじ」
と、信田の庄を半分、
母上に参らする

御台、なのめに思し召し
小山の太郎へ送らるる
小山、喜び
ひとつは婿入り
又、喜びの所知入りとて
姫君諸共、信田の館へ移らるる
相馬先祖  の郎等ども
日々に出仕申しけり
中にも、浮嶋父子六人は
折々ばかりの出仕にて
さながら、御前に詰めざれば

御台の御意も薄くなり
「何はにつけて、昔より

物憂き事の重なれば
末の世も、危うけれ
逃れざらんもの故に
しやあ、いつまで」と
思い切り
下の河内に引きこもり
隠居してこそ、居たりけれ

御台、この由、聞こし召し
「浅まなる、浮嶋かな

大夫)を郎等に持たぬ者は、
世に済まじや
小山だに、ましまさば
何の子細あるべき」

と、思し召され候えども
浮嶋は、隠居しぬ
信田殿は、幼稚なり
家に伝わる宝物(ほうもつ)
小山の太郎に預けらる

行重(小山)、人無き所にて、是を見るに

「何、信田、玉造、東条は、
八万町の所なり
あら、夥しや(おびただしや)
このうち、僅か、一万町、給わりてだに
何、不足もなかりしに
まして、残り七万町
常陸、下総(しもうさ)の大炊(おおい)の介となるならば
我に増したる、ぞくしょう(族将)の
国に二人とあるべきか」

と、大欲心ぞ出できけり

安堵を申さんそのために
熊野詣に事寄せ
忍びて、都へ上がりけり

都になれば参内(さんだい)し
事の由を奏聞ある
内よりの宣旨には

「相馬が跡を継ぐ者は
何者なるぞ」
小山、謹んで、
「実子にて候」
と、証文正しく献げければ
重ねて、薄墨、下されける

小山、喜び、御前を立ち
本国へぞ下りける
国にもなれば、
「難しきに、信田殿、御台所を
切り捨てんと、思えども
それは、流石なり
両国を払わん」

と、思い、郎等どもを申し付け

『両国には、叶うまじ』と
追い立ての使い立つ

御台聞こし召し
「小山殿のご心中には、

如何なる天魔が入り替わり
か様に、物に狂わするぞ
浮嶋が言葉の末
思いやられて、物憂や」と
流涕焦がれて嘆かるる
去れども、小山
情けを捨てて振る舞えば、力及ばず
信田殿二人、手に手を取り
泣く泣く、御所を出でらるる
「今日、立ち出でて
又、帰るべき道だにも
別れとなれば、物憂きに
今日を限りにて、帰らん事も難からめ」
と、行くも帰るも、諸共に
脆きは、今の涙なり

去れども、甲斐の国、板垣の里にて

知る者ありて、尋ね行く
名は、板垣と聞けれど
尋ぬる人は跡も無し
詮方なくて、人々は
ある荒ら屋(あばらや)に、
宿借りてこそおわしけれ

初めたることにはあらねども
頼もしきは、人の郎等なり
相馬先祖の郎等に
さるしま(猿島)兵衛
村岡五郎、岡部の彌太郎
田上の左衛門
この人々を先として
以上十一人
君の御跡(おんあと)を慕い
板垣の里にてあい奉り
悦事は限りなし

中にも、猿島兵衛、申しけるは
「さても、我等の祖父 (おおじ)
君臣の契約、仕り
君も我等も三代なり
承平(しょうへい)の合戦、始まりてこの方
一度も不覚を取らざりしに
君も若(にゃく)にましまし
我等も、若き者なれば
小山殿に、卑しめられ
無二(むに)の本領、
召し上げらるる無念なり
いつまで、かくて、堪うべき(こらうべき)
敵(かたき)は例え大勢なれども
無勢で、計らう(はらう)、謀(はかりごと)
夜討ちにしくこと、よもあらじ
元より我等、案内者

三方より火を掛け
一方より切って入り
千騎万騎の中なるとも
小山と組まんことどもは、
何の子細のあるべき」
と、手に取るようにぞ申しける
岡部の彌太郎、これを聞き
「詮無い殿原や
理を持ちながらの荒詮議
一問答、二問答、三問三度(三答)
番って(つがって)後

負けを得たる沙汰をだに
越訴(おっそ)付款(ふかん)と名付けつつ
 又、取り立てるは、沙汰の法

ましてや、これは、(※一度も)せざらぬ沙汰
むくう(報う)に、申し直しをしつつ
給わる所の安堵なり

あれは、正しき(まさしき)たせう(?そしょう:訴訟)
これは、相馬の御子とは
世にも隠れのあるべきか
例えば、証文、彼方(あなた)に有れども
盗み取られし所見を立て
などかは、取って返さざらん」

と、理を争いて(すまいて)申しければ
人々、これに投じつつ
君の御供、仕り
都を指して上りける
この者どもの心中
誉めぬ者こそ、なかりけり

 

二段目

 

その後、小山の太郎は
郎等どもを近付け
「信田を、都へ上ぼせ立てては、

悪しかりなん
追っかけて、討たん」

とある

横須賀、承り
「御諚にて候え共
理の無ければこそ、
討ったれど
上の聞こえも如何なり
只、信田殿を、
調伏(ちょうぶく)なされご覧ぜよ」

小山、げにもと思い
鹿島の神主へ使い立て
神主、御館(みたち)に入り給う

小山、立ち出で、様々にもてなし
神主の袂(たもと)を控え

「御身を申し入るる事、別儀無し
信田を調伏してたべ」
と、頼まるる

神主、驚き
「天地長久、御願円満(おんがんえんまん)
息災延命とより(※祈るより)
別に秘術だ候わず
調伏仕らん事
(みょう)の照覧も恐ろしや」
と、座敷を立って、逃げんとす
小山、続いて、ずんと立ち
引き止めて

「やあ、一期(いちご)の浮沈(ふじん)
身の大事を
有りの儘に語らせて
否(いな)とは、如何(いか)で、言わせじ」
と、腰の刀に、手を掛くる

神主、千法(せんぽう)尽き

御請けを申す
俄(にわか)の事なれば
吉日、選むまでに候わずと
やがて、壇をぞ、飾りけり
供物(くもつ)の様(よう)こそ恐ろしけれ
乳木(にゅうもく)に山空木(やまうつぎ)

しゃすいの水に,井守(いもり)の血

供具(くご)には、羊(ひつじ)の飯(いい)を盛り

飲食(おんじき)日々に替わり
初め七日(なぬか)は、地蔵の方(南向き)
二七日は、阿弥陀の方(北向き)
三七日になりぬれば、取って押し伏せ
内縛(ないばく)外縛(げばく)の印を結んで
をつさま(追っ様)明王、金剛童子の
さつく(索)に掛け

攻めに攻めてぞ、祈られける
道理なれば、験(しるし)無し
行者、面目(めんぼく)失い
二七日ぞ、加持しける
オン コロコロ センダリマトウギ
ソワタヤウンタラタ カンマン」と

攻めに攻めてぞ、祈られける
数珠の緒、切れて、退きければ
五鈷を持って、膝を叩き
三鈷を持って、胸を叩き
独古を持って、脳(なずき)を打ち

頂きを撃ち破り
頂上より、零る(あゆる)血を

不動の利剣に押し塗って
「これは、調伏人の身の血なり」と
観念し、天地を響かし、祈られける
余りに強く攻められて
五大尊は振動し

金剛夜叉は矛(ほこ)を振り

大威徳の乗り牛が、角を振って吠えければ

一法は成就したりとて
壇を破らせ給いける

祈る験の現れて
信田殿には、負い給わで
御台所、風邪の心地ろ、の給えども
行かでは、叶わぬ道なれば
近江の国、番場の宿にぞ着かれける
とある所に宿を取り
御台所を入れ参らせ
前後に並み居て、労れども
次第次第に重りこそすれ
験(げん)は無し
今を限りと見えし時
重き枕をようよう上げ

「あら、苦しや、殿原
今を限りと覚えたり
自ら空しくなるならば
兎にも(とにも)如何にも
信田殿を、良きに見立て、得さすべし
何とて世の中の
思う様には無きものかな
御身のことのみ、如何にぞやと
これのみ、黄泉路(よみじ)の障り(さわり)なり
ああ、さて、名残惜しの、信田殿や」
と、これを最期の言葉にて
明日の露とぞ消え給う

信田殿、殿原、同音に
泣くより外のことは無し
労しや、信田殿
御死骸に抱き付き

「こは、恨めしき、母上
御身の事のみ思いてこそ
遙々と上りつれ
かく有るべきと、ごしたらば

殿原と諸共に、
小山が館に乱れ入り
兎にも如何にもなりなんもの
つれなくも振り捨て
なんとなれと思し召す
我をも共に
連れ行かせたび給え」
と、御死骸を押し動かし、押し動かし
消え入る様にぞ泣かれける

殿原、立ち寄り
「生死無情の世の習い
まずまず、嘆きを止め給え」
と、御死骸を奪い取り
野辺の煙となしにけり

労しや、信田殿
御思いの積もりけん
前後も知らず、伏し給う

十一人の殿原
「信田殿の御果報
これまでなりと、覚えたり
いつまで、付き添い奉り
京よ、田舎と、辛苦(しんく)せん
又、余の人(※外の)を頼まばこそ
弓矢の傷ともなるべけれ
これを、菩提の種として
世を厭わんと思う」
とて、忍び、忍びに元結い切り
御枕元に差し置き
「お名残惜しゅうは候え共
心ばかりの暇乞い」
ちりぢりになりにけり

信田殿、御目を醒まさせ給い
「いざ、人々、嘆きても甲斐なきに
都へ上らん」
と、有りけれども
ご返事申す者も無し
こは、不思議やと
かっぱと起きて見給うに
殿原は、無くして
空しき髻(たぶさ)ばかりぞ残りける
「ええ、つれなくも、捨てたるよな
最早、憂き世に有りて
益無し」
と、腰の刀に手を掛け給う所に
亭主、慌てて、飛んで出で
押さえて、事を尋ぬるに
初め終わりを語らせ給う

亭主、承り
「かほどの道理を持ちながら
何故(など)や、ご沙汰ましまさぬ
某、都まで、送り届けて参らせん」
と、馬に打ち乗せ奉り
都を指してぞ上り(のぼり)ける
都になれば、五條辺りに宿を借り
沙汰の法を教え申し
亭主は、我が家に帰りける

労しや、信田殿
只一人、すごすごと
都に日をぞ送りける
片輪車のお(緒)の切れて
やる方も無き御風情
道連れ、頼まん方も無し

「所詮、常陸へ下り
暇(ひま)を窺い
小山を一刀、恨みんものを」
と思し召し
珍しからぬ、常陸の国へと下らるる

日数、積もりて、小山が門外に着き給い
「信田なるが、まず、平、降参。」と
の給えば、小山へかくと申しける
行重、聞きて
「おお、心得たり
我を、一刀、恨みん為よな
打ち捨てんは易けれども
こうにん(降人)を討つ法なければ、助くるなり

あれ、計らえ」
「承り候」と
若党ども、門より外へ追い出だす

詮方なくも、信田殿は、
父の御墓へ、詣であり
花水を手向け
口説き事こそ、哀れなれ

「果報少なき某を
浮き世に残し置き給う
上品上生の台(うてな)に、

迎えさせ給わずや」
と、嘆き沈ませ給いけり
かくても、あるべきことならねば
御墓を、泣く泣く、下向ある

ここに、太刀、脇挟んだ男の子(おのこ)
編み笠、深々と、引き被うて(こうで)
怪しき様(さま)に行き合うた(?り)
浮嶋に疑い無し
するすると立ち寄り
袂(たもと)を控え
「信田なるわ」
「のう、君か」
とて、先立つ物は、涙なり

予て(かねて)は知らざる住吉の
松としなれば
喜びを
引き合うたる幸いと
連れて、河内へ帰りけり

館になれば、女房子供を近付け
「おことらが、乞い奉りしに
天の加護ありて
不慮に、遭い奉り候ぞや
包む(※隠す)とすると
このこと、広うあるべきなり(※知れ渡る)
昔より、この城は良き城にて
左右(そう)無く落つべきとは、思われず
汝らに、戦(いくさ)せさせ
目覚まいて、年を送らんずるに

定めて、都より
国の裁き、何事ぞと
上(かみ)の使い、立つならば
取り続き、越訴(おっそ)を
立て合う(おう)てこそ

石のせい(?)なりとも
ついには、国を治むべし
俄に慌てて、何かせん

谷々、峰々に
人夫(にんぶ)を揃え
掘りを切らせよ
明松(かがり)を焚かせ(たかせ)
垣楯(かいだて)挙げ
打ち解け居るな」
と下知すれば

子供も、にこう(尼公)も、諸共に
とても、消ゆべき露の身を
君、故、死なん、嬉しやと
踊り上がりて、喜こうだるは
あっぱれ、由々しき、次第やと
誉めぬ者こそなかりけれ

 

三段目

 

その後、小山、この由を伝え聞き
「未だ、力無き、先に、押し寄せよ」
とて、横須賀を大将にて
五百余騎、寄せけれども
なかなか、手立てに及ばず
大勢、討たれ、引きたりけり

二番に、小山が舎弟、三郎行光、
三千余騎にて、寄すれども
これも敵わず、引きたりけり
小山、驚き
自身、向かわで、敵わじと
小山が、向かわれたりければ
常陸、下総、両国に
残る者はなかりけり
浮嶋が城郭も
一、二の木戸を撃ち破られ
詰めの城にぞ、閉じこもる
浮嶋、大手の櫓(やぐら)に上がり
大音声にて、申す様

「如何に、子ども達
世にある人を、主(しゅう)に持てば
命も惜しゅう思わるれ
今日、生きて、何時(いつ)の何時(なんどき)に
世に出ずべきとは、思わずや
子供は無きか、討ち死にせよ
大夫も心静かに、働かん」
と、例の大弓持たせ
矢櫃三合、懸(か)かせ

「やや、女房、此方(こなた)へ来て
狭間、引いてたべ」
と、申せば

女房、生年五十六
微か(かすか)なる髪を唐輪にきっと据え

大手の櫓に、駆け上がり
「何とて、子供が、戦は遅きぞ」
と、しきりに、力を付けられ
早、浮嶋太夫、駆け出でる

その日、最期と思えば
龍を縫うたる、直垂(ひたたれ)に
鬼形(おにかた)刷ったる、左右の籠手

白檀磨きの脛当て(すねあて)
熊の皮の揉み足袋
白銀(しろがね)にて、縁金(へりがね)やって
開口高(あぐちだか)に、踏ん込うだり(ふんごうだり)
獅子に牡丹の脇楯
糸緋縅(いとひおどし)の鎧
巳(み)の時と輝くを
肩上(わたがみ)掴んで、引っ立て
草摺長に、ざっくと着(き)
結って、上帯(うえおび)ちょう締め
九寸五分の 鎧通し

馬手の脇に差いたりけり

一尺八寸の打ち刀、十文字に差すままに
三尺八寸候らいし、

赤銅造りの太刀はいて
四十二差いたる切斑(きりう)の矢、負い
筈高に取って付け

同じ毛の、五枚兜の緒を締め
白綾の母衣(ほろ)をさっと掛け

塗籠弓(ぬりごめゆみ)の四人張り、

攻めの関弦(せきづる)掛けさせて

真ん中取って、横たえ

七寸八分(ななきはちぶ:※馬たけ)、明け六歳
金覆輪の鞍を架せ(かせ)

我が身、軽ろげに、ゆらりと乗った
残る兄弟四人も
心ごころの馬に乗り
互いの手綱、取り違え
駆きょう、駆けじと、したりしを
敵(かたき)味方が、これを見て
「あっぱれ、武者の勢いや」と
誉めぬ者こそなかりけれ

大夫、櫓の上にて、これを見て
「あれあれ、見給え、女房
いずれも、器量は劣らぬよ
可惜しき(あたらしき)子供を

世に有らせ、所領の主とはなさずして
只今、殺さん惜しさよな
早、死ね子供
さは、言いながら
今を限りの事なれば
誰も、名残は、惜しきぞや
今一度、こなたへ、顔見せよ」
とて、さしも、剛なる浮嶋も
涙をはらはら流しける

女房、これを見て
しきりに、涙は、進めども
去らぬ体にて、もてなし
「老いに耄れたる(ぼれたる)大夫殿

 泣きても甲斐のあるべきか
如何に、子供
流石に、戦は、大事の物
心が、剛なるばかりにて
兵法(へいほう)知らでは
叶わぬぞや

味方、無勢にあるならば
敵(かたき)の陣へ、駆くるには
魚鱗、鶴翼(かくよく)、両陣なり

魚鱗と言える、駆け足は
魚の鱗の表したり
鶴翼とは、鶴の羽交いを学びたり

駒の手綱を知らずして
向こうに敵が切られぬぞ
向かう敵を切るときは
蹴上げの鞭(むち)をちょうど打て

表(おもて)返しの手綱をすくい
拝み切りに切り捨てよ
弓手へ掛かる敵をば
すみ(隅?)の手綱をきっと引き
そうこうの鞭を打って切れ

祖父 (おおじ)も姥(うば)も
ここにて、見るぞ
桟敷(さじき)の前の晴れ戦
不覚を掻くな、子供」
とて、可笑しき事は、なけれども
子供に力を付けんため
狭間(さま)の板を打ち叩いて
かんらかんらとぞ、笑いける

いとど、逸(はや)りし、子供ども
父にも母にも、勇められ
お声(おごえ)を上げて駆け出でる

前に河原は、足引きの

駆けては、さっと引いて見れば
多きは、今の死人なり

早、子供、五六度まで、駆けにけり

女房は、これを見て
「子供が戦の面白きに
後ろ詰めして、得させん」

と、担いだ布(きぬ)をさっと、脱げば

下は、武者に出で立てて
紅(くれない)の袴に、
膝鎧(ひざよろい)に、脛(すね)当てし

大夫が好みし、黄楊(つげ)の棒、

しばし、貸せとて打ち担げ(かたげ)

大手の門を押し開き
掘の巾太(はばた)に、駒、駆け寄せ
「只今、ここもとへ、進み出でたる妾(わらわ)をば、
如何なる者と思うらん
津の守、頼光(らいこう)に五代なり

渡辺党に大将軍、弥陀の源次(みだのげんじ)が娘
弥陀夜叉女(みだやしゃにょ)とは
我がことなり

二つと無き命をば、
信田の御料(※小太郎を指す)に奉る

我と思わん者あらば
押し並べて組んでみよ
如何に、如何に」
と呼ばわったり
大夫は、櫓の上より
つくづくと見て

「子供が、剛なるは、道理なり
母が心が、剛なれば
か程なる者共が、親子兄弟(しんしきょうだい)夫婦となりて
寄り合うこそ、不思議なれ
如何に、御料
此方へ(こなたへ)御出で(おんいで)あり
女の戦、ご覧ぜよ
将門(※平将門)の御眼(おんめ)に
瞳が二つましまし
八カ国の主となる
八カ年をお保ち候が
君にも弓手の眼に
瞳が二つましませば
坂東八カ国の主とは、
ならせ給うべし
我等も、それが思われ
子供が命の惜しけれども
当座の恥を掻かじがため
皆、討ち死に仕り
大夫も姥も討ち死にせば
御身は、敵(かたき)に生け捕られ
小山が館に、年を経て
喜びを待ち給え

必ず、二十五にて
御世にあらせ給うべし
暇申して、さらば」
とて、櫓を、ゆらりと、跳んで下り
一まいまぜ(一枚混ぜ)の大荒目
袖をば、解いて、から(擬音)と捨て
胴ばかり、着たりけり
箙刀(えびらかたな)、首切り刀、三腰(みこし)まで、差いたりけり

大夫、その日の最期の打ち物に
とうじ(?刀自)が打ったる長刀

四尺五寸あるが(※ありけるが)
柄(え)をば、三尺五寸に拵え(こしらえ)
今、少し(※この柄を)長うして、
きらすやおとらんと(?)
(※幸若:数やをとらんと:数矢を取らんと)

二尺ばかりに差し下げ(?)
ふっつと捻(ねじ)切り、からと(擬音)捨て
「あっぱれ、かねやと(?)」
打ち肯き

「南無三宝、南無三宝、
如何程の者が、この長刀に当たり
最期に物を思わせん
のう、女房」
と語りつつ
夫婦諸共駆け出れば
面(おもて)を合わする者は無し

棒を使う兵法に
芝薙ぎ、石突き、払い打ち
長刀、使う兵法に
浪の腰切り、稲妻切り、車返しやる長刀
女房、先を駆け通れば
大夫、後(あと)より切り巡る

先に子供、駆けければ
夫婦、後より、切り巡る
物によくよく、例とうれば
天竺州の戦い

歩兵(ぶひょう)が先を駆くれば
王行(おうぎょう)、角行(かくぎょう)駆け出でる
金銀桂馬(けいば)、駆ける時
太子も掛かり給いけり
この兵法を、将棋の盤に駆けるも
これには、いかで勝るべし

されども、寄せ手は、人勢(にんぜい)にて

五人の子供、此処、彼処(ここ、かしこ)に
押し隔たり
一人も残らず、討たれたり
大夫が長刀も、堪えず、三つに折れければ
大手を広げ、掛け合い
筒抜き、捻じ首、人礫(ひとつぶて)
幹竹割りに、ひっ裂いた

今は、向かう者も無し
「さのみに、人を殺しては
未来の業となるべけれ
いざ、姥御前」と
互いに、刀を抜き持ち
刺し違え、死んだるを
惜しまぬ者こそ、なかりけれ

四段目

 

労しや、信田殿
大夫に別れ
御自害と見えしを
小山が郎等、折り重なり
やがて、縛め(いましめ)奉り
小山が前に引き据ゆる

小山見て、
「人の果報の有るうちは
何事も、心に任せける
白昼に頭(こうべ)を刎ねんは
天下の畏れあり
夕去り、夜半に
内海(※霞ヶ浦)に沈めん」
と、相馬の郎等、千原(ちばら)大夫に仰せけり
千原、預かり
「あっぱれ、大事の囚人(めしゅうど)」
と、縛めの上に、尚も強く縛め
更けゆく、夜半(よわ)を待ちたりしは、
羊の歩みの近付くも
かくやと、思い知られたり
ここに、哀れを留めしは
姉君、この由、聞こし召し
「情けなの浮き世やな
自ら、夫(おっと)の心とひとつになり
かくもや為すと思うらん
せめて、最期の有様
一目、見ばや」
と、人、静まりて、夜半に
千原が宿所へ入り給い
信田殿をご覧じ
「こは、恨めしの仕業やな
など、自らにも
縄をばつけずして
信田殿ばかりに付けたるぞや
何とて、ものをば、の給わぬぞ
恨み給うは、理(ことわり)なり
自ら、夢にも知らぬなり
神や仏に聞こし召せ
後ろ暗きことは無し
何とも、ものをの給え」
と、縋り付いてぞ、泣き給う
信田殿、涙の隙よりも
「恨むる所存は、ましまさず
涙に暮れて、言(こと)は無し
とても、我が身は、果報無く
今を、限りのことなるに
か様に、憬れ(あこがれ)出で給い
もしも、小山に聞こえなば
重ねて、憂き目を見給わん
早々、帰らせ給うべし
兄弟の好(よしみ)に
後世をば、頼み奉る」
と、 又、さめざめとぞ、泣かれける
姉君、聞こし召し
「例え、共に淵に沈み候えども
何に恨み、候わん
か様にならせ給うも
ただ、これ故」とて
巻物を取り出だし給わりぬ
信田殿、ご覧じ
「これは、家の重宝
持ちては、何(なに)の益あらん
取って帰らせ給うべし」
姉君、聞こし召し
「いや、さは無し
御身、死したりとも
倶生神(くしょうじん)御前にて
献げ給うものならば
道理、限りあるにより
一方の罪科(つみとが)を
逃れ給わんに
平に、持たせ給え」

と、参らせ
「最早、名残は、今ばかり
名残惜しの信田殿や」
「暇(いとま)申して、姉君」
さらば、さらばの涙の別れは、哀れなり

既に、その夜も、夜半(やはん)に及び
信田を沈めよと、使いを立てる
千原、力無う、小船(しょうせん)に
信田殿を乗せ奉り
遙かの沖へ漕ぎ出す

無惨や、千原
「ここにや、沈め申さん
かしこにや、沈めん」
と、流石に、今は、沈めかね
しばしは、涙に揺られけり

「ああ、さて世の中に
すまじきものは、宮仕え
我、奉公の身、ならずば
懸かる憂き目は、よもあらじ
昔は、相馬に使われ
この君を、主君と、仰うぎ奉る時は
月とも日とも思わずや
移れば変わる世の習い
今、我が手に掛け申さば
草の陰なる、相馬殿
我を、憎しと、思すらん
明日は、何とも、ならばなれ
一旦、この君を、助け申さん」
と、思い

「只今が、最期にて候」
と、申せば、
信田殿、こうじょう(高声)に念仏を申さるる
千原も、共に申して
腰の刀、ひん抜いて
縄、ずんずんに切り捨て
沈めの石ばかり、だんぶと入れ

「南無三宝(さんぼう)
 今が、見果て」
と、高く言い
沈めた体にもてなし
助けて、陸(くが)へぞ帰りけり
これや、(幸若:しくわうの御時)えんたん(不明)が
故郷へ帰りしも、かくやと
思い知られたり

明けなば、小山
千原を召し
「信田を沈めてあるか」
「参候」と申す
「など、検死を運ばぬぞ
げに、心得たり
汝は、相馬先祖の郎等
心変わりして、落としけるよな
只、問わんには、よも落ちじ

 あれ、拷問せよ」
畏まって取り伏せ
様々、拷問したりけり

更々(さらさら)千原、落ちざれば
古木より、縄を下げ
上がる時は、息絶ゆる、
降ろせば、少し蘇る
「しゃ、落つべきか」
と思いしが
「いやいや、千原は、入り日なり
信田殿を例うれば、出ずる日
蕾む花なれや
余命を言うとも限りあり
代われや代われや、我が命」
と、如何に言えども、落ちずして
舌をふっつと喰い切り
明日の露とぞ消えにけり

小山、大きに腹を立て
「妻子を召せ」
と犇(ひし)めいた(り)
承りて、千原が後家、
若ともに引き出だす
小山、見て
「やあ、後家、有りの儘に申せ
少しも、偽りなば
拷問せん」
とぞ仰せけり
女房、ちっとも悪びれず

「例わば、微塵になり候とも
知らぬ事は、よも申さじ
有りの儘に申せば
在りし夜の暁(あかつき)
夫(つま)にて候者
小船に、信田殿を乗せ参らせ
遙かの沖へ出ずる
自ら、余りの労しさに
浜へ下り、事の様を窺いしに
信田殿の御声として
念仏の聞こえ、その後
だんぶと申してよりこの方
いささか存ぜぬなり
これ、偽りと思し召さなば
浦人(うらびと)にお尋ねあれ」
と、夫(つま)の死骸を見よりも
「か程、死ぬるものならば
信田を落とし奉らぬぞ」
と、声を上げてぞ、嘆きける
その後、浦人を召され
小山、子細に尋ね給うに
右の通りを申し上ぐる

小山、
「さては、沈めてありけるを
不憫に、拷問したり」
とて、妻子を帰えさるる
女房、若が手を引いて
館を指して帰りしが
途次(みちすがら)思う様


「あっぱれ、我が夫(つま)ながら
珍しや
かかる例(ためし)、よもあらじ
因果は、車の輪の如く
巡り巡りて、汝をも、千原が如く
拷問せんは、今なるべし」
と、女房は、我が家を指して帰りける
この者共が心中
前代未聞の例(ためし)とて
感ぜぬ者こそなかりけれ

 

五段目

 

労しや、信田殿は、
辛き命を助かり、再び都へ上がられけり
日数、積もりて、大津に着き
門並(かどなみ)こそ多きに

ご運の末の悲しさは
人を商う、辻の藤太が元に御宿(おんやど)あり
藤太、見て
「あっぱれ、良き商い物」
と思い
「これは、何方(いずかた)へお通り」
と申す
信田殿、「都へ」
との給えば
藤太、
「未だ、若(にゃく)にてましますが、
労しや、送り届けて、参らせん」
と、馬(むま)に打ち乗せ奉り
都を指してぞ上がりける

都になれば、五條の博労座に行き

王三郎(おうさぶろう)を呼び出し
料足に取り替え、

藤太は、我が家に帰りけり
王三郎、買い取りて
鳥羽の船渡(ふなど)へ売りてやる

ここにても、買い留めず
かなた、こなたと売り回し
後には、加賀の国、宮腰(みやのこし)へぞ、売りてやる
物の哀れは、宮腰にて止めたり
折節、春のことなるに
賎が仕業を教え
田を打てとこそ、責めにけれ
労しや、信田殿
鍬(くわ)と言える物を持ち
小田の原(不明)へは出で給う
打つべき様は、いざ知らず

かの三皇(さんこう)の古(いにしえ)

しんのう(神農)皇帝、忝なくも

自ら鋤(すき)を担い
その一げい(けい:畦)を田返し

五穀の種を蒔きしかば
神農、勧農(かんのう)目出度うして
尺の穂丈も長くなり
それは、賢王聖主(けんおうせいしゅ)にて
国を育ごくむ道理あり

かの信田殿の農業は
涙の種を蒔くやらん
野にも山にも、立田姫

佐保の林に平伏して

泣くより外の事は無し

これを見る者どもが

徒者(いたずらもの)と言いなし

隣国に買わんと言える者も無し
持て扱うて、信田殿を、追い出し奉る
 哀れと言うも愚かなり

心を他所に、白雲の
打ち出でぬれば、天の原

身は半空(なかぞら)に鳴神の
とどろ、とどろと、歩めども

泊まり定めぬ、浮かれ鳥
鳴く音に人も驚きて
開けぬる門(かど)を、過ぎ(杉)の下
身は、飢え人(うえびと)となるままに
袂に物を乞食(こつじき)ぐさ(草)
草場に掛かる命をば
露の宿にや置きぬらん
定まる方の無きままに
足を限りに行く程に
能登の国に聞こえたる

小屋湊(おやのみなと)に着き給う
折節、小屋の湊には、夜盗(よとう)が
寄せ来たるとて、
門々(もんもん)、門(かど)を切り塞ぎ
用心して居たりけり
これをば、知らで、信田殿
門外に佇み、
世に無し者に、慈悲、ましませ」
と申さるる

かかる所に、齢(よわい)傾ぶきたる、

一人、来たり
 「あら、恐ろしや
盗人(ぬすびと)の検見(けんみ)にこそは
来たりたり、討ち殺せ」
「承る」

とて、艪櫂(ろかい)、舵(かじ)を、てんでに持ち
「何処(いづく)にある」
と言うままに、ひと杖づつぞ、打ちにける

尉、この由、見よりも
「ひと杖づつは、遊び事
只、討ち殺せ」
と、申すにぞ
「承って候」
と、散々に打ちにける

所へ、浦の刀禰の女房

情け有る者にて
信田殿を見申して
「妾(わらわ)にたべ
酒を盛らんに、助けよや」
酒とだに聞けば、杖を捨ててぞ、退きにける

女房、信田殿を伴い
様々に労りける
その頃、奥方(※奥州陸奥)塩商人(あきびと)
信田殿を、見参らせ
「我にたべ」と、押さえて、塩に取り替え

我が国に帰り、所の習いとて
塩木を切らせ、塩釜の火を焚かせけるにぞ
いとど、物憂さ、勝りける

されば、 このところの上首、塩路の庄司殿
月を眺めに出でられしが
信田殿をご覧じて
「目の内の気高さ、いかさま
由ある人と覚えたり
我、この年まで、子を持たず
我が子にせん」
との給い
押さえて、ほう(抱)てぞ取られける
我が家になれば
御名を塩路の小太郎殿と付け給い
上から下に、至るまで
渇仰せぬはなかりけり

その頃、奥州へ、国司、下らせ給い
三年(みとせ)の内に、
座敷の様を定めんと
国の弓取り、召されけり

右は、勝田の大夫
左は、柴田の庄司
総じて、座敷は、十三なかれ(ながれ?)

人数(にんじゅ)は、かれこれ、三百余人
曇りたる者を付けざれば
なかなか、晴れがましさは、限りなし
その中に、塩路の庄司
我が身、老体なれば
養子の嫡孫(ちゃくそん)に
小太郎を出されたり
並びの在庁(ざいちょう)、これを見て

「何者にてか、ある
叶うまじ」
と、座敷を取りて、引き下ぐる

国司、ご覧じ
「何とて、塩路は、参らぬぞ
但し、上(かみ)を軽ろしむるか
その義ならば、本領、召し上げん
との、御諚なり

信田殿、聞こし召し
「こは、口惜しき、我が心
いやいや、今、名乗らずば
養子の父母の恥」と言い
座敷を立たたんも、無念なりと
かの、巻物を、取り出だし
国司の前に出ださるる

国司、開いて見給うに
「何々、葛原の親王の後胤
将門の御孫、相馬の実子、何某(なにがし)
「氏(うじ)のけんしょう(検証:見証)なる間
これに増したる、俗姓(ぞくしょう)無し」

国司の対座へ、直り給うぞ、目出度けれ
国司、ご覧じ

「労しや、奥州の国司
我、都へ上り
安堵を申してまいらせん」と
国司、座敷を立たせ給えば
国の侍、口を閉じ
舌を巻いて、立ったりけり
信田殿の御威勢
千秋万歳(せんしゅうばんぜい)の御喜び
申すばかりはなかりけり

 

六段目

 

去るほどに、小山は、栄華に栄え
今日は、七月七日とて
宝物を取り出して
七夕に、数並い
小山も金銀綾羅(りょうら)
数の宝を取り出す
その中に、信田玉造の地券(ぢけん)の巻物

如何に、見れども無かりけり
「これは、世の人、知るべからず
いかさま、御身の盗み取り
他の宝と、なしつらん
かかる、後ろ暗き人を頼みて
何ならん」

と、労しや、姫君を追い出し奉る

労しや、姫君は、
今は、頼まん方も無し
「所詮、信田殿を入れし
内海(うつみ)(※霞ヶ浦)に沈まん」
と、浜へ下させ給いけり

ここに、千原が後家、
駆け来たり
「痛とう、嘆かせ給いそよ

信田殿の御命に、
妾(わらわ)が夫(おっと)
替わり候ぞや
数々の文(ふみ)ども、

これこれ、ご覧候え」
と、参らする

姫君、ご覧じ
「さては、浮き世に、ましますかや
叶わぬ迄も、沙汰のため
都へ上らせ給うらん
いざや、尋ね上がらん」
と、とある寺にて、
御髪(おぐし)をおろし
旅の装束なされけり

 

上がらせ給いける程に
三十五日と申すには
花の都に着き給い
先ず、清水に参りつつ
「信田殿の行く末
知らせてたばせ
観世音」
と、深く、祈誓を懸けまくも
熊野の方を心掛け
天王寺、住吉、根來(根来寺)、
粉川(こがわ:粉河寺)を打ち過ぎて
これこれ、ご覧候え」
と、参らする
姫君、ご覧じ
「さては、浮き世に、ましますかや
叶わぬ迄も、沙汰のため
都へ上らせ給うらん
いざや、尋ね上がらん」
と、とある寺にて、
御髪(おぐし)をおろし
旅の装束なされけり

(ひな)の都路(みやこじ)立ち出でて

上がらせ給いける程に
三十五日と申すには
花の都に着き給い
先ず、清水に参りつつ
「信田殿の行く末
知らせてたばせ
観世音」
と、深く、祈誓を懸けまくも
熊野の方を心掛け

天王寺、住吉、根來(根来寺)、
粉川(こがわ:粉河寺)を打ち過ぎて

三つの御山に、参りつつ、

尋ね給えど、行き方無し
「いざや、乳母(めのと)
四国、九国(きゅうこく)を尋ねん」と
道者船(どうしゃぶね)に便船、

乞うて打ち乗り

淡路島をも、打ち過ぎて
筑紫下りの途次(みちすがら)

長門のこうや(高野:大寧寺)
赤間が関、芦屋の山か博多の津

志賀の崎(嶋)まで、尋ぬれど
その行き方はなかりけり

なこや(名護屋:佐賀県唐津市)を出で、
せと(※平戸瀬戸)を行く
平戸の大島(長崎県平戸市)
松浦(まつら)(長崎県松浦市)
弥勒寺 ( 長崎県大村市弥勒寺町)
しつの里(?じつ:時津とぎつ:長崎県西彼杵郡時津町)
伊王が嶋(いおうがしま:旧西彼杵郡))も近くなりて
いきの(ゆきの)(長崎県西海市大瀬戸町雪浦)も通り、通るにぞ
消ゆるばかりの、我が心

日向の国に、土佐の島
豊後、豊前や、肥後の国、
筑前、壱岐の里に至るまで
信田の小太郎、何某(なにがし)と
問えど、答うる、者も無し

「いざや、乳母、中国を訪ねん」

と、周防(すおう)の国に差し掛かり
播磨の国、彼方此方(あなたこなた)と尋ねつつ
後は、境の松( 播磨国飾東郡見野 南庄北原村カ?)に出で
そうだの森(?)烏崎(からすざき:烏崎城兵庫県神戸市)
人待つ(松)ヶ岡を訪ねれど(兵庫県明石市松が丘カ?)
その行き方は、無かりけり

須磨の浦、蓮の池(兵庫県神戸市長田区蓮池町)と聞くからに
同じ蓮(はちす)に乗らばやな
兵庫に着けば、湊川(みなとがわ:神戸市)
雀の松原(神戸市東灘区魚崎町)、

打出の宿(兵庫県芦屋市打出小槌町)
こやの(兵庫県伊丹市昆陽(こや)カ)、

伊丹、手嶋の里(不明)

太田の町(大阪府茨木市太田)や芥川(淀川支流)

こうない(大阪府 高槻市 神内)山崎、

きつね川(木津川:乙訓郡大山崎町泥ヶ浜付近カ?)

久我畷(こがなわて)
浮き世は、車の輪の如く
巡り、巡りて、またここに
花の都に着き給う
「いざや、乳母
東路(あずまじ)を尋ねん」
と、我をば誰か、松坂(松坂峠関:京都市山科区)や
逢坂の関の清水に、影見えて

(滋賀県大津市逢坂1丁目15-5 (旧関清水町))

大津、打出の浜よりも
(滋賀県大津市打出浜)
志賀、唐崎を見渡せば
堅田の浦に引き網の
目毎に(めごとに)脆き、涙かな

尋ぬる人の面影を
映してや見ん、鏡山
愛知川(えちかわ)渡れば
荒れてなかなか、優しきは
不破の関屋の板、守る
月見、垂井の宿(岐阜県不破郡垂井町)
田を植えし、早苗の黒田こそ
 (岐阜県揖斐郡揖斐川町黒田)
秋はなるみ(鳴海)と打ち眺め
(愛知県名古屋市緑区鳴海町)
三河の国の八つ橋や
蜘蛛手なるや思うらん

富士を何処(いづく)と
遠江(とおとうみ)

恋を駿河の身の行方(ゆくえ)
月も雲間を伊豆の国

信田には、何時か、奥州まで
三年(みとせ)三月と、申すには
高野郷に着き給い
旅の装束なされけり(?とかれけり)

去れば、信田殿は
七月、盂蘭盆(うらぼん)とて
父母(ぶも)孝養(きょうよう)のために
施行(せぎょう)を引かせ給いし
その中に、比丘尼(びくに)達をば
持仏堂に招じらるる

労しや、姫君
御回向の鐘鳴らし
お声高く、回向ある

中にも
「父、相馬殿、 母、御台、信田殿の
成仏なり給え、未だ、浮き世にましまさば
この御経の功力にて
今一度、引き合うてたび給え」
と、流涕焦がれ、泣き給う

信田殿、回向の声を聞き
夢、現とも弁えず
間(あい)の障子を、さらりと開け
「我こそ、信田なるわ」
と、思わず知らず、抱き付き
これは、これはとばかりなり

「かかる目出度き折節に
何を嘆かせ給うぞや
いざ、本望を、達せん」
と、五十四郡の内よりも
よろしき兵、十万余騎、揃えける
小山、この由、聞くよりも
叶わじと思い、逃げて、都へ上がりけり

去れば、国司は、信田殿の安堵を給わり
奥州へ下向ありしが
小山、これに行き会い
易々と(やすやす)絡め取り
信田殿に対面ある
御喜び、これにしかじと
武蔵の国、つまこい嬬恋が野辺にて
(群馬県嬬恋村カ)
やがて、頭(こうべ)を刎ねにけり
いざや、参内、有るべしとて
国司と打ち連れ、参内あり
君、叡覧、有りて
相違なく、八カ国(※坂東)をたびにけり
喜び、御前(ごぜん)を立つ

辻の藤太(※人買い)を絡め取り
頭(こうべ)を刎ね
番場の亭主を召し出し
(※御台が死亡し、一人になった宿)
所知、一所、給う

さて、本国へ入部(府)ある

浮嶋が三人の孫に
三千町を給わり
千原が後家、若共に参れば
八カ国の総政所を給わりて
末繁盛と栄え給う
この君の御果報
目出度しともなかなか
申すばかりは、なかりけり

右は、大夫、直の正本にして
板行するところなり
大伝馬三町目
鱗形屋孫兵衛新板

承平(じょうへい、しょうへい)延長の後、天慶の前。931年から938年までの期間を指す。この時代の天皇は朱雀天皇。


天慶(てんぎょう、てんけい、てんきょう)は、承平の後、天暦の前。938年から947年までの期間を指す。この時代の天皇は朱雀天皇、村上天皇。

 

天暦(てんりゃく)は、天慶の後、天徳の前。947年から957年までの期間を指す。この時代の天皇は村上天皇。

 

※天暦十年は、丙辰(ひのえたつ)であり、
乙卯は、前年の天暦九年(955年)である。

 

河内郡(こうちぐん、かわちぐん)は、茨城県(常陸国)にあった郡。信田郡南部
稲敷郡河内町(全域)
龍ケ崎市(ほぼ全域)
牛久市(ほぼ全域)
稲敷市(ほぼ全域)

玉造町(たまつくりまち)は、茨城県にあった町である。2005年9月2日、麻生町・北浦町と合併し行方市となった。霞ヶ浦北西岸部

東条は信田郡の東側の地域、西側を西条という。

 

 

おおいのかみ[おほひ―]  【大▽炊▽頭】
大炊寮(おおいりよう)の長官。従五位下相当。
おおい‐りょう〔おほひレウ〕【大▽炊寮】
律令制で、宮内省に属し、諸国からの米や雑穀を収納し、また、それを諸官庁に分配することなどをつかさどった役所。おおいづかさ。おおいのつかさ。

 

 

常陸・上総の両国

甲府市里垣町:かつての甲斐国山梨郡板垣

さんもん‐さんとう〔‐サンタフ〕【三問三答】
中世、鎌倉・室町幕府における訴訟手続きの形式。訴人(原告)は申し状(訴状)に具書(証拠書類)を添えて奉行所に訴え、奉行所は論人(被告)に問状(といじょう)を出し、陳状(答弁書)を提出させる。この手続きを三度繰り返すこと。

 

おっ‐そ〔ヲツ‐〕【▽越訴】

中世、敗訴人が裁判に誤りがあるとの理由で、上訴・再審請求をしたこと。
 
 付款(ふかん) 再審請求
 

み‐たち【▽御▽館】
1 国府の庁。また、領主の役所。

 冥(ミョウ〉:人知を超えた神仏の働き

せん‐ぽう[:パフ]【千法・千方(パウ)】

すべての方法。あらゆる手段。万策。

 

にゅう‐もく【乳木】
密教で、護摩に用いる木。乳汁の多い桑などの生木。にゅうぼく。
 
やま‐うつぎ【山▽空木】
1 コクサギの別名。〈和名抄〉
こ‐くさぎ【小臭木】
ミカン科の落葉低木。山野に自生。葉はにおいがし、倒卵形でつやがある。雌雄異株。春、黄緑色の雄花・雌花が咲き、実は熟すと裂けて種子をはじき出す。

 

しゃ‐すい【×灑水/×洒水】
《水を注ぐ意》密教で、加持した香水(こうずい)を注いで煩悩(ぼんのう)・垢穢(くえ)を除く、きよめの儀礼。また、その香水

ない‐ばく【内縛】〕仏語。真言密教で、手に印(いん)を結ぶときの結び方の一つ。右指を左指の上に加え、掌の内で、十指を交叉させるもの。
げ‐ばく【外縛】仏語。密教で、両手を交差して拳を作り、各指を外側に出す印契(いんげい)。

 おっさま 【追っ様】
〔補説〕 「おいさま」の転。 あとを追うようにして。

薬師如来の真言:オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
不動明王の真言:ノウマクサンマンダ バザラダン センダン マカロシャダ ソワタヤウンタラ カンマン

ご‐だいそん【五大尊】
「五大明王(ごだいみょうおう)」に同じ
密教の明王のうち、不動・降三世(ごうざんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳・金剛夜叉(こんごうやしゃ)の五明王。

 

こんごうやしゃ‐みょうおう〔コンガウヤシヤミヤウワウ〕【金剛夜叉明王】
《(梵)Vajra-yakaの訳》五大明王の一。北方を守護し、悪魔を降伏(ごうぶく)する。三面六臂(ろっぴ)で、中心の面は五眼。火炎を負い、怒りの相を表す。杵(しょ)・箭(せん)・剣・弓などを持つ。金剛夜叉。金剛薬叉(やくさ)


 だいいとく‐みょうおう〔ダイヰトクミヤウワウ〕【大威徳明王】
《(梵)Yamntakaの訳》五大明王の一。本地は阿弥陀如来で、西方を守護して、人々を害する毒蛇・悪竜や怨敵(おんてき)を征服するという。頭・腕・脚が六つずつあり、剣・鋒(ほう)・輪・杵(しょ)を持ち、怒りの形相をして火炎に包まれ、水牛に乗る姿の像が多い。閻曼徳迦(えんまんとくか)。六足尊。
 

中山道番場宿(滋賀県米原市)

こう‐にん〔カウ‐〕【降人】
降参した人。こうじん。

じょうぼん‐じょうしょう〔ジヤウボンジヤウシヤウ〕【上▽品上生】
1 仏語。九品(くほん)の最高位。

2 最高のランクにあるもの。最上級品

かいだて 【▽垣▼楯・▼掻▼楯】
〔補説〕 「かきだて」の転
[1] 垣根のように楯を立て並べること。
  
 

や‐びつ【矢×櫃】
矢を入れておく、蓋つきの箱。

ごう〔ガフ〕【合】

ふたのある容器を数える。

から‐わ【唐輪】
2 室町後期から近世にかけての婦人の髪の結い方の一。髻(もとどり)の上にいくつかの輪を作り、その根元を余りの髪で巻いたもの。
 

びゃくだんみがき 【白▼檀磨き】
金箔置きの上に透き漆を塗ったもの。白檀の木を磨いた色に似る。

 

あぐち‐だか【▽開口高】
[形動ナリ]開口を上の方へ引き上げて深く履くさま。
 
 わい‐だて【▽脇盾/▽脇×楯】
《「わきだて」の音変化》鎧(よろい)の付属具。右脇の引合(ひきあわせ)をふさぐために用いる。壺板(つぼいた)と草摺(くさずり)からなる

巳の時:物事の盛りのころ。

 

くさずり‐なが【草×摺長】
[形動ナリ]鎧の草摺を長く垂らして着ているさま。

よろい‐どおし〔よろひどほし〕【×鎧通し】
1 戦場で組み打ちの際、鎧を通して相手を刺すために用いた分厚くて鋭利な短剣。反りがほとんどなく長さ9寸5分(約29センチ)。馬手差(めてざ)し。

うち‐がたな【打(ち)刀】
刃を上にする形で腰帯に差す刀。敵と切り合うための長い刀で、鍔(つば)をつける。鍔刀(つばがたな)。打ち太刀

 1.きり‐う[:ふ]【切斑・切生】鷲の尾や翼の羽の斑で、褐色と白が(だん)をなしたもの。矢羽に用いる。鷲以外は鳥の名を加えて鷹の切斑などという。その形や濃淡によって、大切斑、小切斑、薄切斑、逆切斑など種類が多い。

 はず‐だか【×筈高】
[名・形動ナリ]箙(えびら)に入れて背負った矢の矢筈が高く現れて見えること。また、そのように背負うさま。


 ほろ(母衣:)鎧(よろい)の背につけて流れ矢を防ぎ、また存在を示す標識にした幅の広い布。平安末期には大形になって装飾化し、室町時代からは中に竹かごを入れて袋状にするのが例となった。

【塗籠籐】籐巻(とうまき)の弓の、籐の部分を含めて全体を漆で塗りこめること。また、その弓。ぬりどう。ぬりごめゆみ。ぬりごめのゆみ。ぬりごめ

せき‐づる【関弦/×禦弦】
昔、戦陣で用いた弓弦の一。弦苧(つるお)に黒く漆を塗った上に絹糸を巻き、さらにこれを漆で塗り固めたもの。

きん‐ぶくりん【金覆輪】-(「きんぷくりん」とも)器具の周縁を覆う覆輪の一つ。覆輪の材質に、金または金色の金属を用いたもの

あたら・し【可=惜し/▽惜し】[形シク]
1 《それに相当するだけの価値がある、というところから》そのままにしておくには惜しいほどりっぱだ。すばらしい。
  あたら【可=惜/▽惜】
[副]《形容詞「あたら(可惜)し」の語幹から》惜しくも。残念なことに。あったら。「―好機を逃した」

 

 ぎょ‐りん【魚×鱗】
 兵法で、陣立ての一。魚のうろこの形のように、中央部を突出させて、人の字形に配置した陣形。

 

 

 

 

 

(※蹴上げの鞭:小栗判官に同文言あり)

 

 

(※そうこうの鞭:小栗に同文言あり

(葱(王行):室木)

1.はばた【巾太】(端端の意か)崖(がけ)。岸辺。

 

源 頼光(みなもと の よりみつ)は、平安時代中期の武将。父は鎮守府将軍源満仲、母は嵯峨源氏の近江守源俊女。諱はしばしば「らいこう」と有職読みされる。

 

わたなべとう【渡辺党】 
摂津渡辺を本拠とする中世武士団。源頼光四天王の一人として有名な嵯峨源氏渡辺綱(わたなべのつな)を始祖とする。。

 

とうじ【刀自】⇒とじ(刀自)
とじ【▽刀自】
《「戸主(とぬし)」の意で、「刀自」は当て字》
1 年輩の女性を敬愛の気持ちを込めて呼ぶ称。名前の下に付けて敬称としても用いる。
2 一家の主婦。

天竺大将棋(てんじくだいしょうぎ)は、将棋の一種であり、二人で行なうボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。

大将棋の拡張であり、追加の駒は強力な動きのものが多く、大将棋からの弱い駒はあまり採用されていないことも合わせてスピード感重視、早期決着型の発展であると言えよう。

太子は、玉将(王将)と同じ働きを持つ。 つまり、たとえ玉将(王将)が取られても太子が存在する場合は太子が取られるまで試合を続行する。

 

 

 

 

 

 

.つつ‐ぬき【筒抜】-筒を引き抜くように、首を抜き取ること。

くしょう‐じん〔クシヤウ‐〕【倶生神】
人とともに生まれ、その人の一生の善悪をすべて記録し、死後閻魔王(えんまおう)に報告すると考えられた神。人の左右両肩に男女二神があり、おのおの善と悪とを記録するという。

ばく‐ろう〔‐ラウ〕【博労/馬×喰/▽伯▽楽】《「はくらく(伯楽)」の音変化》
 牛馬の売買・仲介を業とする人。

 

三重県鳥羽市のこと。
旧志摩郡鳥羽町のこと。現在の鳥羽市の北西部。

 

宮腰(みやのこし)は、現在の石川県金沢市金石町の旧地名。

さん‐こう〔‐クワウ〕【三皇】
中国古代の伝説的な三人の天子。伏羲(ふっき)・神農(しんのう)・黄帝、燧人(すいじん)・伏羲・神農、伏羲・女・神農、天皇・地皇・人皇など諸説がある。

しんのう【神農】
中国古代神話上の帝王。三皇の一。人身で牛首。農耕神と医薬神の性格をもち、百草の性質を調べるためにみずからなめたと伝えられる。日本でも、医者や商人の信仰の対象となった。炎帝神農氏。

竜田姫:西方、秋を指す

佐保姫:東方、春を指す

 

いたずら‐びと〔いたづら‐〕【▽徒人】
   役に立たない人。無用の人。徒者(いたずらもの)。

もてあつか・う[―あつかふ]  【持て扱ふ】
 取り扱いに苦しむ。もてあます

小屋湊(おやみなと)(輪島市)

よになしもの 【世に無し者】
落ちぶれて世間に存在を認められない人。日陰者。

 

じょう【▽尉】
1 老翁。おきな。特に能で、老翁の役。また、それに用いる能面。⇔姥(うば)。

とね【▽刀×禰】
 中世、港湾の問屋・浦役人の一種。

じょう‐しゅ〔ジヤウ‐〕【上首】
一座の衆僧中の指導的中心人物。集団の長。
 

りょう‐ら【綾羅】
あやぎぬとうすぎぬ。また、美しい衣服。羅綾。

ち‐けん【地券】-日本国語大辞典
〔名〕官が発給する土地所有に関する証書。地券文書

 

ひ【×鄙】
[音]ヒ(呉)(漢) [訓]ひな ひなびる
1 都市部から離れた地。いなか

.たかのごう【高野郷】福島県:陸奥国/白河郡-日本歴史地名大系
「和名抄」所載の郷で、訓を欠く。「大日本地名辞書」は「今高城村・豊里村・石井村にあたり、八槻以南の地なるべし」とする。高野の地名は久慈川沿岸の現東白川郡矢祭町に高野・中高野・高野前などがあり、